エゾヤマザクラ…:塩狩(2024.05.11)

今季は、些か桜に縁薄かったかもしれない。桜の時季に花が好い場所を訪ねる機会を設けたのでもなかった。地元では咲き始めた少し後に酷く寒くなり、動き悪いので積極的に戸外で桜を眺めたのでもなかった。

そういう様子ながら、今般立寄った塩狩駅の辺りに関しては、多数のエゾヤマザクラが在ることが知られている。

↓残念ながらその多数のエゾヤマザクラも花が終ってしまっていたのだったが、それでも「待っていてくれた!」という木が在った。
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旭川へ向かう列車を待つ間に花を少し愛でていた。
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こういう形で桜と巡り会えたという様子が記憶に残る。そして感謝したい感だ。

<長野政雄氏殉職の地>:塩狩…(2024.05.11)

『塩狩峠』はよく知られた小説だと思う。作品を読んでいなくても、題名位は耳にしたことが在るという場合も少なくないことであろう。

この『塩狩峠』のクライマックスということになる出来事が起こった場所に近い塩狩駅の傍には、この小説が綴られた頃に作者の三浦綾子が住んでいた家の一部を利用した記念館も在る。

↓辺りにこういう碑が在る。何方かが御酒を御供えしたようだ。碑に名の在る御本人が酒を愛したか否かは知らないが。
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↑小説の『塩狩峠』は、実際の出来事に着想を得ている。連結器が外れて、下り坂を滑るように動き始めた列車を何とか停めようとして轢かれてしまったという人物は実在する。その人物が長野政雄である。

『塩狩峠』の作者である三浦綾子は、旭川の街に在る旭川六条教会に通っていたというが、実はこの長野政雄も鉄道勤務の他方で旭川六条教会に通っていた。そういうことが、小説の執筆の契機にもなっているのであろう。

↓碑の反対側では、小説のモデルとなった出来事に関わった、実在した人物である旨等が紹介されている。
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結局、地域間を結ぶ鉄道のようなモノも含め、色々な人達の努力や犠牲が在って「今日の暮らし」が創られているのだと思う。名寄から旭川への列車が不具合を来してしまった時に何が如何なったのか、真相は判らないかもしれない。が、小説は色々な事を考える材料を提供してくれると思う。

更に、名寄から旭川の区間を含む宗谷線を年に何度も利用していることも在り、小説とそれに着想を与えた出来事に関しては、是非とも記憶に留めたい。

自身で『塩狩峠』を読んだのは然程以前でもない。寧ろ最近だ。が、作品や作家と出会い、関係の場所や展示施設を訪ねる機会を設けられたのは大変に幸いだ。

59601号機:<排雪列車「キマロキ」編成>…(2024.05.11)

↓“機能”が具現化して出来上がったのが蒸気機関車の形状なのだと思う。こうやって間近でその形状を眺めると、蒸気機関車は美しいと思う。
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↓「59601」という機番のプレートの下に「大10川船」というプレートが在る。「大10川船」は「大正10年 川崎造船所」と製造時期と製造工場とを示している。
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↓運転台の様子だ。
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↓何度観ても、この機関車は好い。
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きっと、また観に立寄ると思う。余り大きく取沙汰されていなかったが、この機関車も既に「100年」を超えている貴重な存在だ。

D51 398号機:<排雪列車「キマロキ」編成>…(2024.05.11)

↓蒸気機関車の運転台である。ボイラーを焚いて蒸気を起こして、それを調整して動輪を動かす訳だが、石炭を投入する場所が設けられ、その蒸気の調整を担う機器類が搭載されている場所だ。
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↓D51 398号機である。
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「D51」を「デゴイチ」というようにも呼んでいたと思う。幼少の頃には「デゴイチ」という呼び方が「蒸気機関車の代名詞」でもあるかのようだったような記憶が在る。

D51形は1935(昭和10)年から1945(昭和20)年と長く製造されたが、製造総数が1184輌に及ぶのだという。全国で広く活躍していて御馴染であったことや、長く製造が続いたことが示すように、扱い易く現場で好評であったということから「デゴイチ」が「蒸気機関車の代名詞」という様子になって行ったのであろう。

幼少の頃には、未だ「蒸気機関車牽引の貨物列車」が少し見受けられた。“親父殿”と車で出掛けて、踏切の辺りでその「蒸気機関車牽引の貨物列車」を見たという記憶、そして「黒い怪物のようなモノが、長い真っ黒なモノを引いて、煙等を撒き散らすように通り過ぎて行った」と考えたというような記憶が僅かに在る。「デゴイチ」は黒く、ボイラーを焚く黒い煙が煙突から上り、白い蒸気が噴き出し、牽引しているのは大概が石炭を積んだ黒い貨車だった。そこで幼少期に「黒い怪物のようなモノが、長い真っ黒なモノを引いて、煙等を撒き散らすように通り過ぎて行った」と思ったのであろう。後から“親父殿”に、嘗ては線路の上を走るモノと言えば、蒸気機関車が牽引する貨物列車や旅客列車ばかりであったこと等を教えてもらったというようなことも在ったかもしれない。

↓何か「眼に馴染む」という感じだ。「蒸気機関車の代名詞」でもあるかのように言われた「デゴイチ」だけに、「蒸気機関車」とでも言えば「こういうような感じ」を思い浮かべるかもしれない。
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製造数が多いので、D51が保存されている例は方々に在る。近年では旭川室蘭神戸、加えて<京都鉄道博物館>で観た。

更に、(当時)ソ連サハリン州へ向けての輸出用にこの「デゴイチ」が製造されたという経過が在り、使用されなくなってからも日本国内で見受けられるように展示されている例を観たことが在る。日本国内では機関車のプレートに「D51 XXX」と記すが、サハリンで見受けられる仕様は「D51-XX」となっている。

↓「D」というのは「4動輪」を示す記号だ。何となく動輪を眺めていたが、「C」という「3動輪」に比べて径が小さめだ。が、「4動輪」はより大きな牽引力を発揮するので、主に貨物列車の牽引で活躍していた。
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この「デゴイチ」の姿は、今後も長く伝えて欲しいと思う。殊にこの<排雪列車「キマロキ」編成>の398号機は好いと思う。

<排雪列車「キマロキ」編成>…(2024.05.11)

↓「名寄」とでも聞くと「コレ!」を思い出す。名寄駅から旭川方向に列車で少し進むと、車窓にコレが見える場合も在るが「一瞬見える」という様相だ。近くに足を運んで少しゆっくり眺めるのがより好い。
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↑名寄では<排雪列車「キマロキ」編成>の屋外展示が観られる。色々な関係者の皆さんによって大切に護られている。こういう屋外展示は、冬季間には積雪の故に確りと覆うのが北海道内では寧ろ普通だ。名寄も例に洩れないが、例年4月末頃に覆いを外している。「観られる!」と思い出し、列車待ちの時間に足を運んだのだった。

2022年6月に立寄ったのが最も近い訪問であると思うが、大変に興味深く、気に入っているので何度も立寄っている。

↓編成の先頭に立つ蒸気機関車59601号機である。方々で長く使われた9600形蒸気機関車である。
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↑1921(大正10)年に製造された59601号機は、1972(昭和47)年迄の半世紀余りも名寄で働き続けた。

↓続いてマックレー車だ。線路脇等の堆い雪を掻き寄せるようにする。
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↓そしてこれがロータリー車だ。1939(昭和14)年に製造されたモノであるという。
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↑蒸気機関車が走る機構を応用し、車輌前方の巨大な羽を回転させて雪を飛ばしてしまうロータリー車だ。一見すると機関車のようだが、自走能力は無い。

↓余談ながら、サハリンで同様のモノを観たことが在った。2018年11月だった。北海道内で使用されているモノと同型、または似たモノが樺太時代に運び込まれ、戦後も長く使われて、サハリンでも「鉄道の歴史を伝える車輌」という扱いになって展示されていたのだと思われる。
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↑ハッキリ言えば、サハリンの例と名寄の例位しかこの車輌の展示は思い浮かばない。そういう意味でも貴重だ。

↓名寄のロータリー車だが、大きさは蒸気機関車と殆ど変わらない。
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↓そして蒸気機関車D51 398号機だ。最も多く製造されたD51形蒸気機関車だ。
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↑この398号機は1940(昭和15)年に製造され、1973(昭和48)年迄働いた。

↓末尾には、嘗ては貨物列車等に見受けられた車掌車も連結されたようだ。これは関係者が乗込む場所なのだろう。
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機関車の「キ」、マックレー車の「マ」、ロータリー車の「ロ」、機関車の「キ」と車輌の種類に因んだ文字を組合わせて「キマロキ」である。軌道脇に堆くなった雪をマックレーで崩し、それをロータリーで遠くへ飛ばす。ロータリー車は「動けない機関車」というように凄く重いので、後ろから機関車で推す。そしてマックレーを牽引する。故に2輛の機関車に、マックレー車とロータリー車が挟まれた独特な編成となるのだ。

↓ここでは、殊にこの蒸気機関車59601号機が気に入っている。半世紀以上も働き続けた“大功労者”の勇姿が伝えられているのだ。
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↓反対側では各車の運転台辺りに梯子が掛けられ、中を観ることも出来るように展示されている。
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「名寄には、他にも色々と佳いモノや面白いモノが在る!」と些かの御叱りを受けるかもしれないが、それでも「名寄」とでも聞くと「コレ!」を思い出し、「あの勇姿に会いたい…」と時々名寄に立寄る。

名寄駅到着…(2024.05.11)

稚内駅から乗り込んだキハ54ディーゼルカーは順調に南下を続けた。車内は空いていた。美深駅以降は、名寄駅を目指す人達が若干乗り込んだが。

↓早朝の列車で名寄駅に着くと、何となく大き目な安堵感が湧く。
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↓「ここ迄運んでくれて有難う!」という感じでキハ54ディーゼルカーを眺めた。
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↑先走りな話しにはなるが、この車輛は少し長く待機していて、結局塩狩駅迄はこの同じ車輛に乗った。

↓稚内駅のホームで見えていたのとは反対側の車輌側面が見えていた。「宗谷線」のボードは利尻富士の画だ。凄く気に入っているボードだ。
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早朝に稚内駅を出る普通列車で名寄駅に着き、以遠へ進む場合、特急列車であれ普通列車であれ、乗り継ぐにはやや間が在る。普通列車の場合は、ホームで待機の列車に乗込むことが出来る迄の「実質的待ち時間」で1時間少々だ。

↓ということで、予め求めて在った乗車券に改札口で「下車印」を押して頂いて、少し外に出て歩き廻ることにした。
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稚内港北防波堤ドーム…(2024.05.15)

前日迄、出先で活動する等していた数日間を過ごした。前夜は早目に強めな眠気を催し、それに抗うことなく直ぐに眠った。横になった場所の灯りが点いたままで、一旦眼を開けた時に消した。そして気付けば午前3時台であった。

薄明るい感じに誘われるように早朝の戸外へ出てみた。

↓少し風が強い中、稚内港北防波堤ドームの屋蓋が見える辺りに足を運んでみた。海鳥が風に舞っているような様子だった。
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↓10℃を少し超えているようだが、少し強い風が冷たく、何となく掴んだ晩秋から冬季にも使う場合が在る上着が程好かった。
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↓雲に滲むような朝陽が高度を少しずつ上げる様が見えた。
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↓もっと朝陽の高度が上がれば、明るい晴天になると見受けられる様子だった。
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こういう様子を見ると「稚内へ引揚げた」という感が強まる。

自販機…(2024.05.15)

早朝に散策に出た。

↓何時も見掛ける自販機だ。
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↑650ml入だという緑茶のペットボトルが170円だった。

全く「だから?」という話しなのだが。

夕べに…(2024.05.14)

↓「安着祝い」と号し、未だ暗く成り切らない夕刻に「ハイボール(少し濃い目)」のグラスを傾け始めた。
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出先から列車で引揚げ、午後を過ごしては止めな夕食と思い立ち、御近所の御店に立寄った。

↓「とりあえず…」とシーザーサラダを頂く。
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↓この組合せが気に入っている。
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↓イカ塩辛を摘まむ。
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↓タコめしは外せない。
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↓野菜炒めも好い。
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↓鮭のおにぎりを頂いて締め括った。
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「何時もの感じ…」で寛いだが、それはそれとして、何か素早く引揚げて速やかに休んだという夕べであった。

ランチ…(2024.05.14)

朝に旭川駅で特急列車に乗込み、昼に稚内駅に着いた。酷く寒いとも言い悪いが、やや強めな風が冷たかった。

↓荷物を持ったまま、拙宅への道筋に在る御店に立寄ることとした。
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↓気に入っているビーフカレーをゆったりと頂いた。
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↓食後の珈琲が好い。
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寛いだ後、拙宅へ引揚げた。

昼に…(2024.05.14)

↓到着した稚内駅で戸外に出てみた。
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↑程々な気温で天候は好い。

↓心地は悪くないが、風は少し冷たい。
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風の故に、「駅前に佇む」というようなことで、強く「到着した…」と実感する場合が在る稚内である。

「味噌ハーフ」…(2024.05.12)

旭川駅へ足を運んで、<花たび そうや>というイベント列車を眺めた。

イベント列車を眺めた後、戸外は少し風が強かったが、駅周辺を歩き廻り、ここに至った。
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↓何度も立寄っている御店だ。
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↓「味噌ハーフ」というモノを頂くこととした。「麺が半分」という味噌ラーメンである。丼が通常と少し違うという。多分、ややサイズが小さいのであろう。
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↑辛さを指定するようになっているが「3」ということにした。自身にとっては程好い辛さだったと思う。

↓「ハーフ」ながら「十分な量感」というように思った。“味玉”を追加して頂いた。白いモノは小さな餅だ。
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↓濃い味の味噌ラーメンが似合うような麺だと思った。
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↓「御馳走様でした!」という按配だ。
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この日は上富良野を訪ねて積極的に歩き廻り、この時間帯には「些か足取りが重く…」という様子になっていたので、この御店での食事を「早目な夕食」ということにして、宿に引揚げてゆったりと寛いだのだった。