酷く寒い様子になって辟易していたが、前日の午後辺りから、温かいとは言い難いものの、少し落ち着いた天候になった。早朝に起き出せば、薄暗い曇天や雨交り、場合によって強めな風という、戸外に出たくない様子が少し続いていた。そういう様子を免れたと見受けられたので、思い付いて早朝の戸外へ出てみた。
↓天の高い辺りに雲が多い他方、低い辺りに雲が少ない。早朝に「より明るい」という感じがする様子だと思った。
↓刻々と光の状態が変わる早朝の様子を眺め、何となく海岸で寛いだ。
↓朝陽の一部が覗き、辺りの光の感じは随分と変わった。
↓朝陽が高度を上げ始めた。
↓光が解き放たれた。
少し位、気温が低めなのは苦にしない。が、強風や冷たい雨、挙句の果てに些かの雪というのは、流石にキツい。とりあえず、そのキツい様子から抜け出て、妙に大きな安堵感を覚えている朝になっている。
朝に…(2024.05.08)
夕べに…(2024.05.07)
夕刻、バス停に少し佇んで冷たい雨と風、加えて低温に晒されて濡れ、バスで移動して、下車後に少し歩いてまた濡れた。「外出無用!」と帰宅直後には思ったが、濡れた上着を脱ぎ捨て、湿った服を替えて少し経つと、何やら空腹感が込上げる。
↓半ば雪のような冷たい雨が強風に乗って吹き付けるような酷い状態の中、「負ケズ!」と御近所に出た。
↑少し馴染んだ暖簾が強風でバタバタとしていた。「今晩は…」と潜って、普段と変わらない様子で、些かの暖房も効いていて安堵した。
↓サラダを所望した。
↓複数人で摘む想定で少し大きなボールのサラダだが、一人で愉しむのが好い。
↓そして<ホッケ蒲焼丼>である。揚げ焼きにしたホッケに甘辛いタレで味を付け、とろろ昆布を敷いた米飯に載せる。
↑個人的な好みで、米飯はやや少な目にということで御願いする。
↓こういう具合に供される。
↑この御店では、添えられる汁物、小鉢、漬物もなかなかに好い。
居合わせた、北海道内を巡る旅を愉しもうと、稚内上陸を果たしたという方と言葉を交わし、雑談に興じた。そういう場面が生じるのも好い。
↓そんなことで、荒天に「負ケズ!」と出て、愉しく寛ぐことになった、少し馴染んだ御店である。こういう場所は有難いものだ。
↓半ば雪のような冷たい雨が強風に乗って吹き付けるような酷い状態の中、「負ケズ!」と御近所に出た。
↑少し馴染んだ暖簾が強風でバタバタとしていた。「今晩は…」と潜って、普段と変わらない様子で、些かの暖房も効いていて安堵した。
↓サラダを所望した。
↓複数人で摘む想定で少し大きなボールのサラダだが、一人で愉しむのが好い。
↓そして<ホッケ蒲焼丼>である。揚げ焼きにしたホッケに甘辛いタレで味を付け、とろろ昆布を敷いた米飯に載せる。
↑個人的な好みで、米飯はやや少な目にということで御願いする。
↓こういう具合に供される。
↑この御店では、添えられる汁物、小鉢、漬物もなかなかに好い。
居合わせた、北海道内を巡る旅を愉しもうと、稚内上陸を果たしたという方と言葉を交わし、雑談に興じた。そういう場面が生じるのも好い。
↓そんなことで、荒天に「負ケズ!」と出て、愉しく寛ぐことになった、少し馴染んだ御店である。こういう場所は有難いものだ。
<旧久保商店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)
小樽で夜を明かし、早朝に散策を愉しんだのだった。
↓堺町通で、見掛ける足を停めて眼を向ける場合が多い建物だ。
↑和風の商家という造りだと思うが、小間物、雑貨を商う商店であったという。1907(明治40)年の建物であるとのことだ。
↓早朝の、御店などが営業する以前の時間帯に、こんな旧い建物の辺りを行き交った人々やモノを想いながら、漫然と歩き廻るというような散策も悪くはない。
↑そう思う反面、カフェとして利用されているという中に入ってみたいという好奇心も沸く。
この場所は、毎度同じようなことを想いながら通り過ぎている気がするのだが、それでも「美しいのでカメラを向けてみたい建物」は素晴らしい。そして、こういう静かな時間帯に動き廻るような場合、X100Fを提げて歩き、気が向くままに使うというような様子が酷く心地好い。このカメラがこういう街並みを撮るのに適しているとも言えると思うが、「街並みが写真を撮るために在るのか?」という気さえしてしまう。
今般、小樽を訪ねてから少し長く時日を経たが、この建物の画を取上げていなかったことに気付いて記事を起こした。
↓堺町通で、見掛ける足を停めて眼を向ける場合が多い建物だ。
↑和風の商家という造りだと思うが、小間物、雑貨を商う商店であったという。1907(明治40)年の建物であるとのことだ。
↓早朝の、御店などが営業する以前の時間帯に、こんな旧い建物の辺りを行き交った人々やモノを想いながら、漫然と歩き廻るというような散策も悪くはない。
↑そう思う反面、カフェとして利用されているという中に入ってみたいという好奇心も沸く。
この場所は、毎度同じようなことを想いながら通り過ぎている気がするのだが、それでも「美しいのでカメラを向けてみたい建物」は素晴らしい。そして、こういう静かな時間帯に動き廻るような場合、X100Fを提げて歩き、気が向くままに使うというような様子が酷く心地好い。このカメラがこういう街並みを撮るのに適しているとも言えると思うが、「街並みが写真を撮るために在るのか?」という気さえしてしまう。
今般、小樽を訪ねてから少し長く時日を経たが、この建物の画を取上げていなかったことに気付いて記事を起こした。