夕べに…(2024.02.03)

↓何か低温が「安定的」に続く感じだ。然程多くの雪は降らないが、凍った道路面等が薄い雪で覆われる感じになっている。
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↓立寄った御近所の御店で、シーザーサラダを頂いた。
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↓寒い夕べに似合うモツ煮込みを摘まんだ。
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↓気に入っている鳥串を頂いた。
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↓イカ塩辛を摘まむ。
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↓そしてタコめしは外せない。
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こういうような「何時もの感じ」が酷く有難い。

夕べに…(2024.02.02)

↓夕刻に、馴染んだ御近所の御店に立寄った。
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↓チリソースを点けて頂くエビ春巻を頂いた。
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↓手羽先揚げも気に入っている。
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↓「うちのペペロンチーノ」と名付けられたスパゲッティを愉しんだ。
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↓薬味が色々と載った冷奴をデザート感覚で頂いた。
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こういう御近所の馴染んだ場所というのは好いものだ。

<菜の花とベーコンのペペロンチーノ風>…(2024.02.04)

不意に思い出した。随分と以前、御近所の御店で、店主御夫妻の息子さん達が『仮面ライダークウガ』の敵役の怪人達が使う“グロンギ語”の真似をして、何やらよく判らないことを言っているということを話題にしていた。あの『仮面ライダークウガ』も、何時の間にか随分と旧い作品になっている。それを愉しんでいたらしい、御近所の御店の店主御夫妻の息子さん達も、現在となっては既に社会人で年月を重ねている。

↓その御近所の御店に立寄った。「季節の御薦め」という感の、<菜の花とベーコンのペペロンチーノ風>を御願いした。
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↑こういうようなスッキリ纏まった感じの一皿は好い…

↓休業日、穏やかな感じであったと思う。
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冬の休業日、よろよろと歩き廻り、馴染んだ御店で食事を愉しんで寛ぐというような様子が、何か酷く愛おしい…そしてそういうことが出来るのが有難い。

「愛国から幸福ゆき」…(2024.01.03)

札幌駅の中に在る売店では、色々と土産の類も売られている例が見受けられる。

↓眼に留めたモノを何となく求めてしまった。
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↓「愛国から幸福ゆき」という往年の乗車券のようなモノが入ったキーホルダーだ。
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↑入る日付は択べる。自身の誕生日ということで「6月6日」が在ったのを択んだ。

↓こういう具合にリュックサックに付けた。
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↓“幸福”というようなモノに行き当たることが叶うのか?これを付けたリュックサックを持って、また何処かへ行ってみたいと思いながら、北上の途に就いたのだった。
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押しボタン…:朝の横断歩道にて(2024.02.01)

↓何となく眼に留まった。
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↑上側に降り積もった雪を載せているような様子になっている、横断歩道の信号機の押しボタンだ。

この種のモノについては、何となく目線を向ける程度で通り過ぎて気に掛けるのでもないと思う。が、日々の天候変化の中で様々な表情を見せているとも思う。時には注視し、場合によっては提げている場合も多いカメラを向けたい感だ。

夕べに…(2024.02.01)

↓些か続いた荒天の際に多くなり、やがて少し気温が上がって少なくなり、また降り積もるという、雪の状態の変化を感じながら夕刻の御近所を歩き廻った。
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↓夕食を愉しむべく、御近所の御店に立寄った。
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↓おでんと生ハムという御通しを摘みながらハイボールを頂いた。
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↓最初にシーザーサラダを御願いするのが恒例化している。
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↓右の豚串、左の鳥串と、御気に入りを愉しんだ。
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↓イカ塩辛を摘まむ。
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↓タコめしは外せない。
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↓鰊切込の誘惑も振り切り悪い。
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↓鮭のおにぎりも頂いた。
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多少「行儀が悪い…」かもしれないが、最近愉しんでいる漫画の本を読んで寛ぎながら、気に入っているメニューをゆったりと頂いていた。こういう時間の過ごし方も好い。

牛たん焼定食…(2024.01.03)

↓休業の期間に出先に在って昼食を摂る場合、料理を待つ間にハイボールを頂くというようなことをすることをしてしまう。
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↓頂いたのは「牛たん焼」だ。
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↓こういう「定食」で頂いた。
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「牛たん焼」と言えば「仙台の流儀」として知られているのかもしれない。余り仙台を訪ねるような機会も設けておらず、何か仙台以外の何処かで見掛けた時に頂いている場合ばかりであるような気がする。

↓旭川駅に直結している商業施設の中に在る飲食店街に、仙台の流儀の牛たん焼を供する御店が在り、少し気に入っている。
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こういうような場所を、少し時間も経っている中で、不意に思い出す場合も在る。

札幌駅を発つ…(2024.01.03)

↓札幌駅でホームに出て行き交う車輌を眺める。
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↑嘗ては新旧様々な車輌が見受けられたような気がするのだが、近年は整理されて、見掛ける車輌の種類もやや少な目になったかもしれない。

↓向こう側に見えている<ライラック>に乗車すると、旭川迄は素早く移動可能だ。が、今般は敢えて違う列車を択んだ。
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↓この列車で岩見沢へ向かい、乗換えて旭川を目指すことにした。
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↓こういうような身軽な荷物を棚に上げて「1人用」の座席に陣取ってみる。
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岩見沢以遠はやや普通列車の本数が少ないのだが、札幌・旭川間は<青春18きっぷ>を手に、身軽で気軽な旅を愉しむには好いかもしれない区間だと思うことも在る。

夕べに…(2024.01.31)

降雪が見受けられたが、「風雪」という様子は免れていたので、稚内港北防波堤ドームの辺りを眺めに出た。そして、その足で夕食を愉しもうと、辺りを歩き廻った。

↓多少の積雪ではあったが、営業中であった御店に立寄ってみた。
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↓密かに「なかなかに美味い!」と好評であるらしい御通しの大根を摘みながらハイボールを頂いた。
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↓牡蠣酢が非常に好い。
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↓鳥皮串焼きが気に入っている。
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↓焼き飯も頂いた。
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雪が降っていても「何時もの…」という場所に立寄って寛ぐというのは好い感じだ。

札幌駅到着…(2024.01.02)

新千歳空港で半ば駆足という感じで飛び乗った列車で、何となく思い描いていたような午後9時半前に札幌駅に着くことが出来た。

↓少しだけ混み合っていたような感じの車内から下りて、少し身体を伸ばしながら乗っていた車輌を眺めた。
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↑この後、この車輛は回送ということになるようだ。

この日は神戸空港から新千歳空港へ飛んだ。神戸空港で搭乗案内を待っていた時、羽田空港での事故が伝えられていた。自身のフライトには何等の影響も無かったのだが、事故によって羽田空港が数時間閉鎖されてしまい、全ての準備が整って発つばかりだった便が「急遽の欠航」という事態も含め、方々の航空便の運航が酷く乱れた。到着した新千歳空港もそういう情況の真只中で、何やら人が溢れて駅も混雑気味で、列車も少し混み合っていたのだった。

そういうようなことが在った日で、札幌駅に着いた場面で、何か安堵感が大きかった。新千歳空港駅で、半ば走り込むように慌ただしく列車に乗ったので、到着した札幌駅では少しゆったりと車輌を眺めた。

牛乳箱…郵便受け…:坂越(2024.01.02)

一頻り「年始休業」で静かな坂越を散策し、坂越駅へ向かおうと歩を進めていた。

↓「古くからの住宅か…」と建物を眺めて、こういうモノを眼に留めた。
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↑かなり褪色した牛乳箱が上に、金属製と見受けられる郵便受けが下に各々据えられている。

何れも、何か味わい深い。こういうモノを眼に留めながら、出先の街を歩き廻ってみるというのが好い。

朝に…(2024.02.01)

前夜の雪という様子の後だった。多少の積雪の中を歩き廻った。

↓存外に風が強く、そして気温が下がっていた。
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↓降雪は落ち着いていたが、少し低温な際に見受けられる粒子が細かい雪が、風に舞うような様子も見受けられた。
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↓「2月」とでも聞けば「寒さが厳しい」と連想するが、その連想のとおりというようになった。
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宝珠山妙見寺…:坂越(2024.01.02)

麓に近い辺りに大避神社(おおさけじんじゃ)が在る宝珠山を上る。普通に上る道は在る。

↓こういう場所に行き当たる。
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↑山の高い辺りが寺になっている。

↓この観音堂が知られる妙見寺である。
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妙見寺は8世紀に行基が開いたと伝えられている。それが受継がれて、1440年代頃には宝珠山の山腹に16の坊舎と9つの庵を構えた大寺であったという。が、1485(文明17)年には僧兵一揆が在って、建物の多くが焼失してしまったそうだ。

その後、1659(万時2)年に山頂に近い辺りに奥の院の建物が建ち、1722(享保7)年に建物が移築された。その建物が、現在も伝わる観音堂である。

↓近付いて観音堂で参拝することにした。
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妙見寺は、古くは「神仏習合」で大避神社(おおさけじんじゃ)の神宮寺ということであったが、明治初期の神仏分離により現在のような独立した体制になった。

↓この観音堂からの眺望が素晴らしい。坂越浦が一望出来るのだ。
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↑こうした美しい光景に出会うことが叶ったことに大感謝である。

稚内港北防波堤ドーム…(2024.01.31)

荒天が続いたというようなことも在って、また足元も状態が好くないので、然程歩かないような感じになっているかもしれない。夕刻に、思い立って少しだけ歩いた。

↓この辺りも、荒天の際の雪を除けた際に、雪が少し堆く集められたというような様子になっていた。
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↓午後から夕刻に雪が降っていた。それが少し積もった。
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↓風は弱く、雪は普通に天から地へ降っていた感じだった。
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↓夕刻なので、稚内港北防波堤ドームの柱に据えられたランプは全て点灯中であった。
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こういう様子を眺めるのも時には好い。

京都タワーを見上げる…(2023.12.28)

敦賀駅を発ち、京都駅に着き、荷物をロッカーに預けて街を少し歩き廻っていた。

陽が沈むのが早目な12月の街を歩いていた。そして駅で荷物を回収し、四条烏丸に求めた宿へ向かおうとしていた。

↓京都駅辺りに至って、何となく見上げてしまった。
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↑灯りも目立ち始めた中、天の様が面白いと思った。

↓不思議な形の雲が、夕方の光加減の中で拡がっていた。
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出先で観るこういうような様子は、戻って少し時間を経ても簡単に忘れられないものであると思う。

旧坂越浦会所…(2024.01.02)

↓海が視えるような辺りに、趣深い建物が在った。
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↓1831(天保2)年から1832(天保3)年頃に建築されたと伝えられる。行政事務、商業関係の事務を執り進める村会所であった場所であるという。18世紀以降、2万石の森家が赤穂の城を本拠地に辺りを知行地としていたが、この建物は森家でも休憩所として利用した例が在ったそうだ。
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↓資料館でもあるらしいが、「年始休業」の中、建物外観を眺めるだけに終始した。
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こういう場所は興味深い。今般、中を観ていないので「何時かまた…」という想いを募らせながら辞去したのだった。

「坂越のまち並み」=「坂越浦」へ…(2024.01.02)

坂越駅に着いて、外を歩き始める。

券売機が据えられ、駅員が詰める事務所と各種の券も売る窓口を兼ねた場所が設けられ、待合所と御手洗というような「必要最小限の設備」という非常に小さな坂越駅だ。空路で北海道へ引揚げる前ではあったが、最低限の「歩き廻るのに支障が無い」という程度の荷物でやって来て「正解!」だったと思う。ロッカーが見当たらなかったのだ。

↓駅前の地図を何となく覚えて歩を進めた。こういう看板が在る。
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↓「→」を追って歩を進めると、また別の「→」が現れる。それに従って歩を進め続けた。
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↓こういう少し渋いモノも在った。「坂越浦」というのが辺りの古い呼び方ということになるのであろう。
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坂越は古くから海に開けた集落で、海運業や漁業が営まれ続けていた。少し先の赤穂の塩田がよく知られているが、坂越は赤穂で生産された塩を各地へ船で送り出すというようなことにも関わった港であったという。また大阪から瀬戸内海を通って日本海沿岸に出る北前船の寄港地であった。「汐待」(しおまち)と言うそうだが、航海し易い風や潮流を待つというようなことで寄港する例も多かったようだ。

そういう地域では、古くから街が築かれ、その街の建物等が受継がれているという例が見受けられる。坂越もそういう場所で、そんな様子に親しもうとする来訪者も見受けられる。自身もその一人であった訳だが、そういう来訪者を意識して「坂越のまち並み」という看板が掲出されているのだ。

↓その「坂越のまち並み」と呼び習わされる地区に行き当たった。
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↓「年始休業」という時期に相当する1月2日の午前中で、非常に静かな「坂越のまち並み」を何となく散策した。
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↓酒造会社であるようだが、凄く趣が在った。
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↓こうした「蔵」というような造りの建物は豊かさを示すもので、それが今日迄受継がれているのは貴重かもしれない。
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↓建物の出入口辺りに“杉玉”が見受けられるのは、酒造会社の本拠地となる建造物群の一つであるが故であろう。
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↓建物と建物との間の感じも面白い。
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↓裏の方に少し小高くなった箇所が見受けられ、屋根の感じが視易かった。面白いと思って眺めた。
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↓やがて通は海が覗くような辺りに至った。
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↑看板に在る大避神社(おおさけじんじゃ)には後刻立寄った。

長く興味が在って、なかなか訪問機会を設けられなかった場所だ。今般、立寄る機会を設けられて善かった。