↓「御尊顔を拝し奉り恐悦至極…」という程度に御挨拶してみたくなることも在る。
↓思い立って朝にここへやって来た。
↓時には好い感じだ。
↓少し道草に及んだ。
↓こういう風情も少し美しいと思いながら眺めてしまった。
↓サンドウィッチと珈琲を久し振りに頂いた。
↓気に入っているソーセージエッグマフィンは好い。
↓序に照り焼きマフィンである。
こういう「朝の道草」も時には愉しい。
朝に…(2024.05.29)
「令和六年」…(2024.05.28)
何となく愛用の小銭入れを開けた。
色々と入っている硬貨を見て、1つ注目した。
↓自販機の類や、硬貨入金可能なATMで使用出来ない場合も見受けられる、新しい500円硬貨だ。何処となく、何かの映画で見た「ルーレットのチップ」を想起する。それを手にして、少し驚き、思わず写真に収めた。
↑「令和六年」となっている。鋳造されて市中に出回ってから、然程時間が経っていないと見受けられる代物だ。
↓これは反対側だ。
↑因みにこの桐が描かれた面が「表」で数字の500が在る面が「裏」ということになっているという。考えてみると、硬貨は数字が在る側ばかりを見るような気がするのだが、この表裏の別は、100円、50円、10円、5円、1円の各硬貨でも同じである。
この500円硬貨だが、初登場は1982(昭和57)年で、2000(平成12)年に改鋳ということが在って、現行のモノは2021(令和3)年に登場している。
全く「だから?」という話しなのだが、時にはこういう手近なモノに注目すると一寸面白い。
ところで、この「令和六年」の硬貨だが、何かの支払の時に出していたようで、何時の間にか小銭入れから去ってしまっていた。
色々と入っている硬貨を見て、1つ注目した。
↓自販機の類や、硬貨入金可能なATMで使用出来ない場合も見受けられる、新しい500円硬貨だ。何処となく、何かの映画で見た「ルーレットのチップ」を想起する。それを手にして、少し驚き、思わず写真に収めた。
↑「令和六年」となっている。鋳造されて市中に出回ってから、然程時間が経っていないと見受けられる代物だ。
↓これは反対側だ。
↑因みにこの桐が描かれた面が「表」で数字の500が在る面が「裏」ということになっているという。考えてみると、硬貨は数字が在る側ばかりを見るような気がするのだが、この表裏の別は、100円、50円、10円、5円、1円の各硬貨でも同じである。
この500円硬貨だが、初登場は1982(昭和57)年で、2000(平成12)年に改鋳ということが在って、現行のモノは2021(令和3)年に登場している。
全く「だから?」という話しなのだが、時にはこういう手近なモノに注目すると一寸面白い。
ところで、この「令和六年」の硬貨だが、何かの支払の時に出していたようで、何時の間にか小銭入れから去ってしまっていた。
夕べに…(2024.05.28)
朝に…(2024.05.28)
ストラップ…:X100F(2024.05.26)
↓愛用の<X100F>である。
↓2017年9月に本体と同時に入手したレザーのケースに付属したストラップが傷み、やや使い悪くなっていた。昨年の間に新しいストラップを用意してはいたのだが、何かこのストラップが惜しくなってそのまま使っていた。が、いよいよ「一寸、使い悪い…」と首を傾げるようになってしまった。
↑厚めなレザーを貼り合わせたかのようになっている部分が殆ど剥げ落ち、ストラップが身体に触れる部分が心地悪いような、何か感じが悪い状態に陥ってしまったのである。
↓本体を護るケースはそのまま、ストラップだけを市販の普通のストラップに替えた。身体に触れる部分が幅広くなっている。
モノを写真に収めた後、少しこの「新しいストラップを着けた状態の<X100F>」を持ち歩いた。やや細く、少し傷んだストラップと違い、「カメラの重みをストレートに感じ悪い」という感じで軽快にカメラを持ち歩くことが叶うストラップだと思った。
愛用し続けていて、今後も「稼働する限り使う…」というように思っている<X100F>だが、こうしてストラップを換えるようなことで「使い易さ」は維持、或いは向上する。こういうのも好い感じだ。
↓2017年9月に本体と同時に入手したレザーのケースに付属したストラップが傷み、やや使い悪くなっていた。昨年の間に新しいストラップを用意してはいたのだが、何かこのストラップが惜しくなってそのまま使っていた。が、いよいよ「一寸、使い悪い…」と首を傾げるようになってしまった。
↑厚めなレザーを貼り合わせたかのようになっている部分が殆ど剥げ落ち、ストラップが身体に触れる部分が心地悪いような、何か感じが悪い状態に陥ってしまったのである。
↓本体を護るケースはそのまま、ストラップだけを市販の普通のストラップに替えた。身体に触れる部分が幅広くなっている。
モノを写真に収めた後、少しこの「新しいストラップを着けた状態の<X100F>」を持ち歩いた。やや細く、少し傷んだストラップと違い、「カメラの重みをストレートに感じ悪い」という感じで軽快にカメラを持ち歩くことが叶うストラップだと思った。
愛用し続けていて、今後も「稼働する限り使う…」というように思っている<X100F>だが、こうしてストラップを換えるようなことで「使い易さ」は維持、或いは向上する。こういうのも好い感じだ。
夕べに…(2024.05.27)
駅ビルにて…(2024.05.27)
波止場横丁の夕べ…(2024.05.26)
午後からサウナを利用した。天候は好いが風は冷たい。
↓午後4時頃に道草に及んだ。
↑この時季は夕刻が明るい。未だ「昼間」のような様子である。
↓午後4時開店の馴染んだ御店が開いたところだった。
↓馴染んだ暖簾を潜る。
↓着席してハイボールを頂く。
↓御通しに鰊の焼魚が出た。これが凄く好かった。
↓手羽先焼を頂いた。
↓数歩の移動ということにした。「昼間」のようだ。
↓馴染んだ暖簾を潜った。
↓着席し、泡盛をシークワーサーと炭酸で割ったモノを頂く。
↓キムチとドテ煮を頂く。
↓大阪の鶴橋の御店でも採用されている仕様であるというキムチは好い。
↓大阪の流儀のドテ煮が気に入っている。
↓「旬のアスパラ」が入っていた。茹でたモノを頂く。
↓「こだわり」と称するレモンサワーを御願いすると、何やら面白い感じの特製グラスが出て来た。
↓反対側はこういうような感じになっている。
↓そして更に数歩移動だ。
↓<さくら白波>を頂く。
↓御店の方や居合わせた方と語らい、何となく<さくら白波>が進んだ。
↓随分とゆっくりした。
↓そしてハイボールも頂いた。
↓そして戸外へ出た。
↓「夕べ」という風情が色濃くなっていた。
最近、休業日の夕刻はこういうような感じで過ごすというのが気に入っている。
↓午後4時頃に道草に及んだ。
↑この時季は夕刻が明るい。未だ「昼間」のような様子である。
↓午後4時開店の馴染んだ御店が開いたところだった。
↓馴染んだ暖簾を潜る。
↓着席してハイボールを頂く。
↓御通しに鰊の焼魚が出た。これが凄く好かった。
↓手羽先焼を頂いた。
↓数歩の移動ということにした。「昼間」のようだ。
↓馴染んだ暖簾を潜った。
↓着席し、泡盛をシークワーサーと炭酸で割ったモノを頂く。
↓キムチとドテ煮を頂く。
↓大阪の鶴橋の御店でも採用されている仕様であるというキムチは好い。
↓大阪の流儀のドテ煮が気に入っている。
↓「旬のアスパラ」が入っていた。茹でたモノを頂く。
↓「こだわり」と称するレモンサワーを御願いすると、何やら面白い感じの特製グラスが出て来た。
↓反対側はこういうような感じになっている。
↓そして更に数歩移動だ。
↓<さくら白波>を頂く。
↓御店の方や居合わせた方と語らい、何となく<さくら白波>が進んだ。
↓随分とゆっくりした。
↓そしてハイボールも頂いた。
↓そして戸外へ出た。
↓「夕べ」という風情が色濃くなっていた。
最近、休業日の夕刻はこういうような感じで過ごすというのが気に入っている。
<四大かに弁当>…(2024.05.27)
<稚内丼>…(2024.05.26)
第一副港辺りの眺め…:稚内港(2024.05.25)
「雨が降らない」ということなら、存外に「歩き廻る」ということも出来ると思う。冬季に見受けられるような次元の足元の悪さからは完全に免れているのである。何時までも肌寒いような感じの朝、何気なく歩いた。
↓稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに至った。
↓雲が広がる天の様子が殊更に面白かった。
↓辺りの鳥達の様子は見掛ける都度に様子が異なるので、少し面白いと思いながら眺めている。
↓鳥達の動きも含め、様子を眺めながら濠に沿って歩む。
↓よく見掛ける船も「何時もの辺り」に繋留中だった。
↓濠の最奥部側へ近付く中、タグボートが繋留している辺りを眺めた。
↓濠の最奥部にはタグボートが繋留中であった。
この第一副港の辺りというのは、存外に好い「散策コース」だと思う。
↓稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに至った。
↓雲が広がる天の様子が殊更に面白かった。
↓辺りの鳥達の様子は見掛ける都度に様子が異なるので、少し面白いと思いながら眺めている。
↓鳥達の動きも含め、様子を眺めながら濠に沿って歩む。
↓よく見掛ける船も「何時もの辺り」に繋留中だった。
↓濠の最奥部側へ近付く中、タグボートが繋留している辺りを眺めた。
↓濠の最奥部にはタグボートが繋留中であった。
この第一副港の辺りというのは、存外に好い「散策コース」だと思う。
「終点」…「起点」…(2024.05.26)
稚内駅前の、駅ビルやバス停が見える辺りに佇む。道が北へ延びる辺りの横断歩道で佇む。
↓こういうような標識が眼に留まる。
↑国道の「稚内市迄」や「稚内市から」というような基準になっているのが、稚内駅前辺りなのだと、日頃は気に掛けていないことに不意に気付かされる感じだ。
国道40号(旭川市・稚内市間)は「稚内市迄」となっているので「終点」だ。国道232号(稚内市・留萌市間)は「稚内市から」となっているので「起点」だ。と言って、「終点」と「起点」とは同じ場所だ。
「稚内」ということになると、何処かから北上して「終に到り着く」という印象が必要以上に強過ぎ、「終点」や「終着」という“枕詞”が出て来る場合が多いような気がする。だから「ここから出発してみる」という「起点」でもあるという意識をもう少し抱いても好いような気がする。
ここに掲出した写真のように、「終点」と「起点」とは「同じ場所」となり得るのである。
↓こういうような標識が眼に留まる。
↑国道の「稚内市迄」や「稚内市から」というような基準になっているのが、稚内駅前辺りなのだと、日頃は気に掛けていないことに不意に気付かされる感じだ。
国道40号(旭川市・稚内市間)は「稚内市迄」となっているので「終点」だ。国道232号(稚内市・留萌市間)は「稚内市から」となっているので「起点」だ。と言って、「終点」と「起点」とは同じ場所だ。
「稚内」ということになると、何処かから北上して「終に到り着く」という印象が必要以上に強過ぎ、「終点」や「終着」という“枕詞”が出て来る場合が多いような気がする。だから「ここから出発してみる」という「起点」でもあるという意識をもう少し抱いても好いような気がする。
ここに掲出した写真のように、「終点」と「起点」とは「同じ場所」となり得るのである。
午前中に…(2024.05.26)
踏切…(2024.05.26)
↓稚内駅から少しだけ南寄りに歩を進めた辺りに踏切が在る。
↑四角い箱のような鉄道車輛の画を入れた標識が掲げられている。が、画の車輛の屋根に「パンタグラフ」と見受けられるモノが在る。この辺は非電化なので、パンタグラフが在ってモーターを内蔵した「電車」は走行出来ない。「電車」を「客車」として利用し、電源車を連結してディーゼル機関車で牽引するという列車が稚内に現れた経過は在る。が、あの時は南稚内駅に発着していた。この稚内駅近くの踏切に「パンタグラフ」を備えた「電車」が現れたというのでもないと思う。
↓そんなことを思っていれば警報機が注意喚起をし、遮断機が作動するする中、列車が現れた。
↑キハ54ディーゼルカーだ。
↓思うと、「朝5時45分頃に旭川駅に入れば待機し始めていて乗車出来る。朝6時に旭川駅を発ち、昼12時過ぎに稚内駅に着く列車」と記憶しているが、自身でも何度も乗車している列車が稚内駅に入る場面に行き当たったのだ。
↓キハ54ディーゼルカーは踏切を通過した。
↓踏切を渡って振り向くと、キハ54ディーゼルカーは稚内駅の辺りで減速して停車しようとしていた。
稚内では列車運行本数が少ないので、こういうような「踏切を通過する列車」という様子はそれ程頻繁には観られない。
↑四角い箱のような鉄道車輛の画を入れた標識が掲げられている。が、画の車輛の屋根に「パンタグラフ」と見受けられるモノが在る。この辺は非電化なので、パンタグラフが在ってモーターを内蔵した「電車」は走行出来ない。「電車」を「客車」として利用し、電源車を連結してディーゼル機関車で牽引するという列車が稚内に現れた経過は在る。が、あの時は南稚内駅に発着していた。この稚内駅近くの踏切に「パンタグラフ」を備えた「電車」が現れたというのでもないと思う。
↓そんなことを思っていれば警報機が注意喚起をし、遮断機が作動するする中、列車が現れた。
↑キハ54ディーゼルカーだ。
↓思うと、「朝5時45分頃に旭川駅に入れば待機し始めていて乗車出来る。朝6時に旭川駅を発ち、昼12時過ぎに稚内駅に着く列車」と記憶しているが、自身でも何度も乗車している列車が稚内駅に入る場面に行き当たったのだ。
↓キハ54ディーゼルカーは踏切を通過した。
↓踏切を渡って振り向くと、キハ54ディーゼルカーは稚内駅の辺りで減速して停車しようとしていた。
稚内では列車運行本数が少ないので、こういうような「踏切を通過する列車」という様子はそれ程頻繁には観られない。
夕べに…(2024.05.25)
おはようございます…:稚内駅周辺(2024.05.25)
標識や看板…(2024.05.25)
朝に…(2024.05.24)
↓雲がやや多く、肌寒いと思いながら稚内駅の辺りへ歩いた。
↓6.7℃とのこと。
気象観測で「平年値」と言っている、10年間程度のデータから出す平均的な値が在る。
稚内の「5月」について平均的な気温は9.1℃で、1日の最高気温は12.4℃、最低気温は6.3℃であるそうだ。
序でに「6月」になれば、平均的な気温は13℃、1日の最高気温は16.1℃、最低気温は10.4℃であるそうだ。
朝8時頃と言えば、「1日の最低気温」が見受けられる場合は少な目な時間帯だと思う。それが「月の平均的な最低気温」に近い様子になっている。例年、5月も24日と終盤に至った中、「例年はこんなに寒かったか?」と首を傾げてしまう。
↓気温も余り上らないが、身体に当たる風が酷く冷たく、体感的に寒い。
方々で気温が上昇しているというような話題が聞こえて来るが、当地はそういう情況と関連が薄い様子が続いている。
↓6.7℃とのこと。
気象観測で「平年値」と言っている、10年間程度のデータから出す平均的な値が在る。
稚内の「5月」について平均的な気温は9.1℃で、1日の最高気温は12.4℃、最低気温は6.3℃であるそうだ。
序でに「6月」になれば、平均的な気温は13℃、1日の最高気温は16.1℃、最低気温は10.4℃であるそうだ。
朝8時頃と言えば、「1日の最低気温」が見受けられる場合は少な目な時間帯だと思う。それが「月の平均的な最低気温」に近い様子になっている。例年、5月も24日と終盤に至った中、「例年はこんなに寒かったか?」と首を傾げてしまう。
↓気温も余り上らないが、身体に当たる風が酷く冷たく、体感的に寒い。
方々で気温が上昇しているというような話題が聞こえて来るが、当地はそういう情況と関連が薄い様子が続いている。
夕べに…(2024.05.24)
旭川市庁舎…(2024.05.11)
夕べに…(2024.05.23)
朝に…(2024.05.23)
第一副港辺りの眺め…:稚内港(2024.05.22)
夕べに…(2024.05.22)
「午後7時半前後」というような時間帯に至ると、日が長くなっている中ではあるが、流石に少々暗い感じになって来る。
↓そういう中で戸外に出て、御近所の御店に寄った。
↓とりあえずハイボール(一寸濃い目)を所望し、御店のテレビで流れていたプロ野球の試合の中継に興じる。
↓そのうちに「とりあえず…」と所望するシーザーサラダが出て来る。これを頂く。
↓「カレイ焼」を所望した、所謂「宗八」だ。これも好い感じだ。
↓そしてこの組合せである。
↓イカ塩辛を摘まむ。
↓タコめしは外せない。
↓玉子焼きを御願いした。これも凄く好い。
↓更に鰊切込である。
興じていたテレビの野球の試合だが、4対0の展開から満塁ホームランで4対4の“振り出し”という様子になり、試合終盤の攻防が熱かった。ハイボールを「おかわり!」でゆったりと愉しんでいた。
こういうような夕べの一時が、何か非常に好い感じだと思う。
↓そういう中で戸外に出て、御近所の御店に寄った。
↓とりあえずハイボール(一寸濃い目)を所望し、御店のテレビで流れていたプロ野球の試合の中継に興じる。
↓そのうちに「とりあえず…」と所望するシーザーサラダが出て来る。これを頂く。
↓「カレイ焼」を所望した、所謂「宗八」だ。これも好い感じだ。
↓そしてこの組合せである。
↓イカ塩辛を摘まむ。
↓タコめしは外せない。
↓玉子焼きを御願いした。これも凄く好い。
↓更に鰊切込である。
興じていたテレビの野球の試合だが、4対0の展開から満塁ホームランで4対4の“振り出し”という様子になり、試合終盤の攻防が熱かった。ハイボールを「おかわり!」でゆったりと愉しんでいた。
こういうような夕べの一時が、何か非常に好い感じだと思う。
見上げた…:旭川駅の東側(2024.05.11)
朝に…(2024.05.22)
宿の居室…:<東横イン>(2024.05.11)
出先で宿を利用する。
↓居室に着くと、何となく写真を撮ってしまう。
例えば2023年末から2024年冒頭に各地で同じチェーンの宿を利用したのだったが、何処の街でも同じような居室で、何か使い易い。更に何年か遡って様々な街での様子を振り返るが、「何処でも同じ」は或る程度徹底している。
↓今般は列車で引揚げるべく旭川駅へ向かう迄の間、この居室を連泊で利用した。勝手ながら「別宅」のような気分である。
広い範囲を動き廻り、各地の宿に次々と移るという方式を採る場合も在る。が、今般は旭川を「前線拠点」という程度に位置付けたのだった。
そういう事柄をメモするかのような感で記事を起こしているが、「宿の居室の画」というような感じも一寸好い感じだと思っている。
↓居室に着くと、何となく写真を撮ってしまう。
例えば2023年末から2024年冒頭に各地で同じチェーンの宿を利用したのだったが、何処の街でも同じような居室で、何か使い易い。更に何年か遡って様々な街での様子を振り返るが、「何処でも同じ」は或る程度徹底している。
↓今般は列車で引揚げるべく旭川駅へ向かう迄の間、この居室を連泊で利用した。勝手ながら「別宅」のような気分である。
広い範囲を動き廻り、各地の宿に次々と移るという方式を採る場合も在る。が、今般は旭川を「前線拠点」という程度に位置付けたのだった。
そういう事柄をメモするかのような感で記事を起こしているが、「宿の居室の画」というような感じも一寸好い感じだと思っている。
稚内港北防波堤ドーム…(2024.05.22)
酷く深く眠った気がしていた。早朝に眼が開いた。窓の外が酷く明るかった。玄関の扉の辺りで戸外を伺うと、風除けに留まらず、とりあえず防寒の意図も在る上着で戸外へ出るのが賢明と見受けられる感じだった。
↓酷く気温が下がっているという程でもない。が、冷たい風を受けて酷く寒い感じもする中、稚内港北防波堤ドームの屋蓋が見える辺りに足を運んだ。
↓天の様子が海面に映り込むような様子であった。
↓他方で、風が海面を渡る様が眼に見える場合も在った。
↑そういう程度に思っていれば、上ろうとする朝陽の一部が覗いた。
↓朝陽が丸く綺麗に見えた。
↑海鳥も風に舞っていた。
↓朝陽は高度を上げると、やや高目な辺りの雲に少し姿を隠すような感じになった。
早朝のダイナミックな眺めは、多少の寒さを防寒着で凌ぐようなことをしてでも、観に出る価値が高いというように思う。
↓酷く気温が下がっているという程でもない。が、冷たい風を受けて酷く寒い感じもする中、稚内港北防波堤ドームの屋蓋が見える辺りに足を運んだ。
↓天の様子が海面に映り込むような様子であった。
↓他方で、風が海面を渡る様が眼に見える場合も在った。
↑そういう程度に思っていれば、上ろうとする朝陽の一部が覗いた。
↓朝陽が丸く綺麗に見えた。
↑海鳥も風に舞っていた。
↓朝陽は高度を上げると、やや高目な辺りの雲に少し姿を隠すような感じになった。
早朝のダイナミックな眺めは、多少の寒さを防寒着で凌ぐようなことをしてでも、観に出る価値が高いというように思う。
旭川駅を発つ…(2024.05.14)
「1週間遅れで連休」と号して出掛けて「好かった…」と、旭川の宿の居室で多少の余韻に浸るような朝だった。
この間、名寄と塩狩(和寒)に寄り、上富良野を訪ね、岩見沢に寄りながら栗山を訪ねたのだった。
そして引揚げる。
↓旭川駅の東寄りに在る通路から駅舎に入る。
↑この場所に関しては、話題にしても御存じない方が意外に多いかもしれない。駅の東側の宿に滞在した後に列車を利用するような場合、一寸便利な出入口だ。
↓東改札口だ。
↓<特急 宗谷>に乗車する。何時もの6番ホームだ。
↓階上の通路に入った。
↓「乗車位置」が掲出される。足元の番号で場所を確かめて、その辺りで待つと好い。
↓列車が現れた。
↓見慣れたキハ261系ディーゼルカーだ。
↓減速しながら、列車が眼前を通り過ぎた。
↓乗込んで指定席に陣取る。荷物は棚に上げる。
↓着席して程無く、列車は進み始める。こうなると安堵感が拡がる。
こういうような具合に列車に乗込んで移動するのが凄く気に入ってる。
この間、名寄と塩狩(和寒)に寄り、上富良野を訪ね、岩見沢に寄りながら栗山を訪ねたのだった。
そして引揚げる。
↓旭川駅の東寄りに在る通路から駅舎に入る。
↑この場所に関しては、話題にしても御存じない方が意外に多いかもしれない。駅の東側の宿に滞在した後に列車を利用するような場合、一寸便利な出入口だ。
↓東改札口だ。
↓<特急 宗谷>に乗車する。何時もの6番ホームだ。
↓階上の通路に入った。
↓「乗車位置」が掲出される。足元の番号で場所を確かめて、その辺りで待つと好い。
↓列車が現れた。
↓見慣れたキハ261系ディーゼルカーだ。
↓減速しながら、列車が眼前を通り過ぎた。
↓乗込んで指定席に陣取る。荷物は棚に上げる。
↓着席して程無く、列車は進み始める。こうなると安堵感が拡がる。
こういうような具合に列車に乗込んで移動するのが凄く気に入ってる。