↓「眩しい…」という程度に思いながら辺りを歩いた朝は、少し御無沙汰していたと思う。晴れた朝だ。
↓0℃を切ってはいるが、最近の様子という中では相対的に気温は高い。
↓こういう少し過ごし易いような感じになった時間帯も見受けられた一日だった。何となく天候が好くない様子が交る日が続いたので、こういう日は安堵する。
青蓮院門跡…(2023.12.29)
何度か辺りを通り過ぎていて、訪ねてみた経過は無い。そういう場所が気になれば、何とか機会を設けて訪ねてみたくなる。
↓そういう訳で訪ねてみた場所だ。
「門跡」というのは、皇族や摂関家等の身分が非常に高い家の子弟が入って代表というような地位に就く寺を指し示す表現である。比叡山の中に在った僧房に起源を持つとされる青蓮院もそうした「門跡」の一つだ。
1150年頃に現在の場所で鳥羽上皇の祈願所の一つとしての位置を固めて「門跡」というようになって行ったようだ。時代が下って、1788(天明8)年に大きな火災が在った際、当時の後桜町上皇の仮の仙洞御所が青蓮院に置かれた経過が在り、地名に因んで「粟田御所」とも呼ばれているそうだ。因みに後桜町上皇は、2023年現在、「女性の天皇」の「最後の例」ということになるようだ。
↓こうした史跡をゆっくりと拝観する、参拝するというようなことは興味深いものだ。
↓建物の改修等も行われ、史跡を、貴重な旧い建物を後世に伝える努力が重ねられている。
↓写真撮影は原則的に認めていないという様子も伺える屋内を見学し、庭の側に出てみた。
↓この種の竹林は北海道では見受けられないので一寸注目する。
↓境内や辺りの楠は「青蓮院の楠」として少し知られている。
↓これはやや驚く。
↓鐘楼の鐘を随意に撞いて構わないことになっている。
実は殆ど開門と同時に青蓮院門跡に入った。施設管理の仕事に携わっている方が「お待たせしました…」と開門して、来訪者に声を掛けている。自身も話し掛けられたが、「中へ入られるなら鐘に注目して頂きたい。京都の数在る古刹で鐘を随意に撞いて構わないことになっている例は殆ど無い」と御紹介頂いた。「有難うございます!」と中に入って見学したが、なるほど、随意に撞いて構わないことになっている。
↓こういうように注意書きは在った。出鱈目に鐘を鳴らすものでもない…
自身が無事に京都へ至ってゆったりと過ごしていることに感謝の意を表しながら、仏の心で不穏な世界情勢が安定するようにというようなことを祈りながら、慎重に金を撞いてみた。大きな反響の音も響く様子を聞いて、手を合わせて祈った。
「青蓮院」という名に関しては、幕末の歴史に登場する中川宮が青蓮院に在って「青蓮院宮」とも呼ばれたというようなことが記憶に残っていて、場所に少し興味が在った。そういうことで、ここを訪ねられて善かったと思う。
地下鉄東山駅から近い、訪ね易い場所でもあるので、また訪ねてみたいというように思う。
↓そういう訳で訪ねてみた場所だ。
「門跡」というのは、皇族や摂関家等の身分が非常に高い家の子弟が入って代表というような地位に就く寺を指し示す表現である。比叡山の中に在った僧房に起源を持つとされる青蓮院もそうした「門跡」の一つだ。
1150年頃に現在の場所で鳥羽上皇の祈願所の一つとしての位置を固めて「門跡」というようになって行ったようだ。時代が下って、1788(天明8)年に大きな火災が在った際、当時の後桜町上皇の仮の仙洞御所が青蓮院に置かれた経過が在り、地名に因んで「粟田御所」とも呼ばれているそうだ。因みに後桜町上皇は、2023年現在、「女性の天皇」の「最後の例」ということになるようだ。
↓こうした史跡をゆっくりと拝観する、参拝するというようなことは興味深いものだ。
↓建物の改修等も行われ、史跡を、貴重な旧い建物を後世に伝える努力が重ねられている。
↓写真撮影は原則的に認めていないという様子も伺える屋内を見学し、庭の側に出てみた。
↓この種の竹林は北海道では見受けられないので一寸注目する。
↓境内や辺りの楠は「青蓮院の楠」として少し知られている。
↓これはやや驚く。
↓鐘楼の鐘を随意に撞いて構わないことになっている。
実は殆ど開門と同時に青蓮院門跡に入った。施設管理の仕事に携わっている方が「お待たせしました…」と開門して、来訪者に声を掛けている。自身も話し掛けられたが、「中へ入られるなら鐘に注目して頂きたい。京都の数在る古刹で鐘を随意に撞いて構わないことになっている例は殆ど無い」と御紹介頂いた。「有難うございます!」と中に入って見学したが、なるほど、随意に撞いて構わないことになっている。
↓こういうように注意書きは在った。出鱈目に鐘を鳴らすものでもない…
自身が無事に京都へ至ってゆったりと過ごしていることに感謝の意を表しながら、仏の心で不穏な世界情勢が安定するようにというようなことを祈りながら、慎重に金を撞いてみた。大きな反響の音も響く様子を聞いて、手を合わせて祈った。
「青蓮院」という名に関しては、幕末の歴史に登場する中川宮が青蓮院に在って「青蓮院宮」とも呼ばれたというようなことが記憶に残っていて、場所に少し興味が在った。そういうことで、ここを訪ねられて善かったと思う。
地下鉄東山駅から近い、訪ね易い場所でもあるので、また訪ねてみたいというように思う。
「映り込み」…:平和通買物公園:旭川駅周辺(2024.01.03)
稚内駅到着…(2024.01.04)
幌延駅にて…(2024.01.04)
名寄駅にて…(2024.01.04)
旭川駅で列車に乗込み、車中で少し深く眠ってしまっていて、気付くと名寄駅の手前に至っていた。
↓やや停車時間が長い名寄駅で、少しホームに出て身体を伸ばした。
↓画の右側、後部の車輌が名寄駅で切り離される。関係者が幾分集まって作業が始まる。
↓連結器を外した後、後側の車輌に運転士が乗込み、信号旗の合図で車輌が少し後退する。
↓切り離しが完了だ。
↓1輌で更に北上する態勢になった。キハ54も低温の中を走り続けていて、何か車体の表面が酷く冷たそうに見えた。
毎度「駅の様子」というモノばかりになる名寄で撮った写真だが、結局はこの「駅の様子」が酷く気に入っているのである。今後もこんな様子を眺めては写真に撮ってしまうと思う。
↓やや停車時間が長い名寄駅で、少しホームに出て身体を伸ばした。
↓画の右側、後部の車輌が名寄駅で切り離される。関係者が幾分集まって作業が始まる。
↓連結器を外した後、後側の車輌に運転士が乗込み、信号旗の合図で車輌が少し後退する。
↓切り離しが完了だ。
↓1輌で更に北上する態勢になった。キハ54も低温の中を走り続けていて、何か車体の表面が酷く冷たそうに見えた。
毎度「駅の様子」というモノばかりになる名寄で撮った写真だが、結局はこの「駅の様子」が酷く気に入っているのである。今後もこんな様子を眺めては写真に撮ってしまうと思う。
旭川駅を発つ…(2024.01.04)
早朝、滞在した宿で朝食が供されるよりもかなり早いような時間帯にチェックアウトしてしまう。冬季であれば未だ「夜の残滓」が色濃く感じられるような午前5時半前後には旭川駅の傍に辿り着く。
↓早朝に出る場合、旭川駅に近いこの御店に寄り道をする場合も多い。
↓早朝の旭川駅では東改札口が開く。東寄りから旭川駅に近付くのが便利だ。と言うより、「東口」の宿に陣取ったので、この東側が近付き易いのだ。
↓発車案内を見る。左側の「LOCAL 6:03 WAKKANAI」、稚内へ向かう普通列車に乗る。
↓エスカレータでホームに出る。
↓「名寄以遠」に向かう場合、ここで前照灯が点いている前側の車輌に乗込むのが好い。
↓何時ものキハ54だが、今回は512号車だ。
↓こんな設えの席に陣取った。
↓例によって身軽な荷物を棚に上げる。
↓コンビニで仕入れたモノを出す。
毎度、この列車に乗ると「後は何を如何していても、稚内迄連れて行ってくれる…」と安堵感、または少し解放感めいたモノを感じる。
殊に<青春18きっぷ>の期間には、この列車は旭川・稚内の移動には非常に好いと思う。
↓早朝に出る場合、旭川駅に近いこの御店に寄り道をする場合も多い。
↓早朝の旭川駅では東改札口が開く。東寄りから旭川駅に近付くのが便利だ。と言うより、「東口」の宿に陣取ったので、この東側が近付き易いのだ。
↓発車案内を見る。左側の「LOCAL 6:03 WAKKANAI」、稚内へ向かう普通列車に乗る。
↓エスカレータでホームに出る。
↓「名寄以遠」に向かう場合、ここで前照灯が点いている前側の車輌に乗込むのが好い。
↓何時ものキハ54だが、今回は512号車だ。
↓こんな設えの席に陣取った。
↓例によって身軽な荷物を棚に上げる。
↓コンビニで仕入れたモノを出す。
毎度、この列車に乗ると「後は何を如何していても、稚内迄連れて行ってくれる…」と安堵感、または少し解放感めいたモノを感じる。
殊に<青春18きっぷ>の期間には、この列車は旭川・稚内の移動には非常に好いと思う。