↓夕食に出た際、「雪が随分と少なくなった…」と佇んで様子を眺めてしまった。
↓「とりあえず…」とシーザーサラダを頂いた。
↓左のモツ串、右の砂肝串と愉しんだ。
↓イカ塩辛を摘まんだ。
↓そしてタコめしは外せない。
↓鰊切込も摘まむ。
こういうような様子で、一日が幕を下ろして行くという感じだ。
旧い建物…:大黒3丁目停留所付近(2024.03.21)
朝に…(2024.03.21)
波止場横丁の夕べ…(2024.03.20)
祝日で休業日ということになったが、特段に予定という程の何かが在るのでもなく、とりあえず「寝て曜日」的な過ごし方になっていた。そういう中、何となくサウナを利用するというようなことをした。
↓午後4時台に道草である。
↓午後4時台の様子は「夕べ」というより「午後」という趣であると思う。営業を始めた御店では、提灯に灯りが入ってはいたが。
↓馴染んだ暖簾を潜る。
↓御通しの蛸を摘まんでハイボールを頂いていた。
↓おでんを所望した。
↓午後5時台に「数歩の移動」をする。
↓また馴染んだ暖簾を潜る。
↓最近は「午後5時台」も屋内がこういうような感じだ。
↑季節は着実に動いている。
↓こういうような具合に寛いだ。
↑泡盛をシークワーサーと炭酸で割ったモノを頂く。
↓大阪の流儀のドテ煮を頂く。
↓キムチは大阪の鶴橋の御店で採用されている仕様のモノだ。
こういうような具合で「やや早目?」な時間帯から寛ぐ休業日の感じが非常に好いと思う。
↓午後4時台に道草である。
↓午後4時台の様子は「夕べ」というより「午後」という趣であると思う。営業を始めた御店では、提灯に灯りが入ってはいたが。
↓馴染んだ暖簾を潜る。
↓御通しの蛸を摘まんでハイボールを頂いていた。
↓おでんを所望した。
↓午後5時台に「数歩の移動」をする。
↓また馴染んだ暖簾を潜る。
↓最近は「午後5時台」も屋内がこういうような感じだ。
↑季節は着実に動いている。
↓こういうような具合に寛いだ。
↑泡盛をシークワーサーと炭酸で割ったモノを頂く。
↓大阪の流儀のドテ煮を頂く。
↓キムチは大阪の鶴橋の御店で採用されている仕様のモノだ。
こういうような具合で「やや早目?」な時間帯から寛ぐ休業日の感じが非常に好いと思う。
朝に…(2024.03.21)
スパイシーククラカレー+モモ…(2024.03.20)
昼に…(2024.03.20)
夕べに…(2024.03.19)
朝に…(2024.03.19)
夕べに…(2024.03.18)
休業日の夕刻、午後6時を伺うような頃合いに戸外に出た。
↓「この時間帯が明るい?」と多少驚いた。
↑足元の悪さは相変わらずだが、明るい時間帯は着実に長くなっている。「光の春」というモノであろう。
↓御近所の御店では、天候が穏やかな日には「営業中」の替りに<国稀>の幟を出す。
↑この御店に立寄った。
↓「些か濃い目が好ましいが…ハイボールを所望致す…」ということにした。
↓御通しを摘まむ。
↓とりあえずシーザーサラダを頂く。
↓左の鳥串、右の豚串とこの御店の伝統的なモノを御願いする。
↓タコめしとイカ塩辛の組合せが気に入っている。
↓タコめしは外せない。
↓鰊切込を摘まむのも好い。
↓塩昆布の御握りも素敵だ。
↓一頻り寛いで戸外に出れば、スッカリと暗くなっていた。歩く場合、足元には注意を要する。
こういうような「御近所での夕べ」が凄く好い感じだ。
↓「この時間帯が明るい?」と多少驚いた。
↑足元の悪さは相変わらずだが、明るい時間帯は着実に長くなっている。「光の春」というモノであろう。
↓御近所の御店では、天候が穏やかな日には「営業中」の替りに<国稀>の幟を出す。
↑この御店に立寄った。
↓「些か濃い目が好ましいが…ハイボールを所望致す…」ということにした。
↓御通しを摘まむ。
↓とりあえずシーザーサラダを頂く。
↓左の鳥串、右の豚串とこの御店の伝統的なモノを御願いする。
↓タコめしとイカ塩辛の組合せが気に入っている。
↓タコめしは外せない。
↓鰊切込を摘まむのも好い。
↓塩昆布の御握りも素敵だ。
↓一頻り寛いで戸外に出れば、スッカリと暗くなっていた。歩く場合、足元には注意を要する。
こういうような「御近所での夕べ」が凄く好い感じだ。
早朝に…(2024.03.20)
昼に…(2024.03.18)
早朝に…(2024.03.18)
波止場横丁の夕べ…(2024.03.17)
↓サウナを利用した後、引揚げようというようにも思ったが、辺りに戻って道草をしてしまった。
↑午後5時を少し過ぎた辺りなのだが、明るい感じだ。
↓波止場横丁に近付く。
↓馴染んだ暖簾を潜る。
↓泡盛をシークワーサーと炭酸で割ったモノを呑む。
↑「リトル沖縄」こと大阪市大正区の流儀のようだ。
↓大阪の鶴橋の御店で採用されている仕様だというキムチが美味い。
↓大阪の流儀のドテ煮を頂く。
↓店主氏や居合わせた皆さんと語らってゆったりしていたのだが、湯豆腐を御願いした。
↓シンプルに豆腐のみでもない感じで、ポン酢や薬味を点けて中のモノをゆっくりと頂く感じだ。
↓こうやっていた間に暗くなった。
↓数歩の移動をした。
↓1杯だけという意図ではあった。
↓ところが「おかわり」である。
こういうような「休業日の夕べの定番」は好い感じだ。
↑午後5時を少し過ぎた辺りなのだが、明るい感じだ。
↓波止場横丁に近付く。
↓馴染んだ暖簾を潜る。
↓泡盛をシークワーサーと炭酸で割ったモノを呑む。
↑「リトル沖縄」こと大阪市大正区の流儀のようだ。
↓大阪の鶴橋の御店で採用されている仕様だというキムチが美味い。
↓大阪の流儀のドテ煮を頂く。
↓店主氏や居合わせた皆さんと語らってゆったりしていたのだが、湯豆腐を御願いした。
↓シンプルに豆腐のみでもない感じで、ポン酢や薬味を点けて中のモノをゆっくりと頂く感じだ。
↓こうやっていた間に暗くなった。
↓数歩の移動をした。
↓1杯だけという意図ではあった。
↓ところが「おかわり」である。
こういうような「休業日の夕べの定番」は好い感じだ。
タンドリーミックス+スパイシーククラカレー…(2024.03.17)
夕べに…(2024.03.16)
朝に…(2024.03.16)
夕べに…(2024.03.15)
朝に…(2024.03.15)
夕べに…(2024.03.14)
朝に…(2024.03.14)
昭和99年…=平成36年=令和6年…(2024.03.15)
↓壁に掲出されていたカレンダーが眼に留まり、偶々辺りに置いて在ったカメラを手にして写真に収めた。
↑個人的には、“昭和”、“平成”、“令和”と元号が変わって煩雑なので「今年は2024年…あの出来事は一昨年だから2022年…」と西暦で考える機会が多いと思う。が、現在は「令和6年」だ。そして平成が継続中であれば「平成36年」で、昭和が継続中であれば「昭和99年」だという。
恐らく「あれは平成XX年だった。何年前?」、「昭和XX年生まれ?今年でX歳?」というようなことを思った時に参照出来るように「平成36年」と「昭和99年」が記されているということなのであろう。全てのカレンダーということではないが、時々見掛ける。
これを偶々視て「昭和99年」に少し驚いた。自身、昭和生まれで長く親しんだ元号であるのだが、来年になれば「昭和100年」なのだ。
「昭和」は1926(昭和元)年12月25日から1989(昭和64)年1月7日で、「62年と14日」という期間だ。日本を含めて元号を用いた例の中で、この「昭和」の期間は最長のモノであるという。清朝の時代に「康熙」が61年(1662-1722)、「乾隆」が60年(1736―1795)という例が在るそうだが、60年以上の元号というのがこの3つしか無いらしい。
以前に聞いた。1988年4月生まれから1989年3月生まれが集まった学校の学級では、同じ学級に「昭和63年生まれ」、「昭和64年生まれ」、「平成元年生まれ」が混在するという、少し珍しい状況が発生したのだそうだ。こういうのも珍しいかもしれない。これも「昭和64年」が1週間に終始したということの結果であろう。
何気ないカレンダーの記載事項を眼に留め、何となく色々と想ったという次第だ。
↑個人的には、“昭和”、“平成”、“令和”と元号が変わって煩雑なので「今年は2024年…あの出来事は一昨年だから2022年…」と西暦で考える機会が多いと思う。が、現在は「令和6年」だ。そして平成が継続中であれば「平成36年」で、昭和が継続中であれば「昭和99年」だという。
恐らく「あれは平成XX年だった。何年前?」、「昭和XX年生まれ?今年でX歳?」というようなことを思った時に参照出来るように「平成36年」と「昭和99年」が記されているということなのであろう。全てのカレンダーということではないが、時々見掛ける。
これを偶々視て「昭和99年」に少し驚いた。自身、昭和生まれで長く親しんだ元号であるのだが、来年になれば「昭和100年」なのだ。
「昭和」は1926(昭和元)年12月25日から1989(昭和64)年1月7日で、「62年と14日」という期間だ。日本を含めて元号を用いた例の中で、この「昭和」の期間は最長のモノであるという。清朝の時代に「康熙」が61年(1662-1722)、「乾隆」が60年(1736―1795)という例が在るそうだが、60年以上の元号というのがこの3つしか無いらしい。
以前に聞いた。1988年4月生まれから1989年3月生まれが集まった学校の学級では、同じ学級に「昭和63年生まれ」、「昭和64年生まれ」、「平成元年生まれ」が混在するという、少し珍しい状況が発生したのだそうだ。こういうのも珍しいかもしれない。これも「昭和64年」が1週間に終始したということの結果であろう。
何気ないカレンダーの記載事項を眼に留め、何となく色々と想ったという次第だ。
夕べに…(2024.03.13)
路面…(2024.03.14)
朝に…(2024.03.13)
ふらりと出る朝、何となくカメラを提げているという場合も多く在る。
↓気象データが掲出される箇所、嘗て列車が停車していた辺りの手前のエンドレールがオブジェのようになっている箇所は、車輌等を使用した除雪作業が入り悪いので相対的に雪が残る。その周りは除雪が行われていて、そういう箇所の積雪は早目に融け、積雪期以外と同様の地面になる。
↑昭和20年代以降のエンドレールの先、嘗ては現在の稚内港北防波堤ドーム辺りまで鉄道の軌道が敷かれていた。その概ねの場所を地面に示して在るのが少し面白い。
↓0℃を少しだけ上回るというような気温帯だ。
↓冷たい風が「やや刺さる…」という気がする朝だった。
↓「春らしい感」という時季には、もう少し間が在るような気がする感じだ。
↓気象データが掲出される箇所、嘗て列車が停車していた辺りの手前のエンドレールがオブジェのようになっている箇所は、車輌等を使用した除雪作業が入り悪いので相対的に雪が残る。その周りは除雪が行われていて、そういう箇所の積雪は早目に融け、積雪期以外と同様の地面になる。
↑昭和20年代以降のエンドレールの先、嘗ては現在の稚内港北防波堤ドーム辺りまで鉄道の軌道が敷かれていた。その概ねの場所を地面に示して在るのが少し面白い。
↓0℃を少しだけ上回るというような気温帯だ。
↓冷たい風が「やや刺さる…」という気がする朝だった。
↓「春らしい感」という時季には、もう少し間が在るような気がする感じだ。