昼頃に…(2024.02.20)

旭川駅から列車に乗り、稚内駅に到った。車中では居眠りの時間も長く、何やら「気付けば稚内が近付いていた…」という様子であったかもしれない。

↓到着した稚内駅で戸外に出たが、身が縮むような感じだった。
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今般の「他地域での所用」に向けて出発という時点の状況は気温上昇であったのだが、スッカリとその気温上昇の以前に状態が戻っていた。
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↓この種の変化を繰り返しながら、季節は動くのであろう。
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聞けば、前日の夜辺りから少し天候が崩れ、何やら気温が下がったということらしい。「俄かな変化」というようなモノだ。

「ヒストリーボード」…:大通駅(2024.02.18)

さっぽろ駅で東豊線の列車に乗り、次の大通駅で下車し、南東側の西1丁目辺りから街へ出ようとして地下を歩いた。札幌都心の地下は種々の通路が入り乱れて何やら複雑である。

↓こういうモノを眼に留めた。
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↓路面電車の歴史を示したイラストということになる。
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↓2015(平成27)年に西4丁目停留所とすすきの停留所とを結ぶ駅前通の軌道が完成して「ループ化」した路面電車であるが、それを記念して描かれたイラストに市内の小学生が着色したという「ヒストリーボード」が制作されたのだそうだ。
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こういうモノに気付くのも、何となく嬉しいものだ。

笹葺きの家…:<川村カ子トアイヌ記念館>(2024.02.18)

↓<川村カ子トアイヌ記念館>の敷地に独特な建物が在った。
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↓アイヌの村に見受けられた家屋を再現したモノであるという。
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↑屋根はクマザサで葺いたそうだ。広く方々で村を営んだアイヌの家屋には様々なモノが見受けられるらしいが、その一つがこうしたモノであったということになるのであろう。

↓中はこういうような感じだ。
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アイヌの家屋に関しては、窓から家の中を覗かない、家の中に設けられた祭壇を触ってはならない、炉の縁を踏んではいけない、炉の中を触ってはいけないというような「厳に禁止!」が幾つか在ったのだそうだ。

↓なかなかに興味深く拝見した。
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「川村カ子ト」…:<川村カ子トアイヌ記念館>(2024.02.18)

↓<川村カ子トアイヌ記念館>に測量の作業をしている人物の写真が在った。
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↑この人物が川村カ子ト(「カ子ト」は「かねと」)である。

川村カ子ト(1893-1977)は近文コタンに一家が住み始めたような頃に産れている。「カネトゥカアイヌ」(「金を稼ぐ人」の意)がアイヌ語の名であるが、戸籍上は「カ子トアイヌ」であった。長じて働くようになった際、「兼登」で「かねと」と読ませるようにしていた時期も在ったようだ。

古くからのアイヌの暮らしが出来なくなり、農業も厳しい状況であった中、川村カ子トは就職を考え、幼少の頃に憧れた鉄道に携わろうと測量技手となった。北海道内、長野県、樺太、朝鮮半島と各地の鉄道建設現場に出て、測量の仕事に携わっていたという。

↓鉄道建設に携わった際に受けた辞令が展示されていた。
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↓川村カ子トが携わった路線に関するモノも展示されていた。
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川村カ子トは父の川村イタキシロマが逝去した後に帰郷して記念館を引継いだ。測量の仕事で得た資金で記念館の充実を図ったというが、火災の際にも私財を投じて建物を再建する等していた。

↓川村カ子トに関しても色々と紹介されていて興味深く拝見した。
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川村カ子トは、明治、大正、昭和の鉄道建設現場で立派な事績を遺し、同時に民族の歴史と文化を伝える活動でも大きな事績を遺している。こういう人物が在ったと知り、この場で出会えたということになる。多少ドタバタしながらこの<川村カ子トアイヌ記念館>を訪ねられて善かった。

展示…:<川村カ子トアイヌ記念館>(2024.02.18)

辿り着いた記念館に入ってみる。
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↑窓口で訪ねると、館内での写真撮影は差支えないとのことであったので、少し写真を撮った。

↓村や家、人々を見守る存在と考えられたというフクロウの彫刻が入口辺りで迎えてくれた。
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↓主に2代目館長であった川村カ子ト(「カ子ト」は「かねと」)が収集したという、アイヌの生活用具等が展示されている。
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↓衣類や生活に用いた様々な道具に加えて装飾品も色々と在って面白かった。
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↓悪いことを仕出かした人を懲罰する場合等に用いる棍棒も紹介されていた。少し前に観た映画『ゴールデンカムイ』で、ヒロインのアイヌの少女、アシリパがこの種の棍棒を使う場面が在ったのを思い出していた。
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↓「チカプニコタン」または「近文コタン」で生まれた彫刻家の砂沢ビッキの事績も紹介されていた。
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↓夥しい数の熊の木彫りが在った。
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↓一寸圧倒された。
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↓アイヌの暮らしと共に在った森の動物達の剥製も色々と在った。
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<外国樹種見本林>で見掛けたエゾリスを思い出していたが、「森の身近な動物」という感じだったのであろう。
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↓フクロウの剥製は見入ってしまった。
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↓何となく気に入った。
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↓記念館の建物も未だ新しく、なかなかに好い感じだった。
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今般、やや苦戦しながらここに辿り着いて見学機会を設けることが叶ったのは好かった。

外観…:<川村カ子トアイヌ記念館>(2024.02.18)

↓こういう場所に辿り着いた。
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バスでイオンモール旭川西に至ってしまい、何とか近文小学校の辺りに辿り着いた。そこから「北門11丁目」を探そうとしたが、何やら要領を得ない。コンビニに至り、御店でタクシー会社の電話番号を尋ねて架電し、タクシーを待って乗車した。

↓そうやってここに辿り着いたのだ。
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川村イタキシロマが1916(大正6)年に、周囲の人達にアイヌの様々なことが理解されるようにという願いで、文化を紹介する展示館を設けた。これが<川村カ子トアイヌ記念館>の起こりだ。1944(昭和19)年に川村イタキシロマが逝去し、その子息である川村カ子ト(「カ子ト」は「かねと」)が後継し、展示館の充実を図った。未だ古い時代を知る年長者も存命で、川村カ子トは精力的に展示の充実に取組んだ。展示館は<川村カ子トアイヌ記念館>となって行く。

↓1965(昭和40)年の建物が長く使われていたが、新館の建設が行われ、2023(令和5)年に現在の建物がオープンしている。
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多少の苦戦の末に辿り着いた記念館をゆっくりと見学した。

階段…:<イオンモール旭川西>(2024.02.18)

「北門11丁目」という辺りを目指してバスでの移動を図った。旭川駅に近い、1条8丁目から近文辺りのイオンへ向かうバスに乗ると近くを通るらしいと知り、それに乗車した。

その「北門11丁目」という辺りを通る筈と思ったバスだが、その方面を経由せず、いきなりイオンに到着してしまった。特段にイオンに用は無かったので、按配が好くない。「北門11丁目」という辺りへ何とか向かおうとした。

イオンのような施設の敷地内に入るような按配でバスは停まった。そこで下車して辺りの道路に出ようとすれば、「何処から如何やって出れば??」という羽目に陥ってしまう。「辺りを歩く」ということが一顧だにされていないような感じの場所だと思う。

↓足元が悪い中、半ば途方に暮れるような気分になり、巨大な施設を眺めた。
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↑この様子を視て、少しすると何とか施設の大きな敷地の外に出た。

敷地の外は、何やら住宅街の真中のような感じで、何処を如何進めば好いものか見当も付かない。少し歩き廻り、何とか近文小学校の辺りに抜け出たのだった。「多少、勝手知った(つもりの)他所」であっても、路線バスというのは煩雑な場合が多い。

旭川駅到着…(2024.02.19)

札幌で朝から動いて所用を足し、15時30分に発つ列車に乗って旭川へ移動というような様子が最近は少し定着したかもしれない。今般は、途中で「線路点検」なるアナウンスが流れ、列車が数分間遅れたが、無事に旭川駅に到着した。

↓到着した旭川駅で、車輛を眺めて少し身体を伸ばす。
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↑左の4番ホームは乗って着いた<ライラック>の789系電車だ。隣の3番ホームはキハ283系ディーゼルカーで、網走へ向かう<大雪>である。右の2番ホームと1番ホームには美瑛や富良野との間を走っているH100形が見える。

↓何か風情溢れるような光景だ。「午後5時過ぎ」が真っ暗でもない感じな時季に入っている。
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↓改札口への通路を目指して歩を進めた。
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↓網走を目指す<大雪>のキハ283系ディーゼルカーが発車した。
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↓東改札口を通って駅の東寄りな辺りへ出た。気温がプラスになって融雪が進み、足元が酷く悪くなっている。慎重な足取りで進んだ。が、真っ暗でもないのが好かった。
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列車で移動して動き回っても、着実に動く季節というのは強く感じられる。

<サキソフォン吹きと猫>…(2024.02.19)

旭川で夕べに少し時間が在れば、平和通買物公園の辺りを通り抜けて、夕食を愉しむ御店に向かうというようなことをする。

↓大変に気に入っている<サキソフォン吹きと猫>の辺りを通った。
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↑「また寄りました…」と御挨拶という気分で辺りを通る。

↓演奏が聞こえるような気がする。何度見ても雰囲気が好い。
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↓この像は「夕べの賑わい」という辺りの様子が似合うかもしれない。
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↓今宵は「猫」が妙に熱心に演奏を聴いているようにも見えた。
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こういう「御気に入り」という場所は好い。

夕べに…:<旭川やきとりism>(2024.02.19)

所用を無事に済ませ、北上の途に就いた。例によって旭川に寄道だ。宿に入った後、夕刻の街に出た。

↓馴染んだ看板と灯りを見ると少し安堵感を覚える。
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↓御通しを摘まみ、<赤霧島>の御湯割りを頂きながら料理の登場を待つ。
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↓鳥モモのタレ焼きは山ワサビを塗している。こういう組合せが好い感じだ。
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↓オリジナル七味唐辛子を使った、手作りの明太子が美味しい。
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↓鳥精肉は「焼鳥!‼」という感じだ。
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↓そして「月見つくね」も好い。
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もう一点、熟成鶏モモ肉も頂いたが、「これは好い感じ!」と頂いて写真を撮り忘れた…

↓鶏出汁と昆布出汁とを合わせた美味いスープが焼鳥に添えられる。
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↓そして鶏挽肉を使ったキーマカレーを頂いた。
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↓焼酎を頂きながら切り干し大根を摘んだ。
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↓デザートは小さな最中を使った一口バニラアイスクリームだ。
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↓旭川で夕べに時間が在ると何となく立寄る、気に入っている場所である。こういう場所も好い。
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733系電車…:朝の新札幌駅(2024.02.19)

札幌駅から新札幌駅へ、新千歳空港駅へ向かう快速であれば「次の停車駅」ということになる移動をした朝だった。

↓乗降が多い朝である。下車後、人の流れが少なくなるのを見守りながら、乗車していた車輛を眺めた。
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↑733系電車もこの篇ではスッカリと頻繁に見掛ける車輛として定着したように思う。

新札幌駅というのも、数え切れない程度に乗降している駅だ。