休業日、穏やかな天候と言い得る感ではあった。やや風が冷たいというのは免れられなかったが。
↓こういう幟を眼に留めた。
↓ランチタイム、御近所の御店が開いていたので立寄った。
↓休業日の昼にはこういう飲物が好い。
↓ビーフカレーを頂いた。これが凄く気に入っている。
↓珈琲も頂く。
↓今般は「一寸…」と誘惑に屈し、小ぶりなミックスピザを御願いした。時にはこういうモノも好い。
休業日の昼食はこういう感じが好いかもしれない。
洗濯を終えた愛用のジーンズ…(2024.04.21)
洗濯を終えた<SAKHALIN>のパーカー…(2024.04.21)
↓少し懐かしい感じがするマークが入ったモノが出て来た。
↑ユジノサハリンスクの<クリスタル>という施設を本拠地としたアイスホッケーチームの<SAKHALIN>(サハリン)のマークだ。日本のチーム、韓国のチーム、更にサハリンのチームが参加する<アジアリーグアイスホッケー>のチームだった。<アジアリーグアイスホッケー>は、各チームが国境も越えて移動し、ホーム・アンド・アウェーでリーグ戦を戦い、プレイオフのシリーズを組んで優勝を争うようになっていた。“感染症”の問題でそういう通常の開催方式でリーグ戦が組めない様子が続いてしまっていた。更に国際情勢も在り、<SAKHALIN>はリーグ戦に参加していない様子が続いた。2022年迄の、サハリンとの間を核チームが往来出来ないので<SAKAHLIN>の傘下が見送られた旨の情報は在るが、以降に関しては詳細は不明だが、少なくとも2023年以降は<アジアリーグアイスホッケー>への<SAKHALIN>の出場は無い。
↓これはユジノサハリンスクの<クリスタル>で売られていたモノで、<SAKHALIN>のマークが好いので求めていた。ホッケーのスティックを噛み砕くようなオットセイのマークだ。オットセイのような海獣は、ロシア国内で「島々から成る地域」と称しているサハリン州の象徴のように考えられている。大陸国のロシアで「島々」というのは、極めて個性的に見える訳だ。
↑日本のチームも<クリスタル>に続々と現れ、「シャイブゥ!」(シュートだ!)という声援、「サハリン!サハリン!」と連呼される応援の中で、手強い<SAKHALIN>との熱戦を繰り広げていた。何度もこれを着て観戦に行った想い出が在る。
↓背中側はこういう感じだ。
非常に着易いパーカーだ。大切に使い続けたい。
↑ユジノサハリンスクの<クリスタル>という施設を本拠地としたアイスホッケーチームの<SAKHALIN>(サハリン)のマークだ。日本のチーム、韓国のチーム、更にサハリンのチームが参加する<アジアリーグアイスホッケー>のチームだった。<アジアリーグアイスホッケー>は、各チームが国境も越えて移動し、ホーム・アンド・アウェーでリーグ戦を戦い、プレイオフのシリーズを組んで優勝を争うようになっていた。“感染症”の問題でそういう通常の開催方式でリーグ戦が組めない様子が続いてしまっていた。更に国際情勢も在り、<SAKHALIN>はリーグ戦に参加していない様子が続いた。2022年迄の、サハリンとの間を核チームが往来出来ないので<SAKAHLIN>の傘下が見送られた旨の情報は在るが、以降に関しては詳細は不明だが、少なくとも2023年以降は<アジアリーグアイスホッケー>への<SAKHALIN>の出場は無い。
↓これはユジノサハリンスクの<クリスタル>で売られていたモノで、<SAKHALIN>のマークが好いので求めていた。ホッケーのスティックを噛み砕くようなオットセイのマークだ。オットセイのような海獣は、ロシア国内で「島々から成る地域」と称しているサハリン州の象徴のように考えられている。大陸国のロシアで「島々」というのは、極めて個性的に見える訳だ。
↑日本のチームも<クリスタル>に続々と現れ、「シャイブゥ!」(シュートだ!)という声援、「サハリン!サハリン!」と連呼される応援の中で、手強い<SAKHALIN>との熱戦を繰り広げていた。何度もこれを着て観戦に行った想い出が在る。
↓背中側はこういう感じだ。
非常に着易いパーカーだ。大切に使い続けたい。
午後に…(2024.04.22)
映画館へ…(2024.04.22)
車窓…(2024.04.16)
旭川駅から稚内駅を目指して列車に乗込んだ。
列車は、好天の中で旭川駅から軌道を進んだ。飲物を頂きながら車窓を眺めていた。列車が北上し、何時の間にか塩狩峠に差し掛かったようだった。峠をゆっくり上がる感じで走る。そして塩狩駅を過ぎて、作家の三浦綾子の旧宅の一部を移築したという記念館と思われる建物を認めた。やがて峠を下り、和寒駅で停車する旨の案内が車内に流れた。
こういう辺り迄は憶えている。以降、記憶が途切れる。記憶が“再開”するのは「間も無く音威子府…音威子府でございます」という録音による車内放送が流れていた場面だ。酷く深く寝入ってしまった。
やがて車窓を眺めていれば、好天とも言い得る情況ながら、何か空気が霞んで遠景が少しぼやけるかのような様子でもあった。俄かな気温上昇の故かもしれない。
↓次第に稚内の街が近付く中、「この先に街?」という車窓からの眺めは続く。
↓「北海道の北側の自然」というような感じなのだと思う。
↓日本海が見える辺りに差し掛かった。
↓俄かな気温上昇で海から水蒸気が立ち昇り、遠景が霞んで見えなくなっているという様子だった。
↓それでも「微かに輪郭が霞んでいる」というように利尻富士が感じられはした。
この素晴らしい車窓なのだが、色々な意味合いでの「好条件」でなければ、麗しい利尻富士が観られない。今般、好天なので期待はしたが、少し残念であった。
車窓に日本海が見える辺りを過ぎれば、南稚内駅へ通じる経路になり、「間も無く南稚内…南稚内です」の案内放送も流れる。
列車は、好天の中で旭川駅から軌道を進んだ。飲物を頂きながら車窓を眺めていた。列車が北上し、何時の間にか塩狩峠に差し掛かったようだった。峠をゆっくり上がる感じで走る。そして塩狩駅を過ぎて、作家の三浦綾子の旧宅の一部を移築したという記念館と思われる建物を認めた。やがて峠を下り、和寒駅で停車する旨の案内が車内に流れた。
こういう辺り迄は憶えている。以降、記憶が途切れる。記憶が“再開”するのは「間も無く音威子府…音威子府でございます」という録音による車内放送が流れていた場面だ。酷く深く寝入ってしまった。
やがて車窓を眺めていれば、好天とも言い得る情況ながら、何か空気が霞んで遠景が少しぼやけるかのような様子でもあった。俄かな気温上昇の故かもしれない。
↓次第に稚内の街が近付く中、「この先に街?」という車窓からの眺めは続く。
↓「北海道の北側の自然」というような感じなのだと思う。
↓日本海が見える辺りに差し掛かった。
↓俄かな気温上昇で海から水蒸気が立ち昇り、遠景が霞んで見えなくなっているという様子だった。
↓それでも「微かに輪郭が霞んでいる」というように利尻富士が感じられはした。
この素晴らしい車窓なのだが、色々な意味合いでの「好条件」でなければ、麗しい利尻富士が観られない。今般、好天なので期待はしたが、少し残念であった。
車窓に日本海が見える辺りを過ぎれば、南稚内駅へ通じる経路になり、「間も無く南稚内…南稚内です」の案内放送も流れる。