塩狩駅出発…(2024.05.11)

<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>興味深く見学した。普通列車を乗り継いで塩狩駅で下車し、また塩狩駅から移動するということになると、事前に列車運行時刻を少し調べてメモでもして、それを頭に入れながら動き回る必要はあるであろう。が、幾つもの小説を愉しく読んだ自身としては、<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>を是非訪ねてみたかったので、事前に多少調べた。興味深く見学出来るようにするとすれば、早朝の列車を乗り継いで到達し、やや慌ただしい様子ながらも<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>を確り訪ねて旭川駅へ向けて移動をするのが好さそうだと考えた。

↓2番ホームで列車を待っていた。名寄駅で待機している様子を見たことも在るH100形がやって来ている。乗って来た列車の約1時間後に名寄駅を発つ列車だ。
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↓停車に向けて減速する。
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↓佇んでいたのは車輛の後尾側だった。ワンマン運行の列車は、無人駅では乗務員(運転士)が乗っている前側の扉で乗降するようになっている。前の側へ駆け寄って乗車した。
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或いは北海道内では、こういうような雰囲気で列車に乗降する駅が非常に多いかもしれない。車内は座席が埋まって立つ人も在るという程度に賑わっていた。朝の稚内に合わせた服装の故に「些か暑い…」という程度に思い始めながら、旭川へ移動したのだった。

帰着…=運行日誌(2024.05.14)

拙宅の居室で寛いで居る。

前日は、岩見沢駅からの列車で旭川駅に到着後、宿へ引揚げずに街へ出て、少し馴染んだ御店に立寄って食事を愉しんでから宿へ向かった。直ぐに眠気が強くなり、何やら深く眠った。

眼が開けば未だ午前3時台だった。結局そのまま起きて居た。そういうのも「休日らしい」というものだ。やがて窓の外が明るくなって来た。前々日の曇天、前日の雨交りに対して好天だ。朝に散策には出なかったが、明るい窓を眺めながら、居室でゆっくり過ごすのも一興というものだ。

「宿で朝食を頂く」というのは特殊なことではない。が、1泊した翌日も、そのまた翌日も「午前6時前行動開始」で、6時半から供される朝食は頂いていない。よくやるように、朝の特急列車で稚内へ引揚げる段取りなので、これもまたよくやるように、宿の朝食をゆっくり頂いた。朝食を供するホールが余り広くないので、「御弁当」な方式で、居室に持ち帰って頂くということも出来るようになっている。今回はその方式だった。

やがてゆっくりと旭川駅に向かい、列車に乗り込んだ。車中では、何となく居眠りも交じった。一部の駅での到着や発車の様子の記憶が曖昧だ。深めに居眠りをしてしまったのであろう。

無事に着いた稚内は15℃程度であったが、風は多少冷たかった。拙宅へ引揚げる道すがら、御近所の御店に道草で昼食を摂った。

なかなかに充実した数日間であった。時にはこういうのも悪くない。数々の見聞等は、順次綴るようにしたい。

煉瓦造…:小林酒造:栗山(2024.05.13)

栗山駅から歩いた。小雨が交って濡れる中、左折すべき場所を通り越してかなり歩いた。やがて左折すべき正しい場所に引き返し、更に歩を進めた。

↓在った!小林酒造である。
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↓煉瓦造の建物が使われている。
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↑「北海道のこの地に錦を飾ってやろう」という意気で、酒銘を<北の錦>としたのだという。

↓煉瓦造の他に石像の建物も見受けられた。
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冬季に氷点下の低温が続き、木造建築の蔵では発酵が巧く進まない場合も在ったということで、耐寒性の高い煉瓦造の建物にして石炭を利用した暖房を施すようにしたのだという。それがこれらの煉瓦造や石造の建物である。

小林酒造は1878(明治11)年に札幌で起こり、1900(明治33)年に栗山に移って現在に至っている。より広い用地を得て、より多く醸造をしようとした。空知地方各地の炭鉱に人が多く集まり、酒類の需要は高く、それに応えようとした経過である。

↓雨に多少苦戦もしながら、この特徴的な建物の写真を撮っていた。
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岩見沢駅にて…(2024.05.13)

雨も交じる様子の中で<岩見沢レールセンター>の建物を眺めるというようなこともしていた。やがて乗る予定の列車の発車時刻が近付いた。

↓窓口で切符を求めた。
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↑「券売機?何処?」とキョロキョロしていて、何となく窓口が眼に入ったので切符を求めたが、窓口辺りに佇めば眼の先に券売機は在った。が、こういう切符も味わいが在って好い。(ワンマン運行で乗務員に切符を渡して下車なので、切符は手元には残せなかった。有人改札の場合には、申し出てスタンプを押してもらうと持ち帰ることが出来る。)

↓岩見沢駅は「札幌の都市交通網の北東端側」という感じで、存外に多くの列車が発着していると思う。特急列車も停車する。
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↓苫小牧殿間を往来する列車だ。キハ150ディーゼルカーによる運行だ。何時の間にか、この路線の主流がこの車輛になった感じだ。
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↓車内の様子だ。H100形もこういう感じになっている。多分、このキハ150ディーゼルカー以降の車輛はこういう感じを基礎としているのであろう。
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この列車で栗山駅へ向かった。

<岩見沢レールセンター>…(2024.05.13)

岩見沢駅で北口への連絡通路に足を踏み込み、歩を進めた。

↓こういう様子が見えた。
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↑列車の窓からも見える大きな煉瓦造の建物だ。何本も敷かれた線路が在って、岩見沢駅から直ぐ近くながら近付き方がよく判らなかった。北口への通路を通れば簡単だ。

↓<岩見沢レールセンター>というJR北海道の施設だ。現役の施設で、関係者以外は建物外観を眺めるだけということになる。
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↑壁の高い辺りに「☆」のマークが在る。これは「北海道炭礦鉄道」のマークだという。

「北海道炭礦鉄道」は、北海道で最初の鉄道を手掛けた「官営幌内鉄道」から路線の譲渡を受けて各地の鉄道輸送を担い、1892(明治25)年に現在の室蘭線を始めたという会社だ。この建物は1898(明治30)年に着工で1899(明治31)年に竣工したという。「北海道炭礦鉄道岩見沢工場材修場」として登場し、以降は鉄道会社が変わる都度に引き継がれて、現在でもJR北海道で使用している。

↓事務所出入口も見えた建物が、明治時代の建築であるようだ。
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↓小雨の中、長く風雪に耐えて現在も現役という煉瓦造の建物の壁は、何とも名状し難い風格を漂わせていた。
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↓これは外観を眺めるだけでも興味深い。
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↓雨が滴る感じを何となく眺めた。
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↓興味深い場所を眺めてみる術をしったことになる。
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この<岩見沢レールセンター>は、道内各地のJR路線で使用されるレールの加工を一手に行っているそうだ。

連絡口<駅北広場方面>…:岩見沢駅(2024.05.13)

岩見沢駅は跨線橋から通じる改札口が2階に設えられ、辺りに窓口と駅員の積める事務所や待合所が設けられている。

↓その辺りにこういう出入口が在る。
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↑画のように扉を見て発つ場合、背中側にエスカレータが在って、大概はそれを使って下りて、1階に在るコンビニを利用するようなことをしている。言わば「未知の扉」が眼前に在る。

↓入ってみた。通路が設えられていた。
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↑駅を利用する人達、駅近隣を訪れる人達が利用する駐輪場も脇に設えられていた。

↓列車から見える場合も在る、何本も線路が敷かれた広めな構内を横断する大きな通路が在った。
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↓駅の北側へ下りられるようになっている。
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今般、列車に乗り継ぐまでに少し時間が在ったので、初めてこの駅の北側への通路に入った。一つ覚えた。機会が在れば、また通ってみたい。

雨の朝:岩見沢駅到着…(2024.05.13)

早朝の旭川駅で乗込んだ737系電車の列車は、通勤・通学と見受けられる人達の乗降が多く見受けられるような様子で進み、岩見沢駅に到った。

↓所謂「ワンマン運行」だが、岩見沢駅で乗務員が交代する。
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↓未だ新しい737系電車だが、辺りの「風景」として馴染んで行くようになることであろう。
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↓折り返し運転に備えて、乗務員は運転台側へ進んでいた。
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↓跨線橋に上った。右が乗って来た737系電車で、左はキハ150ディーゼルカーの2輛連結だ。苫小牧側から到着したところであるようだ。
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↓やや間が在る乗継だ。岩見沢駅の辺りで過ごす。
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今般は「通り過ぎている経過の在る駅を利用」というような様子になっているが、岩見沢駅もそういう例に含まれるかもしれない。それにしても、小雨が少し強めになっていた。キツいという程でもなかったが。

朝の旭川駅を発つ…(2024.05.13)

↓平日だが、未だ朝が早いので旭川駅辺りも静かだ。小雨が交っている。
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↓札幌へ向かう高速バスが待機中だった。
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↓旭川駅へ入ると、この時季に見受けられる横断幕が掲げられていた。
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↓東改札口だ。流石に少し早過ぎるので、旭川駅の中で一息入れる。
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↓西改札口へ廻り込んでみた。
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↓ホームへ上って行く通路の趣が気に入っている。
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↓飲物の缶等を棄てられるようになっている。ゴミ箱も、何やら館内デザインの一環のように感じられる。
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↓6番線を目指す。
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↓エスカレータを利用する。
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↓737系電車が待機していた。
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↑最近のダイヤ改正の後、この新しい車輛が眼に留まるようになった。

↓乗り込んだ。ロングシートの内装だ。何か「大都市圏の列車」というような風情でもある。
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↓ICカード乗車券の利用に関して、外国人旅行者に向けた外国語の案内が掲出されていた。
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↑旭川駅や岩見沢駅等では、ICカード乗車券を利用して入場後、ICカードに未対応の路線の列車も発着していて、未対応の駅に到って戸惑う場合が生じているようである。前日に、旭川駅の改札口で、その旨を話している外国人旅行者を見掛けた。こういうのは、外国人旅行者に限らず、国内の旅行者にも、場合によって近在に住んで居る人達でも判り悪い場合も在るであろう。

↓上着やキャップを棚に上げ、シートに腰を下ろした。
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この岩見沢へ向かう列車は、途中から乗降が少し多くなる。平日の朝だ。

早朝に…:12階の眺望:旭川(2024.05.13)

↓宿の居室で、早朝の戸外へ出る前に窓から眺めた。
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↑雲が多目でやや薄暗かったが、道路が湿っているのが判る。小雨交りだ。

雨を気にせず、半袖Tシャツの上にデニムのジャケットを引っ掛け、キャップ着用で出た。多少濡れて、湿った中で動き回ることになった。

岩見沢駅を発つ…(2024.05.13)

結局、旭川駅に近い、勝手ながら「別宅」と呼んでみる場合も在る馴染んだ宿を「前線拠点」として動き回っていた。栗山を訪ねた日も、最後は旭川へ引揚げる。

↓旭川駅へ向かう列車を岩見沢駅で待っていれば、その姿が見えた。
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↑こうやって、現れる列車を待つ風情がなかなかに好い。

↓岩見沢に到着した列車が、折り返し運転で旭川へ向かうようだ。
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↓停車し、乗客が下り、旭川方向へ向かう乗客が乗り込む。
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沿線の様々な学校(高校、短大、大学、専門学校等)の学生が多いと見受けられたが、新しい737系電車のロングシートの感じは、「大きな都市圏の通勤・通学の電車」という風情であった。そういう様子で途中に随分と乗客も入替りながら旭川駅へ向かって列車は進んだ。

少し前迄、ICカード乗車券が利用出来たのは岩見沢迄だった。最近になって、岩見沢・旭川間のこの路線でIC乗車券が利用可能となった。そしてこの新しい737系電車である。辺りの様子も変わっている感じだ。

宵に…:12階の眺望:旭川(2024.05.13)

連日、早朝に行動開始であった。宿に入って休む前に寄道で夕食を愉しみ、宿に引揚げた後は「以後は何時でも御休み頂いて結構」ということにしようと思った。

↓居室に入り、窓を観た。
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↑朝から日中は雨が交じった。戸外を歩いて少し濡れた場面も在った。やがて夕刻辺りには雨が気にならなくなった。未だ天に些かの明るさが残る中、心地好く歩いた。そして観た様子である。

↓引揚げる前夜であるが、暫し窓からの眺望を愉しんでいた。
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夕べに…:<旭川やきとりism>(2024.05.13)

5月11日は早朝5時台に発車の列車で発ち、一日動き回って旭川に到った。5月12日は早朝6時台の列車で発って上富良野を訪ねて歩き廻った。5月13日も早朝6時台の列車で発って、岩見沢を経由して栗山を訪ねて歩き廻った。そして旭川に泊って翌朝に稚内へ引揚げるという段取りだ。

岩見沢駅を出た列車が旭川駅に着いた。直ぐに宿へ引揚げず、そのまま寄道で食事を愉しんでみようと、午後5時半前の街を歩いた。

↓看板を眼に留めた。
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↓馴染んだ御店だ。灯りが点いている。
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↓階段を下りて御店に御邪魔する。
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↓「一番乗り」という風情だった。
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↓<赤霧島>の御湯割りと、御通しを頂く。
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↓「寒い」という程でもないが、日中に雨に濡れて、多分冷えていた。「御湯割り」が凄く好かった。
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↓もやしと枝豆の御通しも好い感じだった。
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↓直ぐ横に「本日の一品料理」が掲出されていた。迷いながら何点か択んで御願いする。
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↓アスパラの「出汁浸し」という一品だ。軽く茹でたアスパラを、昆布や鰹の出汁に少々の調味料を加えたモノに浸す。
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↑アスパラと油揚げを刻んだモノを若干ということなのだが、これに出汁が滲みて凄く好い。アスパラも旭川辺りの、短い旬という感じの太いモノで素晴らしかった。

↓鳥焼売は、鶏のミンチを皮で包んで蒸上げるモノだ。これも好い。
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↓そして「じゃがバター」だ。クリームを攪拌して造るという、本当にクリームのようなバターをジャガイモに乗せるのだが、少し塩分が入った生ハムを刻んだモノも加えられ、これが非常に合う。
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↓締め括りに、少し迷いながら択んだ「鳥出汁の塩ラーメン」を頂いた。
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↓やや細い、ストレートな感じの麺が、サッパリしていながらも味わい深いスープに非常に合う。
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↓美味いスープも確り頂いた。
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確り食事を愉しみ、遠い西の天が仄かに明るい時間帯の中で宿に引揚げた。翌朝の移動に備えて休む訳である。