『氷雪の門』…(2024.05.03)

北門神社の辺りから、稚内の街の後背に在る丘陵、「稚内公園」に入って行くことが出来る。少し急な坂道を往来しながら公園に出入りすることになるのだが。

↓急な坂道を上った辺りにこういうモノが在る。
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↑正しくは「樺太島民慰霊碑」と称するのだが、『氷雪の門』という通称で知られる。雪と氷の中で厳しく生き抜き、そして敗戦の失意から再び逞しく立ち上がった人々を象徴するという、2.4mの高さであるという所税の像と、高さ8mという門を組合わせている。

樺太への望郷、彼の地で他界した人達の慰霊という趣旨で、1963(昭和38)年に建立したのだそうだ。樺太の島影が見える場合も在る場所にこの『氷雪の門』は在る。

↓門の上でカラスが翼を休めていた。
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時には、こういうモノを眺めるのも好い。

北門神社…(2024.05.03)

祝日等が重なる期間である。

随分と以前、何かの仕事をすべく国外の皆さんがこの時季に大勢やって来たということが在って、そういう皆さんの御話しを耳にしたことも在ったのを思い出した。色々な場所が「祝日で休業」という様子で一寸した用事が足りないので、彼らは「よく判らない、長過ぎる“週末”という感である…」というように状況を表現していた。色々な国や地域で、祝日等が少し集まって、間隔となっている日を休業にしてしまうというようなことで、「やや長い休み」というようになる事例も見受けられるような気もするのだが。

そういう期間に入った早朝、雲が多目で、何時の間にか雨が交じり、何やら雷鳴も聞こえたが、そのうちに天候が好転した。

↓久し振りに訪ねてみた。
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↑未だ、境内のエゾヤマザクラは蕾だった。

天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)が祀られているという北門神社である。1785(天明5)年に宗谷に駐在した人が起こした社に起源が在るとされる神社だ。1896(明治29)年に現在も鎮座する辺りに遷ったのだという。この頃から「北門神社」と号している。1911(明治44)年に大規模な火災が発生していて、神社の建物は損なわれてしまった。やがて本殿は1913(大正2)年に再建されたのだという。現在観られる社殿は1978(昭和53)年の建物であるという。

こういう地元の神社を訪ねるのも好い。神職が殆ど常時在って活動をしているという神社としては、日本国内で最も北に在る神社ということになる場所でもある。

エゾヤマザクラ…;稚内市立図書館周辺(2024.05.02)

↓「おっ?!」と少し注目し、提げていたカメラを使った。
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↓図書館の脇の街路樹はエゾヤマザクラだ。眼に留めた木は、他の木以上に花が目に付いた。
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↓5月冒頭に花が開くというのは、当地の感覚では少し早い。
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こういう花を観るのも、少し嬉しいものだ。

Одуванчики(アドゥヴァンチキ)…:タンポポ…(2024.05.02)

未だ風が冷たい。戸外に出る際には、一定程度の防寒という意図も在る感じの、風除けの上着は欲しい。そして自身はベースボールキャップ等を着用で出るという場合が殆どである。

こういう中で戸外を歩くが、未だ「花」には間が在る感じだ。花が咲いていている植物が在れば、酷く目立つ感じである。

↓こんなモノを眼に留めた。路線バスの市内線、大黒3丁目停留所で下車して、辺りの川に沿って歩いた時だった。
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↑舗装路面の端、川の傍で舗装路面に生じた隙間のような箇所から出ているタンポポの花の色が酷く目立ったのだ。川の縁に柵が在って、柵の影も見えている。

「舗装路面に黄色のタンポポ」は少し目立つ。個人的には、今季初めて見たと思うタンポポだ。

歩いていて、眼の端に黄色が見える気がして、タンポポを認識する。以前であれば、こういう具合に、提げていたカメラを使って、姿勢を低くして撮ってみるというようなことはしなかったかもしれない。が、タンポポに眼を向けてみたくなる、一寸した出来事が在った。

国外出身の友人が、日本国内に滞在していた経過が在る。滞在して居た辺りの地域を訪ねて会い、一緒に歩き廻った。春の日だった。

都市緑地の端の辺りに差し掛かり、少し伸びた草の緑の中に黄色が散見した。そこで友人が足を停めた。「如何した?」と思えば、友人は緑地の端に素早く歩み寄った。

友人は「Одуванчики(アドゥヴァンチキ)!」と少し声を上げ、姿勢を低くしてそれを眺めた。タンポポのことである。

友人は幼少期、または少し長じてからも、春に戸外を駆け回って、タンポポを愛でるようなことを好んでいて、タンポポを見掛けると酷く懐かしく嬉しい気持ちになるのだという。子ども時代を懐かしみ、道端の花を愛でる様が、何か少し眩しかった。

それが記憶に強めに残っていて、「春が遅い当地」で姿を現し始めたタンポポに注目した。そして友人が呟いた「Одуванчики(アドゥヴァンチキ)!」という言葉を想い起したのだった。

↓少し歩を進めて、こんな様子も眼に留めた。
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↑建物の端と、舗装路面の端との隙間に、強引に挿し込まれたかのようにタンポポが伸びていて、花を咲かせ始めていた。

余程の異常な気象状況でもなければ、タンポポは毎年のように、時季に至れば花を咲かせるのであろう。「こんな所に?」というような場所で花を咲かせ続けるのであろう。

「春に戸外を駆け回って、タンポポを愛でる」というような、如何でも構わないような事柄も、戦禍が続いて、人に大きなダメージをもたらしてしまうようなモノが、判り悪い状態で散らばってしまっているような中では、思うように出来なくなってしまう訳だ。それでも花は咲くのであろうが。

或る朝に辺りを歩き廻り、友人との一寸した時間を想い起すタンポポを眼に留め、「春が遅い当地」も漸く春らしくなったかもしれないと思いながら、花の生命と、花を普通に愛でられる状態の尊さというようなことに想いを巡らせたのだった。

夕べに…(2024.05.01)

5月に月が改まっても、然程温かいという感じでもないと思った。そういう情況とは無関係に、夕食は欲しくなる。

↓御近所に出て、馴染んだ御店の中の1軒に立寄った。
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↓御店の奥側、カウンター席に陣取った時、偶々辺りが空いていたので、提げていたカメラで撮った。「小規模な居酒屋」という風情が色濃い、一寸好い雰囲気だ。
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↓サラダを所望した。
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↓何人かで分けてという様子なのだが、1人で確りと頂いてしまう。
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↓鰊の塩焼きを頂いた。山葵醤油漬けと大根おろしが添えられていた。
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↓一寸大きく、白子も入った、なかなかに好い感じの鰊を愉しんだ。
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↓こちらの御店に寄れば、オリジナルの<ホッケ蒲焼丼>が好い。
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↑揚げ焼きにするようなホッケに甘辛いタレで味を付け、とろろ昆布を敷いた米飯に載せる。最近は「米飯を少し少な目」というように希望するようにはなっているが、この<ホッケ蒲焼丼>は非常に気に入っている。

↓こういう具合に供される。
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↓寛いだ夕食の一時に大満足で御店を後にした。
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御近所で過ごす夕べは何時も好いものだ。

朝に…(2024.05.01)

屋内用には余り着込まなくなって来たように思う昨今だ。他方、戸外に出る際には、一定程度の防寒という意図も在る感じの、風除けの上着は欲しい。そして自身はベースボールキャップ等を着用で出るという場合が殆どだ。

↓明るい朝、稚内駅の辺りに至った。
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↓多少気温は上がっている。が、上がっている「気がする」という程度にしか思えないのは、風がやや冷たいように感じるからだ。
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↓過ぎる程に見慣れた様子ながら、天が美しい時の眺めは気持が好いと思った。
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