夜に…:平和通買物公園:旭川(2024.02.19)

↓イルミネーションが美しい。そして融けかかった雪の水気で濡れている箇所に光が跳ね返って不思議な風情になっている。何か、いきなり「3月下旬頃の融雪の時季?」という様子かもしれない。
19-02-2024 X100F (78)
↑2月としてはやや異例なプラス気温で、何やら雪が融けて、少し不思議な様相になっている。が、少し経てばまた氷点下に気温が下がるという予報であるという。

こういう気温の高下も経ながら、季節は少しずつ進む。

チカプニ→近文…Cikap-un-i=鳥 いる 所…(2024.02.18)

↓近文小学校という学校が在った。
18-02-2024 X-Pro2 (14)
↑1919(大正8)年に「北門尋常小学校西分教所」として開校し、1922(大正11)年に「近文尋常小学校」として独立した学校となった。1941(昭和16)年に「近文国民学校」と改称している。戦後の制度の下、1947(昭和22)年に「旭川市立近文小学校」となって現在に至るようだ。

↓この小学校の辺りにこんな看板が在って、足を停めて少し眺めた。
18-02-2024 X-Pro2 (13)
↑北海道の地名には、アイヌ語の音が転訛して漢字を宛てた例や、「如何いう意味か?」という話しを受けて、その意味する漢字を宛てているという例が見受けられる。小学校にも冠せられている近文は音が転訛して漢字が宛てられた例となる。他に鷹栖という地名も在るが、それは「鳥 いる 所」の意味に漢字を宛てた例となる。

この辺りは「近文コタン」と呼ばれた辺りだ。現在の旭川市内の住所として、近文、緑、錦、北門というような辺りに相当するようだ。

1887(明治20)年にアイヌ保護が謳われ、当時の旭川村と鷹栖村との中間辺りに、方々に広く点在していたアイヌのコタン(村)を纏めるということになり、一帯は「チカプニコタン」と呼ばれるようになった。

やがてアイヌに土地を与えるという計画が起ったが、1899(明治32)年に陸軍の第七師団が旭川に入ることになった関係で、土地を与える計画が保留となる。以降、急速に旭川村が発展する中、不動産投機の思惑等が絡んで「チカプニコタン」の様子は色々と揺れた。それでも「チカプニコタン」は継続したが、1929(昭和4)年に辺りの地名が近文町、緑町、錦町、北門街というようになっている。

1945(昭和20)年から1947(昭和22)年の「農地改革」で、「チカプニコタン」であった地域の農地に関して、地主から小作人に権利が移されるようになって、地主であったアイヌが困窮した例も在ったようだ。やがて旭川の発展と共に辺りは市街地の一部に組み込まれて行くようになる。

近文、緑、錦、北門というような辺りは、大きな商業施設や大学や、様々なモノが立地している地区である。軍の関係で敷設されて後に貨物線となった軌道は廃止されているが、近文駅は現在も旭川駅の西北の隣に健在である。少し前に観た、『カムイのうた』という映画で、ヒロインが東京へ旅立つ際に列車に乗ったのは「近文駅」であったが、あのヒロインのモデルになった人物が「チカプニコタン」に在ったからなのであろう。

多少、道に迷いながら辺りを動き回り、地域の歴史に想いを巡らせる時間を過ごしたのだった。

バス停…(2024.02.18)

旭川駅に近い1条通の7丁目、8丁目辺りには多くのバス停留所が設けられている。様々な方面のバスが行き交っていて、運行系統別に辺りの停留所を使い分けている。

↓そんな停留所の1つだ。
18-02-2024 X-Pro2 (3)
↑停留所の上に何か載っている?

↓「動いた?!」と驚いたが、カラスだった。
18-02-2024 X-Pro2 (4)

旭川の街中は、何やらカラスが多く、何処でもウロウロと動き回っているように感じる。殊に朝はそういうように感じる場合が多いような気がする。

さっぽろ駅…(2024.02.18)

夕べの一時を過ごした後、札幌駅傍の宿へ移動しようとしていた。

↓地下鉄を利用してさっぽろ駅に到った。所謂「ホーム柵」だが、札幌の地下鉄でも粗方の駅で設置が済んでいるように見える。
18-02-2024 X100F (109)
↑店舗が粗方閉店してしまっていた地下街を通り、すすきの駅に入り、大通駅、さっぽろ駅という移動である。手軽で速い。

札幌の地下鉄の一部駅で、列車がホームに入る際に『虹と雪のバラード』をアレンジしたメロディーを鳴らしている。これは「五輪誘致」に絡んで採用されたという経過も在るということで、誘致が断念された中で「妥当ではない!」という意見が在るらしく、そのうちに止めることになったようだ。1972年の五輪の際の歌だが、「希望に溢れて未来を目指す街に、世界中の人が集う」というイメージの美しいメロディーの曲で、「五輪誘致」と無関係に地下鉄で使って差し支えないというように個人的には思う。札幌の地下鉄も、昔の札幌五輪の時期に登場した経過が在り、地下鉄の歴史に因む曲という側面も否定は出来ないのではないだろうか?「その他大勢の雑言」ではあるが、そんなことも想いながら地下鉄を少し眺め、改札口へ歩を進めた。

ピクトグラム…:札幌駅(2024.02.18)

札幌駅は方々が工事中で、何やら酷く歩き悪い。そして在る筈の様々なモノの場所が判り悪くなってしまっている場合も見受けられるように思う。

↓こういうモノを見掛けた。これは判り易い!
18-02-2024 X100F (45)
↑列車に乗る場所、タクシーやバスに乗る場所が非常にシンプルに示されている。この種の案内表示は、こういう程度が好いと思う。

何となく眼に留まって、提げていたカメラを使った。

夕べに…:<AVANTI 1923>(アバンティ 1923)(2024.02.18)

夕食を摂った後、街を少し歩いた。景色を眺めて宿へ引揚げるというようなことを思ってはいた。

↓ここを眼に留めた。佇まいが好い感じだ。
18-02-2024 X100F (79)
↑札幌都心の西4丁目の南北に延びる道は「駅前通」という通称で知られる。大通公園を越えて南寄りに入り、ススキノ交差点のやや北辺りで、数え切れない程度に通過して眺めている御店ではある。が、入ったことが無かった。

↓こういう感じの場所だ。
18-02-2024 X100F (88)
↑サントリーの代表的なウイスキーを始め、色々と並んでいる。

↓ウイスキーの樽を意識したオブジェが飾られている。
18-02-2024 X100F (90)

↓最近はウイスキーの他にジンも押しているということで、<六>をロックで―偶然に駄洒落になってしまった…―頂いた。
18-02-2024 X100F (85)

↓そして<山崎>だ。
18-02-2024 X100F (94)

↓<山崎>というのは1923(大正12)年に起こった、日本国内では最古のウイスキーの蒸留所である。ボトルにはその旨のラベルが貼られている。
18-02-2024 X100F (96)
↑1923(大正12)年ということは100年と少し前だ。この前年、稚内では鉄道が街に延びていて、この年には樺太の大泊港との間を結ぶ「稚泊航路」が運行を始めている。

↓最近は「品薄」が続いているので、随分と久し振りに頂いた。
18-02-2024 X100F (93)

↓<モスコミュール>を頂いた。カップに入っている故か、何か「珈琲を啜りながら語らう」という雰囲気で、御店の皆さんや居合わせた方と言葉を交わしながら過ごしていた。
18-02-2024 X100F (100)

↓ウォッカは米国のモノが使われていた。
18-02-2024 X100F (102)

↓サントリー関連の御店ということなので、敬意を表し、所謂「角ハイ」を愉しんだ。
18-02-2024 X100F (105)

↓使用する氷にも少し拘りが在るようで、流石に美味いハイボールだった。
18-02-2024 X100F (107)

「ほんの少し道草」という企図で立寄ったが、「大いに道草」という風情でゆったりと過ごした。好い場所を見付けた感だ。