「海抜2.3m」…自販機…(2024.01.18)

以前に他地域から当地を訪れていた方と言葉を交わすと、御住まいが山がちな地域で、標高1000mを伺うような場所だということだった。

↓目の前が海で、平板な海岸部に街が拡がっている当地では「高地」というような様子は考え難い。津波への問題意識が高まってから「海抜Xm」と掲示されるようになっていると思う。この地点は2.3mだそうだ。
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↑稚内駅の直ぐ横に据えられた自販機だ。早朝から深夜迄、一定の利用が見受けられる様子だ。自身も、駅ビルのコンビニが開く以前の列車に乗車する際、この自販機で車内用の飲物を求める場合が在る。

この種の手近なモノには、時に何となく眼が向き、カメラを提げていると撮ってしまう場合も在る。

朝に…(2024.01.18)

最近は「一日の中で天候が少し変わり易い?」という程度に感じる場合も多い。

↓朝は穏やかであった。
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↓こういう様子であれば辺りを歩き廻るのも悪くはないが、雪が些か在って歩き悪い場合も在るので無理はしない。
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↑それでも、穏やかな天候という情況も手伝って、少し除雪、排雪は進んでいるようにも見えた。

↓この時季の、こういう程度の気温で風が微弱という様子は「過ごし易い」と評すべきなのであろう。
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日々、こんな様子を眺め、何となく写真に収めている。

夕べに…(2024.01.17)

夕刻、御近所の御店に御邪魔した。

↓<白霧島>をロックで頂きながらツブを摘まんだ。
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↓カスベの竜田揚げを頂いた。
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↓ナマスを摘まんだ。
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↓更に焼いた餅も加えた鯨汁を頂いた。
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↓焼上がる迄に少し時間も要する「やきとり」こと、大きな鶏モモ肉を焼き上げたモノを頂いた。
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↑非常に美味い肉だが、少し「宗谷の塩」を点けるのも好い。

↓キュウリの一本漬けを摘まんだが、何やら見た目が「龍」のようでもあった。面白い。
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↓こういうような、悠然と夕べの一時を過ごす場所というのは、非常に有難い感じだ。
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映り込み…:大阪駅周辺(2023.12.30)

少し暗くなるような頃、天神橋筋六丁目駅周辺から歩き、大阪駅の辺り迄出てみた。

↓高層建築、大型の建築が目立つような辺りだと思う。何となく足を停め、見上げて暫し佇んでしまった。
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↑全体に硝子張りな壁だが、“凸”が組み合わさった、単純な平面でもない形状だ。そこに近隣の建物が映り込むのだが、何か不思議な様子に見えた。

こんな「大きな街ならでは?」な様子も少し面白いと思う。
posted by Charlie at 19:05Comment(0)大阪府

六孫王神社…(2023.12.29)

JRまたは近鉄の京都駅で昼食を愉しんだ後に戸外へ出れば、駅の南西寄りな辺りに在った。「JR京都駅」については、京都タワーが視易い側が北寄りで、反対側は南寄りだ。更にその南北の後に東西を考えるような感じだと個人的には思う。昼食を愉しんだ辺りは、近鉄の列車が発着するやや西寄りな辺りから地上に降りたような、少し西寄りな辺りであった。

↓その京都駅の南西寄りな辺りを少し西側へ進むとこういうようなモノに行き当たる。
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↑「六孫王神社」は「ろくそんのうじんじゃ」と読む。

「六孫王」とは源経基(生年不詳―961年)という人物のことであるという。他界した時は45歳であったとも伝えられる。

源経基は清和天皇の第6皇子の子であり、皇族として「六孫王」と称していて、後に臣籍に下って源姓を賜って源経基と名乗ったのだという。源経基は、所謂「清和源氏」の始祖とされる。

↓鳥居や社殿が見える辺りに歩を進めた。
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↓無事のここを訪ねられたことに感謝の意を評しながら参拝した。
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↓清和源氏の始祖を祀った神社で、何か「強い力」というような何かを感じる場所でもあった。
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↓参拝して御朱印を頂いた。右の頁である。
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何か「“貴族”としての“武家”」という独自な存在感を示していた源氏の一族の根源を感じさせるような神社であると感じた。この種の場所に寄ってみるのは興味深いものだ。
posted by Charlie at 02:51Comment(0)京都府

粟田神社…(2023.12.29)

「京の七口」と呼ばれるモノが在る。厳格に定まっているのでもないが、京都と他地域とを結ぶ経路の出入口となっている場所を指し示す。“鞍馬口”、“大原口”、“荒神口”、“粟田口”、“竹田口”、“丹波口”、“長坂口”等がそうした場所として知られている。

“粟田口”は三条通に面していて、近世の東海道や中山道に通じる道筋であったのだが、古くから関も設けられていて「粟田口」という呼び方が在ったという。

↓その“粟田口”に粟田神社は在る。
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↓青蓮院門跡に近い辺りに鎮座する神社ということにもなる。
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↓石段と坂道を合わせたような場所を上って参拝する。
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↓立派な御神馬も在る。
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↓古くから「旅立ちの神」ともされるのが、この粟田神社であるらしい。
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↓粟田神社と、辺りで活動した刀鍛冶に関する神社の御朱印を合わせて頂いた。
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この粟田神社は、青蓮院を訪ねた際に「近くに少し大きな神社…」と気付いて立寄った場所だ。出くわして善かったと思う。社寺が多い地域では、こういう「半ば偶然の出会い」が多いように思うが、そういうのも好いと思う。
posted by Charlie at 02:49Comment(0)京都府