「余市蒸留所セット」…:<ニッカバー“リタ”>:小樽(2024.04.13)

↓小樽運河に近い辺りに「出抜小路」(でぬきこうじ)が在る。
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↓少し凝った外観の小さな建物が幾つも設えられている感じだ。
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↑足元辺りの看板に少し惹かれた。

↓奥の左寄りに「BAR」と在る。
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↓こちらに立寄ってみる。
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↓開店時刻の少し後であったようだが、渋い内装だ。
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↓カウンターに在ったモノだ。
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↑店名の“リタ”は、ニッカウヰスキーを起こした竹鶴政孝(1894-1979)のパートナーであった女性だ。カウンター上のモノは御夫妻の画を入れている。

本格的なウイスキーの製造方法を学ぶべくスコットランドに渡った竹鶴政孝は、後のリタ夫人に出会う。結婚するために、竹鶴政孝はスコットランド残留ということも思ったらしいが、学んだ知識が紹介されることを待ち望む人達が在る筈だと、一緒に日本へ向かうことをリタ夫人が促したそうだ。

やがて竹鶴政孝は、現在のサントリーの山崎蒸留所を興す仕事に携わったような経過を経て、余市に「大日本果実」という会社を起こす。ウイスキーを造って、市場に出す迄に数年を要することから、リンゴのジュース等を製造販売することを構想して名付けた社名だという。やがて「大日本果実」を略した「日果」から「ニッカ」という名が登場し、「ニッカウヰスキー」というようになって行った。

ニッカウヰスキーの蒸留所を擁する余市と小樽とは、一般に「車で30分位」とされているような感じで、言わば「小樽もニッカウヰスキーの御当地」というようになる。そこで「出抜小路」にこのバーが起こったのだそうだ。

↓余市蒸留所の売店で売られているのみであるという、希少な酒を3種類試すことが叶うということで、それを愉しんだ。
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↓こういうような説明が書かれたモノを敷いて、そこに各ウイスキーが登場する。
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↑スモーキーでウイスキーらしい感じ、色々な要素が交った芳醇な感じ、爽やかで香りが好い感じと、貯蔵樽の酒類の差異等で味の個性も分かれるというウイスキーの魅力に触れるようなことになった。

↓こういうのは愉しい!
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札幌に在る<THE NIKKA BAR>にも、幾つかの酒類を比べて飲むというのが在った。が、ここは「余市蒸留所の限定品」でそういうことをしている。非常に面白い!

御店の方と歓談し、3種類の希少なウイスキーを愉しんで引揚げた。「御気に入り」が加わった感である。

↓「夕べの小樽」というのも好い感じだった。
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魯肉(ルーロー)スパイスカレーにパリパリチキン…(2024.04.14)

小樽で歩き廻ってから札幌へ移動し、一息入れてから早目に、札幌駅北側に求めた宿に入った。

宿の居室で寛ぎ、翌日は本来の札幌南下の企図である所用だ。「備える」という程のことでもないが、少しゆったりと休もうと考えていた。

そんな感じだったが、暗くなる頃に空腹を禁じ難くなり、「軽く食事に…」と札幌駅北側を少し歩いた。日曜日の静かな宵だった。

↓こういう御店を眼に留めた。
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↑「サッと頂く」ということで、カレーライスが好適であるような気もした。

↓御願いしたのは魯肉(ルーロー)スパイスカレーにパリパリチキンを載せたモノだ。
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↑魯肉(ルーロー)というのは台湾の流儀の肉料理だ。その刻んだ肉が入ったカレーである。そこに鶏を揚げたモノを載せる。米飯は少な目、「4辛」ということで御願いした。

「出先での一寸した食事」ということになると、カレーライスは好い。出先でもなく、近所でも頂きたくなる場合も在るが。

<KFC>=<Kentucky Fried Chiken>…(2024.04.13)

↓円山公園駅に近い辺りで眼に留めた。
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↑近年は専ら画の左側に在る<KFC>のロゴを利用しているチェーン店だ。嘗ては寧ろ<Kentucky Fried Chiken>だった。この場所の御店は、<KFC>のロゴを使うようになるよりもかなり以前から在ったような気もする。

↓<Kentucky Fried Chiken>(ケンタッキーフライドチキン)を色々な形に略した呼び方も在ったように思うが、何時の間にか<KFC>(ケー・エフ・シー)が定着したような気がしないでもない。
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↓この「カーネル・サンダース」も御馴染だ。
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看板を観ていて、「ほんの少々早いランチ…」と思い付いて御店に立寄ってみた。

↓店内の「受継がれる好き伝統」とでもいうような、少し古風なイラストのポスターが好いと思った。
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↓所謂「オリジナル・チキン」を頂いた。
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↓「コールスローサラダ」を合わせた。
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以前は、このチェーンの御店が稚内にも出来て人気だった経過が在る。が、何時の間にか閉店になってしまった。故に稚内はこのチェーン店の「空白」に復した。そういう訳なので、出先でこのチェーン店を見掛けた時、不意に立寄ってみる場合も在る。

一杯の珈琲…(2024.04.15)

午前中の所用が想定以上に早目に終わり、ゆっくりと食事を摂ったが、次の所用に向けて動き始めるには早過ぎると思った。

↓新札幌で最も古くから続くと見受けられる商業施設の、かなり以前からのテナントで、喫茶店が在る。
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↑何度となく立寄っている場所でもある。

↓<フレンチ>と呼ばれるキツい焙煎の豆で珈琲を淹れて頂いた。これが「ネルドリップ」で淹れる珈琲で、なかなかに美味い。
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↓読み掛けの本を引っ張り出し、読書に興じながら美味い珈琲を頂く。
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凄く好い感じの時間の過ごし方だと思う。

スープカレー…:<一灯庵 サンピアザ>(2024.04.15)

↓美しい設えの御店だと、思わず提げていたカメラを使った。
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↑新札幌で所用を足し、次の予定迄の間に食事を摂る。そういう場所としてここが気に入って何度か利用している。

↓組合わせ方次第で相当に多く在るヴァリエーションであるが、何となく決めた。
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↓タイカレー風で“レッド”のスープを大盛りにして、ベーコンのトッピングで、米飯は少な目に御願いした。
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↓辛味を増すモノも添えられた。
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存外に辛いモノを好むので、こういうような料理は凄く好い。

稚内駅到着…(2024.04.16)

旭川駅で列車に乗込んだ。札幌を発って旭川を経て稚内へ到るという特急列車だ。

席に着いて寛いで居れば、永山駅で信号停車が生じ、そこからまた軌道上を列車は進む。何時の間にか列車は塩狩峠に差し掛かった。塩狩駅の辺りに、作家の三浦綾子の記念館が在るという。その外観の一部が見えて興味を覚えるというような感であったのを記憶している。そして「間も無く、和寒…和寒です」と録音による車内の案内放送が流れたことを記憶している。

ここで記憶が途切れる。記憶が再開するのは「間も無く、音威子府…音威子府です」という録音による車内の案内放送が流れた場面である。座席についていて居眠りに陥り、かなり深く寝入ってしまったようだ。行き違いの列車が遅れていて待った関係で、列車は12分遅れての運行となっていたという。その遅れが生じた場面のこと等は「全く知らない…」という様子だった。深く眠っていた。

↓稚内駅で列車を下り、改札口から出た。列車を眺めた。
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↑「意外に早かった?」という気もしたが、やや長く深めな眠りに陥っていて、憶えている時間が短めなのでそう錯覚していた。実際には定時運行の時よりも12分長く走った列車だ。

↓何となく空気が霞んでいるような気がしないでもない様子だった。
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↓駅前で少し驚いた。
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↑稚内で、この駅前の気温が表示される場所で観た限り、「2024年に改まって以降、現在時点で最も高い気温」だと思う。

↓「何時も眼にする様子」が眼前に在るのは好いかもしれない。
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「所用で出た」ということではあるが、時間を設けて「気儘に出先で過ごす」という様子でもあった。そういう中から戻ったのである。

夕べに…(2024.04.16)

出先から引揚げた。列車が少々遅れて、何となく午後1時前に稚内駅の辺りに在った。そこから帰宅して一息入れた。やがて、サウナを利用した。

夕刻の早めな時間帯に至り、サウナを利用した後に歩いて引揚げようとしたが、強めな空腹感を覚えた。滞在した旭川の宿で朝食を頂いた後、列車に乗り、そのまま食事を摂らずに居て、夕刻に至ったのだった。

↓拙宅に至る道筋で、看板に眼を留めた。
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↓馴染んだ御店の中の一軒に立寄ってみた。
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↓<白霧島>を頂きながら御通しを摘まむ。
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↓ポテトサラダが在った。意外に好きなモノである。
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↓数の子である。「炊いたん」と何となく言っていたが、似た訳である。これが凄く好かった。
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↑正直、「御通しを何回かおかわりすると食事のような気分に」という程度に、こちらの御店では御通しも好い。

↓そういう中、「煮魚を所望致す」とすれば登場した。カレイの一種であるナメタだ。
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↓美味い煮魚を供する御店は、手近な辺りでは余り思い当たらないのでこちらに立寄って愉しむのである。
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↓そして「そろそろシーズン終了?」ということで、“たち”を御願いした。
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↓柳川鍋風にする。
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↓溶き卵を加える。
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↓小皿に取って頂く。
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非常に満足感が高い夕食だった。午後5時台に寄り、午後6時半を過ぎた頃に出たのだったが、未だ暗く成りきっていないような様子だった。時にはこういう感じが好い。

建物が在った場所…(2024.04.16)

2月に火災で建物が傷んでしまったという場所が在った。出火したという建物が激しく傷み、隣の建物―確か空いていた―も傷んだ。傷みが激しかった側の建物が取り壊され、もう一方の建物に関しても取り壊しに着手されていた。

↓そこがこういう様子になっている。
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↓建物が「嘗て在った場所」というような様子になっていて、建物が在った頃には見えなかった隣の建物の壁等が通の側から見えているのだ。
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如何いうような様子になって行くのか?少し様子を観たい感だ。