第一副港辺りの眺め…:稚内港(2024.04.17)

前日の昼、何か妙に気温が上昇して15℃を超えていた。その状況から少し気温が下がり、11℃程度の朝となっていた。

↓辺りを歩き、稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに至った。
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↑微弱な風の故に、海水面が鏡面のような様子で、天の様が映り込んでいた。

↓繋留中の船はやや少な目であった。
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↓繋留濠の縁で翼を休める海鳥も見受けられた。
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↓海水面に天が映り込んでいて、「足元で天が揺れている」というような不思議な様子だと思った。
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↓天が映り込む海面が揺らぐと面白い様子になる。何となく見入ってしまった。
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↓燃料関係の船が停泊中の辺りに映り込む雲が少しダイナミックだった。
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↓このタグボートも見える辺りの様子が、「この辺りらしい」という感じがする。
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時々歩き廻るような範囲の風景を眺めるのも好い感じだと思う。

夕べに…(2024.04.17)

出先での数日間から戻り、平日として過ごした日の夕刻、やや暗くなってから夕食を摂ろうと御近所へ出た。

↓何となく風情溢れる外観の御店で暖簾を潜った。
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↓サラダを御願いした。
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↓何人かで分けるというような体裁のサラダだが、1人で頂いてしまう。この御店に寄る場合には「定番」となっている。
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↓鳥唐揚げを頂いた。
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↑この御店のモノは、何処となく「御家庭の味」を想起させる風で、なかなかに好い。

↓そして御店のオリジナルである「ホッケ蒲焼丼」だ。
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↑揚げ焼きという風のホッケに甘辛いタレで味を点け、とろろ昆布を敷いた米飯の上に載せる。これが好い。

↓小鉢や汁物、漬物が添えられた形で供される。
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↓「殊に気に入っている」を求めて、御近所の馴染んだ御店を訪ねるというのも好いものだ。
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朝に…(2024.04.18)

↓「平日」という様子で動く日の朝、稚内駅の辺りに至った。
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↓前日よりも気温は少し下がっていた。
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↓前日の昼頃にこの場所で見掛けた15℃を超える気温は、時季としては少し異様だったかもしれない。そういうことを改めて思っていた。
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移ろう季節を眺めながら日々が過ぎる。

<LAWSON>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓小樽では立寄る機会が多いような場所である。
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↑堺町通の、独特な旧い建物が目立つ辺りへと続くような一画に在る御店だ。

この辺りに関しては、「早朝に散策」というようなことをすることを好む。早朝であっても「あそこは営業している…」という安堵感が在る。

或いは、所謂「コンビニ」が「そこに在って当然で、在れば安心」というような「或る種の社会資本」のような存在感を帯びているのかもしれないというようなことも思う。

多分、小樽で早朝にでも歩くなら、この御店には何度も寄るであろう。早朝でもない時間帯に辺りを歩き廻る場合も在るが、そんな場合にも立寄っている。

<龍宮神社>:小樽(2024.04.14)

早朝から散策を愉しみ、宿に引揚げて一休みで、ゆっくりと外へ出た。多少嵩張るモノは小樽駅のロッカーに預け、少し街を歩こうということにした。

↓小樽駅から然程遠くない辺りに<龍宮神社>が在る。
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↑「武揚建立」と在る。これはかの榎本武揚のことだ。箱館の戦いで、幕府方の指導者として政府軍と戦った榎本武揚は、後に政府に出仕て開拓使の仕事をすることとなった。 その榎本武揚は1876(明治9)年に「北海鎮護」と献額し、北海道への移民の安寧を願って、アイヌ達が祭礼を行っていた場所でもある現在地に社を起こした。

↓境内の社殿辺りに、榎本武揚が献額した「北海鎮護」を映した石碑が据えられている。
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↓榎本武揚の銅像も在る。
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↓趣が在る社殿だと思う。
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↓参拝した。好天に恵まれた中、小樽で好い時間を過ごしていることについて、感謝の意を表した。
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↓やや小高い辺りから、街を見守るかのような感じで鎮座する<龍宮神社>である。
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↓記念に御朱印も頂いた。
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<龍宮神社>は小樽駅に近く、立寄り易い。気に入っている場所の一つだ。

丸型ポスト…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓小樽の堺町通は、この型のポストが似合う街に数えられると思う。
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↑試作品の試用という段階を経て、1949(昭和24)年正式に登場した型のポストだ。その後も長く製造され、設置され続けていたようで、街角で見掛けるモノがどの程度古いのかは判らない。

↓凄く静かな早朝、こういうような様子を眺めるというのが好い。
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この辺りに関しては、何時でもこんなポストが似合う雰囲気であって欲しいというように思う。

<旧共成株式会社>…=現<小樽オルゴール堂 本館>:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓概ね南北に延びる堺町通の南側の広い辺りに在る、なかなかに目立つ建物だ。
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↓大き目な建物で、道が交差する辺りでもあるので、なかなかに目立つ建物だ。
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↑有力な米穀商であった共成社が1915(大正4)年に建てた建物で、煉瓦が多用されている建物であるという。

現在ではオルゴールの店として広く知られているようだ。こういう場所は、早朝に歩き廻ると、外観を眺める、外観の写真を撮るには好いかもしれない。

<旧金子元三郎商店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓1899(明治32)年の建築であるという。明治期の小樽の商店建築という雰囲気をよく伝えている建物であるという。
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↑左右両側に大きな“うだつ”という形が凄く特徴的だ。

様々な物産を扱い、肥料販売や海運を営んだ商店であったという。明治期に肥料と言えば「鰊しめ粕」であって、小樽はしめ粕の材料になる鰊の漁が盛んであった場所だ。鰊漁の網元が建てたという屋敷鰊漁の番屋を見学したことも在った。

画の商店の主であった金子元三郎(1869-1952)は、政治家としても知られる。初代の「小樽区長」を務めたそうだ。「市長」ということになる。

※ 1888(明治21)年に市制、町村制が定められたが、北海道ではそれが適用されなかった。1899(明治32)年に北海道での町村制と併せて「区」が設けられた。
※ 「北海道区制」で言う「区」は、各地の「市」に準じるが、各地で「市会」(議会)に認められていた権限等で認められていないモノが見受けられた。
※ 「北海道区制」の施行後、直ぐに札幌区、函館区、小樽区が設置された。1914(大正3)年に旭川区、1918(大正7)年に室蘭区、1920(大正9)年に釧路区が設置された。
※ 1922(大正11)年に北海道を除外した市制に関する法改正が在り、北海道内の6つの「区」が「市」になった。

古い建物には、地域の色々な経過が滲むというものである。

<岩永時計店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓屋根に鯱が飾られている。小樽では時々見受けられるが、それ程多いのでもなく、意外に目立つ。
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↑1896(明治29)年に岩永時計店は起こり、1899(明治32)年に現在の場所にこの建物が建ったそうだ。この建物は1991(平成3)年に修復し、概ね創建時の外貨とした経過が在るようだ。

記事の件名で、小樽の古い建物の呼び方は「小樽市指定歴史的建造物」というような案内に準じている。多くは<旧〇〇〇〇>というような感じで、「嘗て〇〇〇〇であった建物」というようになっている。が、ここは「旧」が無い。

小樽の<岩永時計店>は、「創業明治29年」という老舗として知られている。現在では都通り商店街の「都店」と称している店舗が知られているが、この建物が「本店」となっているようだ。故に「小樽市指定歴史的建造物」というような案内に「旧」が無いようだ。

現在、この建物は<オルゴール堂>という御店が利用している。

<旧百十三銀行小樽支店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓趣が在る建物だ。1908(明治41)年に竣工と伝わる。
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1月に映画を観た。日露戦争の少し後の頃という設定になっている物語で、小樽の街が出て来る。作中、銀行が襲撃されるという騒ぎが描かれる。その映画の画面に登場する銀行というのが、この建物そっくりに再現したセットであったのだという。観た時、「あそこでこんなに派手な映画撮影をしたのか?!」と驚いた。

観た映画というのは『ゴールデンカムイ』である。漫画作品を原案とする映画で、漫画にもこの建物のイメージの画で、襲撃される銀行が表現されているようだ。作者は「日露戦争の少し後位の時代の北海道」ということで、小樽に足を運んで古い建物や、博物館に収蔵されているモノのスケッチをして、作中でそれを活用していたそうだ。

そんな話しも思い出しながら、早朝の静かな堺町通を歩き廻った。

<旧名取高三郎商店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓旧い建物に見受けられる「うだつ」というモノが独特だ。画のやや左、屋根の端側に壁状なモノが突き出る。
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↓こういうような建物である。
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↓少し廻り込んで、やや異なる角度から建物を眺めた。
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早朝、堺町通辺りを歩き廻った。小樽で夜を明かした後、この辺りを早朝から散策してみるのは意外に愉しいのだ。

小樽では1904(明治37)年に大きな火災が生じ、街の多くの建物が焼失したというような経過が在る。その時期以降、防火を意図した石材、煉瓦、コンクリートというような材料を外壁に用いる堅牢な建築が増えた。そういうような時代の建物が色々と伝わる小樽である。堺町通にはそういう建物も多く在り、歩き廻るのが愉しいのだ。