↓朝に戸外の様子を視て多少驚いた。
↓俄かな気温上昇で変わった様相だったが、逆に俄かに気温低下でまた様相が変わった。
「プラス7℃」が「0℃以下」である。1日で大きく変わった感だ。積雪期にこういうような気温変化が見受けられると、足元が酷く悪くなる。
稚内港北防波堤ドーム…(2024.02.14)
夕べに…(2024.02.13)
早朝の路上…(2024.02.14)
駐車場…:夕刻に(2024.02.13)
夕べに…(2024.02.12)
土曜日、日曜日、祝日の代休となる月曜日という形の3連休で、その第3日の夕べであった。
日中の陽射しで積雪表面が融け、日没後にそうした箇所が凍るというような様子で、何やら「辺りが硬く凍ってしまっている」という様子だった。気になる程の降雪と積雪が交らない日が少し続いていた。
こういう「3連休の第3日」の夕べは、営業を休んでいる御店が寧ろ多い感でもあり、最初から然程多い訳でもない通行人も更に少なく、変に静かな感じだった。
↓馴染んだ御店が営業していたので立寄った。御通しを摘まんで<白霧島>を頂きながら料理を待つ。
↓煮魚…カレイの一種のナメタを頂いた。これが凄く気に入っている。
↑登場頻度は低くないナメタであると思うが、それでも「在る時のみ」なので、頂くことが叶うと嬉しい。
↓フグの唐揚だ。魚に塩味を付け、衣を点けて揚げる。「アッサリ仕上げ」なのが好いのだ。淡白な白身はこういう仕上げが好いと思う。
↑稚内近辺も含め、日本海の北方でもフグの漁獲は在る。然程多いのでも無いようだが。という訳で、この御店にも入荷するが、頻度はやや低目かもしれない。
↓もう1点、御通しが登場したので摘まんだ。
↓デザート感覚でイモモチを頂いた。
↓永く利用している御近所の御店に、自身の休業日に立寄って寛ぐのは嬉しいものだ。
日中の陽射しで積雪表面が融け、日没後にそうした箇所が凍るというような様子で、何やら「辺りが硬く凍ってしまっている」という様子だった。気になる程の降雪と積雪が交らない日が少し続いていた。
こういう「3連休の第3日」の夕べは、営業を休んでいる御店が寧ろ多い感でもあり、最初から然程多い訳でもない通行人も更に少なく、変に静かな感じだった。
↓馴染んだ御店が営業していたので立寄った。御通しを摘まんで<白霧島>を頂きながら料理を待つ。
↓煮魚…カレイの一種のナメタを頂いた。これが凄く気に入っている。
↑登場頻度は低くないナメタであると思うが、それでも「在る時のみ」なので、頂くことが叶うと嬉しい。
↓フグの唐揚だ。魚に塩味を付け、衣を点けて揚げる。「アッサリ仕上げ」なのが好いのだ。淡白な白身はこういう仕上げが好いと思う。
↑稚内近辺も含め、日本海の北方でもフグの漁獲は在る。然程多いのでも無いようだが。という訳で、この御店にも入荷するが、頻度はやや低目かもしれない。
↓もう1点、御通しが登場したので摘まんだ。
↓デザート感覚でイモモチを頂いた。
↓永く利用している御近所の御店に、自身の休業日に立寄って寛ぐのは嬉しいものだ。
<広東麺>…(2024.02.12)
「北海道/稚内」=4000…(2024.02.14)
このブログは方々で撮影したモノクロ写真を展示するというような趣旨で始めた。撮影した場所やモノに関すること、撮影した時の様子や行動等を記事に綴っている。この記事に関しては、概ね「写真の撮影地」という基準で“カテゴリ”に分類するようにしている。
「写真の撮影地」という基準で設けるカテゴリだが、概ね「都道府県別」ということにしている。訪ねたことが在る、言葉を換えるとこのブログに掲載すべき写真を撮った経過が在る場所をカテゴリの呼称として挙げている。訪ねた、通り過ぎた経過が在っても、このブログに掲載すべき写真を撮っていない場所、または「未踏の地」のカテゴリは無い。そうしたカテゴリが無い状態であった箇所に関して、写真を撮る機会が生じて、新規にカテゴリを設けて記事を綴って公開するというのも存外に愉しいものだ。
日本国内を離れて撮った写真を使っている分には「ロシア/サハリン州」、「ロシア/沿海地方」というのも在るが、これは目下のところ少し例外的だ。“例外的”ということでは「北海道」が在る。広大な北海道の中では、北海道内に住んでいても縁が薄い場所は自ずと在る。他方、幾つかの場所には或る程度の頻度で立寄り、好きなことなので写真も撮り、写真点数や記事も増える。そこで「北海道/〇〇」という体裁で、「北海道内の色々な場所」を挙げている。一部に「分類がやや煩わしい…」として「北海道/その他」いうカテゴリを設定し、そこに纏めてしまっている例も在る。
出先で写真を撮ることを愉しみ、それらを展示したい他方、地元でも日頃から写真を撮っている。そうした写真に関しては「北海道/稚内」というカテゴリに纏めている。
「北海道/稚内」というカテゴリには「稚内で撮った写真を使っている」という基準だけで記事を集めている。辺りを散策した際に観た景色、時に景色が佳い場所に出てみた際に観た様子という辺りから、頻繁に見る稚内駅前の温度計、何気なく撮る近所等の景色、昼食や夕食のテーブルでの料理、愛用している品物や衣類、求めて気に入った土産品の類等々、稚内で撮った画は何でも在る。そういうことを重ねていれば、夥しい件数が何時の間にか積み上る。何時の間にかそれは「4000件」となった。現在時点で、このブログの記事全般の概ね4割3分ということになっている。
「4000件」も積み上ると「最初の記事?」という程度のことを思う。
「北海道/稚内」としての最初の記事は2016年4月23日に出していた。
↓2014年10月11日撮影の画を使っていた。
2016年頃、このブログを始めた年という頃の写真を何となく眺めると少し愉しい。
↓2016年7月6日の祭の催事という画である。
↓2017年2月20日撮影の画だが、現在では走っていない、確か外国に輸出したという車輌が稚内駅に現れた様子である。
↑こういうように「或る種の史料」という様相さえ呈する場合も在る訳で、「個人の道楽の写真」というのも一定の価値は在るかもしれない。
このブログを始める何年か前から、P7700というカメラを愛用していた。X100F、X-Pro2を多用する前は専らP7700だった。X100Fを入手した後も暫くはP7700を併用した。P7700を使っていた時期は、カメラに着いているズームレンズの機能を駆使して「望遠側で被写体に寄ってみる」ということも少し頻繁に行っていたかもしれない。
因みにX100Fを入手したのは2017年9月で、X-Pro2を入手したのはその翌年の2018年9月だった。その頃になると、カメラを何となく持って出て、撮る写真をモノクロにする割合が大きくなって行った。そして現在に至っている。
「北海道/稚内」というカテゴリの記事が「4000件」となった。これは「目指していた」ということでもない。「何時の間にか積み上った」ということ以上でも以下でもない。今後も記事はドンドン積上げられるのだと思う。
結局、「何となくカメラを提げて出て、気が向く都度に写真を撮る」という程度のことをするのが愉しいのだ。愉しいから繰り返し、やがて撮った画を展示しようと何事かを綴って記事化する。ただそれだけのことだ。何時迄続くのかは知らないが…
「写真の撮影地」という基準で設けるカテゴリだが、概ね「都道府県別」ということにしている。訪ねたことが在る、言葉を換えるとこのブログに掲載すべき写真を撮った経過が在る場所をカテゴリの呼称として挙げている。訪ねた、通り過ぎた経過が在っても、このブログに掲載すべき写真を撮っていない場所、または「未踏の地」のカテゴリは無い。そうしたカテゴリが無い状態であった箇所に関して、写真を撮る機会が生じて、新規にカテゴリを設けて記事を綴って公開するというのも存外に愉しいものだ。
日本国内を離れて撮った写真を使っている分には「ロシア/サハリン州」、「ロシア/沿海地方」というのも在るが、これは目下のところ少し例外的だ。“例外的”ということでは「北海道」が在る。広大な北海道の中では、北海道内に住んでいても縁が薄い場所は自ずと在る。他方、幾つかの場所には或る程度の頻度で立寄り、好きなことなので写真も撮り、写真点数や記事も増える。そこで「北海道/〇〇」という体裁で、「北海道内の色々な場所」を挙げている。一部に「分類がやや煩わしい…」として「北海道/その他」いうカテゴリを設定し、そこに纏めてしまっている例も在る。
出先で写真を撮ることを愉しみ、それらを展示したい他方、地元でも日頃から写真を撮っている。そうした写真に関しては「北海道/稚内」というカテゴリに纏めている。
「北海道/稚内」というカテゴリには「稚内で撮った写真を使っている」という基準だけで記事を集めている。辺りを散策した際に観た景色、時に景色が佳い場所に出てみた際に観た様子という辺りから、頻繁に見る稚内駅前の温度計、何気なく撮る近所等の景色、昼食や夕食のテーブルでの料理、愛用している品物や衣類、求めて気に入った土産品の類等々、稚内で撮った画は何でも在る。そういうことを重ねていれば、夥しい件数が何時の間にか積み上る。何時の間にかそれは「4000件」となった。現在時点で、このブログの記事全般の概ね4割3分ということになっている。
「4000件」も積み上ると「最初の記事?」という程度のことを思う。
「北海道/稚内」としての最初の記事は2016年4月23日に出していた。
↓2014年10月11日撮影の画を使っていた。
2016年頃、このブログを始めた年という頃の写真を何となく眺めると少し愉しい。
↓2016年7月6日の祭の催事という画である。
↓2017年2月20日撮影の画だが、現在では走っていない、確か外国に輸出したという車輌が稚内駅に現れた様子である。
↑こういうように「或る種の史料」という様相さえ呈する場合も在る訳で、「個人の道楽の写真」というのも一定の価値は在るかもしれない。
このブログを始める何年か前から、P7700というカメラを愛用していた。X100F、X-Pro2を多用する前は専らP7700だった。X100Fを入手した後も暫くはP7700を併用した。P7700を使っていた時期は、カメラに着いているズームレンズの機能を駆使して「望遠側で被写体に寄ってみる」ということも少し頻繁に行っていたかもしれない。
因みにX100Fを入手したのは2017年9月で、X-Pro2を入手したのはその翌年の2018年9月だった。その頃になると、カメラを何となく持って出て、撮る写真をモノクロにする割合が大きくなって行った。そして現在に至っている。
「北海道/稚内」というカテゴリの記事が「4000件」となった。これは「目指していた」ということでもない。「何時の間にか積み上った」ということ以上でも以下でもない。今後も記事はドンドン積上げられるのだと思う。
結局、「何となくカメラを提げて出て、気が向く都度に写真を撮る」という程度のことをするのが愉しいのだ。愉しいから繰り返し、やがて撮った画を展示しようと何事かを綴って記事化する。ただそれだけのことだ。何時迄続くのかは知らないが…
夕刻:大黒3丁目停留所周辺…(2024.02.13)
朝に…(2024.02.13)
波止場横丁の夕べ…(2024.02.11)
↓休業日の午後、サウナを利用して一息入れ、一寸道草というのが定番だ。「午後4時頃」が少し明るい感じになっている昨今だ。
↓午後4時開店の馴染んだ暖簾を潜る。
↓着席してハイボールを頂く。
↓御通しは“カジカ”である。こういうモノも好い。
↓おでんを御願いした。この御店では「盛合せ」が供される。
↑今般はさり気なくホタテが入っていた。このおでんが意外に好く、少し気に入っている。
↓数歩移動して2軒目に入る。こういうのが<波止場横丁>の魅力の一つだ。
↑ハイボールを頂きながら、大阪の鶴橋の御店でも採用されている仕様のキムチを摘む。
↓大阪の流儀のドテ煮を摘まむのが好い。
↓色々と沖縄県関係のモノが入った。
↓炭酸で割ると「沖縄の味」なサワーになるというモノが在った。
↓「塩パイン」、「ハイビスカス」、「たんかん」と様々なモノをサワーで次々と頂いた。
↓更に数歩移動で3軒目に入った。ここでは<さくら白波>が御気に入りだ。
↓こういう回数券を使う仕組みになっている。
↓一寸した“おつまみ”も御願いした。
↓ホタルイカが好かった。
↓2軒目の御店から“板わさ”を取寄せた。蒲鉾も好い感じだ。
何となくゆっくりと夕べを過ごし、足元が好くない中で慎重に引揚げた。休業日の夕べに、こういうのは好い。
↓午後4時開店の馴染んだ暖簾を潜る。
↓着席してハイボールを頂く。
↓御通しは“カジカ”である。こういうモノも好い。
↓おでんを御願いした。この御店では「盛合せ」が供される。
↑今般はさり気なくホタテが入っていた。このおでんが意外に好く、少し気に入っている。
↓数歩移動して2軒目に入る。こういうのが<波止場横丁>の魅力の一つだ。
↑ハイボールを頂きながら、大阪の鶴橋の御店でも採用されている仕様のキムチを摘む。
↓大阪の流儀のドテ煮を摘まむのが好い。
↓色々と沖縄県関係のモノが入った。
↓炭酸で割ると「沖縄の味」なサワーになるというモノが在った。
↓「塩パイン」、「ハイビスカス」、「たんかん」と様々なモノをサワーで次々と頂いた。
↓更に数歩移動で3軒目に入った。ここでは<さくら白波>が御気に入りだ。
↓こういう回数券を使う仕組みになっている。
↓一寸した“おつまみ”も御願いした。
↓ホタルイカが好かった。
↓2軒目の御店から“板わさ”を取寄せた。蒲鉾も好い感じだ。
何となくゆっくりと夕べを過ごし、足元が好くない中で慎重に引揚げた。休業日の夕べに、こういうのは好い。
<味噌チャーシュー>…(2024.02.11)
夕べに…(2024.02.10)
休業日と祝日とが重なる日が在り、その“代休”というようなことで土曜日が休業日になった。久し振りに土曜日が普通な休業日なので、何となく長閑に過ごしていたが、日中の時間帯に少し寝入ってしまった。何も食べずに夕刻に至ったような様子になっていた。
↓夕刻に少し食べたが、もう少し何かを頂いてみたい気分になり、御近所へ出てみた。
↑傘が少な目になった積雪は、表面が硬く凍ったような様子になっていた。
↓御通しを摘まんでハイボールを頂いた。
↓とりあえずシーザーサラダを頂くのが定番だ。
↓イカ塩辛を摘まむ。
↓タコめしは外せない。
↓半ばデザートのような感覚で鰊切込を摘まんだ。
程々に食べて飲み、ゆったりと、と言うより足元に注意しながら慎重に引揚げたのだった。
↓夕刻に少し食べたが、もう少し何かを頂いてみたい気分になり、御近所へ出てみた。
↑傘が少な目になった積雪は、表面が硬く凍ったような様子になっていた。
↓御通しを摘まんでハイボールを頂いた。
↓とりあえずシーザーサラダを頂くのが定番だ。
↓イカ塩辛を摘まむ。
↓タコめしは外せない。
↓半ばデザートのような感覚で鰊切込を摘まんだ。
程々に食べて飲み、ゆったりと、と言うより足元に注意しながら慎重に引揚げたのだった。
南駅前停留所…(2024.02.10)
夕べに…(2024.02.09)
<ROYカレー>…(2024.02.10)
キャンドル…:稚内市立図書館(2024.02.10)
夕べに…(2024.02.08)
成田山川越別院…(2023.12.25)
案内所で頂いた地図を頼みに、川越の街を色々と歩き廻っていた。冬の好天という中、歩き廻るのは心地好かった。
↓少し大きな不動明王が道路から見えるような感じで据えられていた。「寺?」というような様子だった。
↓少し歩を進めると門が在った。「成田山川越別院」ということだった。
↑1853(嘉永6)年に廃寺になっていた寺を、成田山新勝寺の別院として再興し、不動明王を本尊とするようにしたのが起こりであるという。再興に携わった石川照温は視力を失って絶望していた時に不動明王を見て、生活を改めて修行を積んでみたところ視力が回復したという経験をしたそうだ。そうしたことから不動明王を祀ったのだという。
↓弘法大師の画や像で、右手に持っている場合が多い五鈷杵(ごこしょ)という法具の大きなモノが在った。強力な魔を払うモノなのだという。
↓川越で不動明王や弘法大師の寺に出会ったことに感謝し、本堂で参拝した。
↓御朱印を頂いた。
↓こういう弘法大師のイラストが入ったモノも御願いした。
↑弘法大師(774-835)の生誕1250年ということで用意されたシリーズだという。
寺に立寄るというのも好い。そして参拝し、御朱印を頂くというのは更に好い。今般、川越が気に入ってしまったが、時々様子を想い起し、再訪を期したい。
↓少し大きな不動明王が道路から見えるような感じで据えられていた。「寺?」というような様子だった。
↓少し歩を進めると門が在った。「成田山川越別院」ということだった。
↑1853(嘉永6)年に廃寺になっていた寺を、成田山新勝寺の別院として再興し、不動明王を本尊とするようにしたのが起こりであるという。再興に携わった石川照温は視力を失って絶望していた時に不動明王を見て、生活を改めて修行を積んでみたところ視力が回復したという経験をしたそうだ。そうしたことから不動明王を祀ったのだという。
↓弘法大師の画や像で、右手に持っている場合が多い五鈷杵(ごこしょ)という法具の大きなモノが在った。強力な魔を払うモノなのだという。
↓川越で不動明王や弘法大師の寺に出会ったことに感謝し、本堂で参拝した。
↓御朱印を頂いた。
↓こういう弘法大師のイラストが入ったモノも御願いした。
↑弘法大師(774-835)の生誕1250年ということで用意されたシリーズだという。
寺に立寄るというのも好い。そして参拝し、御朱印を頂くというのは更に好い。今般、川越が気に入ってしまったが、時々様子を想い起し、再訪を期したい。
夕べに…(2024.02.07)
朝に…(2024.02.08)
夕べに…(2024.02.06)
興福寺の金剛力士像の御朱印帳…(2023.12.25)
↓奈良の興福寺の<国宝館>に金剛力士像が在る。その像の画が入った御朱印帳が在る。
↓裏の表紙にも画が入っている。
↓興福寺で御朱印帳を求め、早速使い始めたのだった。
↓直接に寺を訪ねた時のこと、そしてその前後の様々な事も合わせて、御朱印を眺めると思い出すことが出来ると思う。
↓奈良や京都の後、川崎大師こと平間寺を訪ねたということが在った。
↓川崎大師では計3箇所の御朱印を頂いた。
↓東京の高野山別院、暫く感覚が開いて京都の蘆山寺を訪ねて参拝している。
↓蘆山寺は、最近のテレビドラマで取上げられている紫式部に所縁の場所とされていて、最近は注目されているらしい。
↓2023年4月に立寄っている長浜や京都の想い出が蘇る御朱印だ。
↓旭川でも寺を訪ねてみた。
↓幾つか御朱印を集めることになった。
↓年に何度も立寄っている旭川で寺に親しむというのも好いかもしれない。
↓そして川越である。
↓末尾に弘法大師の画が入ったモノということになった。
御朱印は寺を訪ねた証、記録であり、見れば訪ねた想い出が蘇るというモノである。大切にしたい感だ。
↓裏の表紙にも画が入っている。
↓興福寺で御朱印帳を求め、早速使い始めたのだった。
↓直接に寺を訪ねた時のこと、そしてその前後の様々な事も合わせて、御朱印を眺めると思い出すことが出来ると思う。
↓奈良や京都の後、川崎大師こと平間寺を訪ねたということが在った。
↓川崎大師では計3箇所の御朱印を頂いた。
↓東京の高野山別院、暫く感覚が開いて京都の蘆山寺を訪ねて参拝している。
↓蘆山寺は、最近のテレビドラマで取上げられている紫式部に所縁の場所とされていて、最近は注目されているらしい。
↓2023年4月に立寄っている長浜や京都の想い出が蘇る御朱印だ。
↓旭川でも寺を訪ねてみた。
↓幾つか御朱印を集めることになった。
↓年に何度も立寄っている旭川で寺に親しむというのも好いかもしれない。
↓そして川越である。
↓末尾に弘法大師の画が入ったモノということになった。
御朱印は寺を訪ねた証、記録であり、見れば訪ねた想い出が蘇るというモノである。大切にしたい感だ。
排雪作業…:大黒3丁目から大黒4丁目の辺り(2024.02.07)
建物…(2024.02.07)
↓朝、辺りを歩いて眼に留まった辺りで足を停めて暫し眺めた。
↑右側の建物から出火で大きな被害が生じ、左の建物にも被害が及んでいる。
右側の建物は老舗の喫茶店として知られていたが、店主氏が他界後に閉店し、少し経ってから別な飲食店が居抜で利用し始め、なかなかの人気店であった場所だ。
2月2日だった。金曜日の少し暗くなった時間帯に、出ていた辺りから引揚げてみると「赤いランプ」が見えて、警察車輛と判った。路面状態が好いでもない中なので「交通事故?」という程度に思ったが、やがて画の建物に通じる辺りに大きな消防車輛が在ることが判った。火災であると理解した。
↓とりあえず、焼け残った建物を取り壊して片付け、「以降は?」と検討する他に無いような状況になってしまっている。
被災してしまった建物に入っていた御店には、嘗ての喫茶店も、最近の飲食店も各々に時々立寄っていた想い出が在る場所なので、こんな有様を視るのは哀しい。が、こういう様子も「辺りの移ろいの一環」として直視せざるを得ないのかもしれない。
この場所の様子は見守って行きたい。
↑右側の建物から出火で大きな被害が生じ、左の建物にも被害が及んでいる。
右側の建物は老舗の喫茶店として知られていたが、店主氏が他界後に閉店し、少し経ってから別な飲食店が居抜で利用し始め、なかなかの人気店であった場所だ。
2月2日だった。金曜日の少し暗くなった時間帯に、出ていた辺りから引揚げてみると「赤いランプ」が見えて、警察車輛と判った。路面状態が好いでもない中なので「交通事故?」という程度に思ったが、やがて画の建物に通じる辺りに大きな消防車輛が在ることが判った。火災であると理解した。
↓とりあえず、焼け残った建物を取り壊して片付け、「以降は?」と検討する他に無いような状況になってしまっている。
被災してしまった建物に入っていた御店には、嘗ての喫茶店も、最近の飲食店も各々に時々立寄っていた想い出が在る場所なので、こんな有様を視るのは哀しい。が、こういう様子も「辺りの移ろいの一環」として直視せざるを得ないのかもしれない。
この場所の様子は見守って行きたい。