地元であっても、出先であっても、愛用のカメラを提げて何となく外を歩き廻る。随意に動く時間の中であろうと、所用の合間であろうと差異は無い。歩き廻って眼に留まった、面白いと思った様子は写真に撮ってしまう。撮った写真を観て、気に入ったモノを取上げて、少し纏めておこうとブログ記事を綴る。
こういうような営為は長く続いてしまっていて、自身にとって「殆ど唯一の道楽」というような様子になっていると思う。そして、近い将来に止めるというような意図は全く無い。何か、「物理的に可能である」という限り続けてみようかという気にさえなっているかもしれない。
或る時、使っていたカメラで簡単にモノクロ写真を撮ることも可能と気付いて、撮ってみると愉しかった。そういう写真が少し集まって、展示する場が欲しくなり、このブログを2016年4月に始めたのだった。そして2017年9月に<X100F>を入手し、2018年9月には<X-Pro2>も加え(以降に幾分の交換レンズは加わった…)、新たな機材に切替えて行った経過が在るのだが、その中でモノクロ写真を撮る割合が次第に増えた。
<X100F>や、<X-Pro2>には新旧様々なフィルムで撮る画の調子を再現するという「フィルムシミュレーション」という機能が備えられている。その機能で「モノクロフィルムのACROS」というモノが在って、気に入って多用するようになって行った。そのうちに、普段からそのモノクロフィルムの調子で写真を撮り、気が向いた時に「フィルムシミュレーション」を切り替えてカラー写真を撮るというような感じになって行った。何時の間にか、例えば「100枚撮った日に、カラーは15枚で残り85枚がモノクロ」という様子も頻発するようになっていた。
そういうようになると、このブログに画とコメントの記事を綴って掲載する機会が多くなり、記事件数も自ずと増えては行く。こういう営為は「面白いから続けている」という以上でも以下でもない。可能な範囲で出来るようにやっていることで、“背伸び”のような無理をしているのではない。そういうのが続く中で、何時の間にか「X千件」というように記事件数が積み上る。
このブログを2016年4月に始めた頃から、7年が過ぎている。その期間で、記事件数は9200件を超えていた。昨2023年12月、「もう直ぐ9千件?」ということに気付いてはいた。が、特段い話題にしてみるという程のこともせず、放っておくと9200件を超えていたのだった。単純な計算ではあるが、このブログを始めた頃から最近迄の期間で「年間に千件以上」ということで記事を綴ったことになる。「年間に千件」としても「毎日3件弱」という感じだ。
こういうような様子に関して、何か目標のようなモノ―例えば「毎日3件の記事を綴ると年間で千件」というようなことを意識するようなこと…―を持ちながら臨んでこうなった訳ではない。気が向くように、気が済むように記事を綴り続けていれば「何時の間にか」ということでこういう水準になってしまったのだ。
このブログを2016年4月に始めた頃には、その時点で溜まっていたモノクロ写真に関する記事を、気が向くままに綴って出し続けていた。やがて、地元の稚内や、その他の出先で撮った画で気に入ったモノを順次取上げるようになって行ったのだ。
写真を出して何事かを綴って記事化する際、「カテゴリ」を設定した。「写真撮影地の都道府県」という「カテゴリ」を設定することにしてみた。北海道に関しては、「過ぎる程に広い」という様子、「或る程度、頻繁に出入りする複数の地域が在る」ことに鑑み、例えば「北海道/札幌」、「北海道/旭川」という具合に「北海道/〇〇」と北海道内の地域名を添える形にした。と言って、然程記事件数が増えるでもない地域の名を取上げてカテゴリを設けるのも際限無いので、「北海道/その他」というカテゴリも設定している。結果的に、北海道内で移動する場面の様子の画が集まるようになっていると思う。
そして「カテゴリ」を設定する際の原則ということにした「写真撮影地の都道府県」という事柄を明らかに逸脱する画が少し増え始めた。国外で活動する機会が多少増えた時期が在り、その際に撮った写真をこちらで記事化し始めた。それらの記事を収めたのが「ロシア/サハリン州」、「ロシア/沿海地方」である。これらはサハリンの諸地域やウラジオストクを訪ねた際の画を使った記事を収めた「カテゴリ」だ。
これら以外は概ね「カテゴリ」を設定する際の原則に沿った「写真撮影地の都道府県」ということで設定している。北海道の他に国内には1都2府43県在る。未だそれら全ての「カテゴリ」が設けられているのでもない。「そう言えば訪ねていない…通過した経過も無い…」という場所や、「随分以前に訪ねているが、このブログに掲載する写真が無い」という場所、「列車で通り過ぎた…筈…」または「飛行機で上空を通過した…筈…」という次元の場所も意外に多く在るかもしれない。そういう場所に関しては、訪ねて写真を撮って、綴りたい事柄が生じた段階で「カテゴリ」を新設し、新設した「カテゴリ」に記事を投稿している。
最近、新たに「埼玉県」、「富山県」、「石川県」、「福井県」の各「カテゴリ」が加わった。「石川県」については、移動の途次の金沢駅で撮った画に関する5件の記事を収めたに留まるが、他は「この地域に出会って善かった」と振り返るような内容を含んでいると思う。
「写真撮影地の都道府県」ということで設定している「カテゴリ」の内容も様々であると思う。
具体的には駅や空港等の画ということになる「移動の様子」、移動中に何処かで少し動き廻ったというような「移動の途次の見聞」ということに留まり、記事件数が少な目な例が在る。「宮城県」、「岐阜県」、「徳島県」がそういう例に相当すると思う。
記事件数が少な目な例として、「数件が何回か繰り返されて現時点の件数に至る」という例も見受けられる。これらには「移動の途次の見聞」というように断定もし悪いような内容が交る。「千葉県」、「神奈川県」、「三重県」がそういう例に相当すると思う。
更に、やや旧い限られた数の画を掲載する際に設けられた「カテゴリ」で、当該地域を再訪するような機会を設けられず、画や記事が増えていないという例も在る。「北海道/根室」、「熊本県」、「宮崎県」がそういう例に相当すると思う。
こういう記事件数が少ない「カテゴリ」という例の他方に、記事件数の多さが際立つ「カテゴリ」が見受けられる。
「北海道/稚内」は、地元でさり気なく撮る写真を含むので、記事件数としては圧倒的に多い。これは他地域へ転出するということでもなければ、このまま記事件数が増えるのであろう。
「転出」ということでもないが、一時的にユジノサハリンスクで活動する日が多かった時期が在る。「ロシア/サハリン州」はその時期の画による記事が大半だ。
「北海道/稚内」と「ロシア/サハリン州」は、現在時点で「4桁の記事件数」で両者が全記事の56%程度を占めている。
最初に話題にした少し記事件数が少ない「カテゴリ」、記事件数の多さが際立つ「カテゴリ」との間に、各々の積み重ねで現在に至っている様々な「カテゴリ」が在る訳だ。
結局は「多目な回数の訪問」で、「訪問時に随分と写真を撮った」という場所に纏わる「カテゴリ」に記事件数は多くなる。「北海道/〇〇」の中にそれに該当する例が幾分在る。他に「奈良県」、「大阪府」、「京都府」も該当するであろう。
本当に「何時の間にか」で随分と記事件数が積み上ったブログだが、振り返って以前の記事を見ると、現在では視る機会が少ないモノ、間もなく観られなくなるモノが写っているという「半ば史料?」も見受けられるようになっていて興味深い。が、何と言っても各々の画に在る様子に出くわした場面が生き生きと蘇って愉しい。このブログを綴る、最大にして唯一の理由らしい理由かもしれない。
朝に…(2024.01.19)
<OSAKA STATION CITY>…:大阪駅を望む(2023.12.30)
大阪駅を望み易いような場所を求めて辺りを歩いた。
↓こんな看板に出くわした。
↑色々なテナントが入っているので、大阪駅を総称して「ステーションシティー」と称しているのだろうとは思う。が、1日の利用者数が58万人にも及ぶという、関西では群を抜いて大きな駅は、最早「大阪駅“市”」とでも呼びたいような人の出入りだと思う。日本国内の数多くの“市”を見渡せば、大阪駅の1日の利用者数に遠く及ばないような場所の方が多数派ではないかという気がする。
↓夥しい数の人やモノが流れ、多くの列車が間断無く発着し、バスやタクシーや、その他の車輌も多々行き交っている大阪駅だ。何か“街”という巨大な生物の“血流”が滲む場所というような気もした。
時にはぼんやりとこういう様子を眺めてみるのも悪くはない。
↓こんな看板に出くわした。
↑色々なテナントが入っているので、大阪駅を総称して「ステーションシティー」と称しているのだろうとは思う。が、1日の利用者数が58万人にも及ぶという、関西では群を抜いて大きな駅は、最早「大阪駅“市”」とでも呼びたいような人の出入りだと思う。日本国内の数多くの“市”を見渡せば、大阪駅の1日の利用者数に遠く及ばないような場所の方が多数派ではないかという気がする。
↓夥しい数の人やモノが流れ、多くの列車が間断無く発着し、バスやタクシーや、その他の車輌も多々行き交っている大阪駅だ。何か“街”という巨大な生物の“血流”が滲む場所というような気もした。
時にはぼんやりとこういう様子を眺めてみるのも悪くはない。
通路…:阪神電車梅田駅&大阪駅周辺(2023.12.30)
新風館…(2023.12.29)
↓何か、少し古くからの歴史を誇る大学か何かの建物を想わせる雰囲気だ。
↓南北に延びる烏丸通と東西に延びる御池通が交差する辺りの地下鉄の烏丸御池駅から少し南側、御池通と三条通との間辺りというような場所に建っている建物だ。
この建物は1926年に竣工し、1931年に増築されたという「京都中央電話局」である。「電話局」の名のとおり電話交換業務が行われる場所であったそうだ。やがてNTTの前身である電電公社が利用していた。その後、改築されて<新風館>という商業施設となり、2001年から2016年迄営業した。2020年に再度の改築で、商業施設として開業して現在に至っている。
↓地下2階、地上7階で高さは31mも在るそうだ。
↓「中庭」というような設えの場所も在って、面白い場所だ。
現在は各種の小売店やカフェ、そしてホテルが入っている。京都では何度か立寄っている。少し雰囲気が好い場所だ。
↓南北に延びる烏丸通と東西に延びる御池通が交差する辺りの地下鉄の烏丸御池駅から少し南側、御池通と三条通との間辺りというような場所に建っている建物だ。
この建物は1926年に竣工し、1931年に増築されたという「京都中央電話局」である。「電話局」の名のとおり電話交換業務が行われる場所であったそうだ。やがてNTTの前身である電電公社が利用していた。その後、改築されて<新風館>という商業施設となり、2001年から2016年迄営業した。2020年に再度の改築で、商業施設として開業して現在に至っている。
↓地下2階、地上7階で高さは31mも在るそうだ。
↓「中庭」というような設えの場所も在って、面白い場所だ。
現在は各種の小売店やカフェ、そしてホテルが入っている。京都では何度か立寄っている。少し雰囲気が好い場所だ。
烏丸御池駅…(2023.12.29)
↓地下鉄駅の通路というモノは、何処であっても独特な“雰囲気”が在る。
↑京都の街を行き交う地下鉄は烏丸線と東西線との2路線だが、両路線が交差する乗換駅が烏丸御池駅だ。
↓「埋蔵文化財」について紹介している銘板が在った。
↑長い歴史を経ていて、様々なモノが土中に埋まっているという京都だ。「地下鉄工事」となると、そういう埋まっているモノの中に混じる「文化財」の調査が必要で、なかなかに苦労が多かったらしい。
何となく思ったのは、「埋蔵文化財」そのものも大切だが、「発掘調査のようなことをしながら工事を進めた地下鉄」という「歴史」が興味深い。何処の地域でも、地下を掘れば意外なモノが出て来る場合は多かろうが、京都は格別であるように思える。
各地でこういう様子に触れるのも興味深い。
↑京都の街を行き交う地下鉄は烏丸線と東西線との2路線だが、両路線が交差する乗換駅が烏丸御池駅だ。
↓「埋蔵文化財」について紹介している銘板が在った。
↑長い歴史を経ていて、様々なモノが土中に埋まっているという京都だ。「地下鉄工事」となると、そういう埋まっているモノの中に混じる「文化財」の調査が必要で、なかなかに苦労が多かったらしい。
何となく思ったのは、「埋蔵文化財」そのものも大切だが、「発掘調査のようなことをしながら工事を進めた地下鉄」という「歴史」が興味深い。何処の地域でも、地下を掘れば意外なモノが出て来る場合は多かろうが、京都は格別であるように思える。
各地でこういう様子に触れるのも興味深い。