↓稚内駅で眼に留めた。
「利尻礼文サロベツ国立公園」というのは、利尻島と礼文島の約半分、稚内市から豊富町・幌延町へ続く海岸砂丘林とサロベツ原野が指定されているのだそうだ。24,166ヘクタールにもなるという。241.66平方キロメートルだが、277万人余りが住むという大阪市(225.33平方キロメートル)よりも広いということになる。
1965(昭和40)年に「利尻礼文国定公園」となり、1974(昭和49)年の国立公園に指定されているので、今年が50周年なのだという。
「国立公園」というのは、自然公園法に基づいて、「日本を代表する自然の風景地を保護し利用の促進を図る」という目的で環境大臣が指定し、国(環境省が所管)が自ら管理する。これに対して「国定公園」は国立公園に準じる景勝地として自然公園法に基づいて環境大臣が指定するもので、都道府県が管理するのだそうだ。
「利尻礼文サロベツ国立公園」と指定されているということは、「日本を代表する自然の風景地」と国(環境省)が「推している」ということにもなる。
考えてみると、稚内辺りでは当初の「利尻礼文国定公園」が登場した昭和40年代頃から「観光」が地域で存在感を拡大させたかもしれない。利尻島や礼文島と稚内とを結ぶ航路に、車輌甲板にそのまま車輌が乗込むように積載出来る“フェリー”が初登場したのが1970(昭和45)年と聞いている。やがて昭和50年代には、所謂「200カイリ」の件で水産に些かの揺らぎが生じ、他の分野に注力しようというようなことも在ったかもしれない。漁業関係を営んでいた人達が、宿泊施設経営に転じるというような動きが見受けられたとも聞く。
↓こういう具合に「50年」というようなことが紹介されると、「その半世紀の間?」と色々な経過、関連の歴史にも想いが巡る。
朝にぼんやりと歩き廻って出くわしたバナーだったが、こういうモノも好い。
朝に…(2024.03.07)
夕べに…(2023.03.06)
朝に…(2024.03.06)
夕べに…(2024.03.05)
チタンの印艦…(2023.03.05)
↓こういうモノが届いた。
↓小箱の蓋を開ければ、とりあえず緩衝材が入っている。
↓入っていたのは印鑑のケースだ。
↓新しい印鑑を入手した。
もう「何時?」が思い出せなくなっている程に以前に入手していて、入手当時の関係の記録も散逸してしまっているような、「多少、見映えが好いモノ…」と思い付いて用意した印鑑を使い続けていたが、何処となく擦り減ったような、縁が欠けたような具合の、長く使っていた印鑑が使い悪くなて来たという感で、何か心地が悪いので新しいモノを用意してみたのだった。
↓以前はこういうモノは余り見掛けなかったが、金属製、チタンの印艦だ。鈍い金属色が好い感じで、朱肉を点けて押す感じも好い印鑑だ。
自身の姓は、「幼児が平仮名以前に覚えてしまう」という程度に画数が少ない漢字が2文字なのだが、印鑑の字は好いデザインに纏めて頂いたと思う。大切に使いたい感だ。
↓小箱の蓋を開ければ、とりあえず緩衝材が入っている。
↓入っていたのは印鑑のケースだ。
↓新しい印鑑を入手した。
もう「何時?」が思い出せなくなっている程に以前に入手していて、入手当時の関係の記録も散逸してしまっているような、「多少、見映えが好いモノ…」と思い付いて用意した印鑑を使い続けていたが、何処となく擦り減ったような、縁が欠けたような具合の、長く使っていた印鑑が使い悪くなて来たという感で、何か心地が悪いので新しいモノを用意してみたのだった。
↓以前はこういうモノは余り見掛けなかったが、金属製、チタンの印艦だ。鈍い金属色が好い感じで、朱肉を点けて押す感じも好い印鑑だ。
自身の姓は、「幼児が平仮名以前に覚えてしまう」という程度に画数が少ない漢字が2文字なのだが、印鑑の字は好いデザインに纏めて頂いたと思う。大切に使いたい感だ。