芝桜と蒲公英と…:上富良野神社:上富良野の風景…(2024.05.12)

↓上富良野神社の辺りで、花色で一隅を覆ってしまっているような様子に眼を奪われた。
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↑芝桜である。上富良野を訪ねた時、この芝桜が好い時季であった。

↓そしてこの蒲公英にも眼を奪われた。
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蒲公英を見て「Одуванчики(アドゥヴァンチキ)…」と呟いてしまった。

日本国内に滞在していた国外出身の友人と御一緒した際、友人が蒲公英を見掛けて「Одуванчики(アドゥヴァンチキ)!」と少し声を上げ、姿勢を低くしてそれを眺めていた様子を思い出した。

友人は幼少期、または少し長じてからも、春に戸外を駆け回って、蒲公英を愛でるようなことを好んでいて、見掛けると酷く懐かしく嬉しい気持ちになるのだという。

「春に戸外を駆け回って、蒲公英を愛でる」というような、如何でも構わないような事柄も、戦禍が続いて、人に大きなダメージをもたらしてしまうようなモノが、判り悪い状態で散らばってしまっているような中では、思うように出来なくなってしまう訳だ。それでも花は咲くのであろうが。そう思って、蒲公英が気になっている昨今である。

上富良野も、かの「大正泥流」のような状態になってしまった。村を放棄するも已む無しという論調が強まった中、父母と共に拓いた土地を簡単に諦めたくはないと復興が進められた。多分、そんな復興の頃にも、この蒲公英のような花が姿を見せ、「これが咲くなら、作物も育つようになる筈だ」と人に希望を与えたかもしれない。

こういうさり気無い花は、災禍や戦禍を乗り越えるような人々の傍らで、そういう努力を静かに見守る存在なのかもしれない。そういう花が、地域を見守る神社の辺りに在ったというのが、何か強く記憶に残る。

↓蒲公英と芝桜とが組み合わさって見える箇所も在り、何やら暫し佇んで見入ってしまった。
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訪ねてみた上富良野から戻って然程の事実を経ているのでもないが、早くも懐かしくなる感じである。

上富良野神社…:上富良野の街角(2024.05.12)

↓鳥居が連なっている場所に出くわした。奥に建物も見える。神社の参道であるようだ。
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↓上富良野神社の参道である。
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↓現在の社殿は1989(平成元)年のものであるらしい。
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↓上富良野の総鎮守という、なかなかに風格が在る社殿だと思った。
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この辺りには色々な人達が入植して種々の農場を拓くようなことをしていたが、各々の纏まりで暮らしの安寧や仕事の成功を祈るような社を設けていた。例えば「三重団体」と呼び習わされた三重県出身の人達が水田等を拓いていた辺りでは草分神社が在った。この種の神社の一部は現在でも伝わっているようだ。

そういう色々な人達の「各々の社」の他方、1899(明治32)年の(現在の富良野線ということになる)鉄道開通を契機に形成されて行った市街には、神社は無かった。そういうことで、1902(明治35)年に創祀され、翌年に分村というようなことも在って「上富良野神社」と号するようになり、「村の総鎮守」ということで経過して行くことになる。

↓上富良野で好い時間を過ごしていることに感謝の意を表すべく参拝した。
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上富良野を訪ねようと考える契機になった小説『泥流地帯』であるが、「大正泥流」が発生する終盤寄りの辺り迄は、小学校の教員になって行く主人公が祖父の薫陶を受けて育っていくというような内容が多いが、そういう中に上富良野神社に纏わる話題が出て来る。市街の上富良野神社での祭は、大正10年代頃には既になかなかに盛大なものになっていて、人々が様々な催事を愉しんでいた様子が描かれている。

↓地域の歴史を見守って来た、そしてこれからも見守る存在の、地域を代表する神社の存在感は好いと思う。
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<上富良野町開拓歴史広場>の辺りから上富良野神社迄歩いたが、小説『泥流地帯』の作中世界の人々が祭を見物に出ようと歩いたような道筋であったかもしれない。こういう過ごし方が好い。但し、列車で旭川に引揚げた後、やや多く歩いた関係で足取りが些か重くはなってしまったのだったが。

嘗てはガソリンスタンドであったと見受けられる場所…:上富良野の街角(2024.05.12)

少年期から何処でも1人で歩き廻る、自転車に乗って動き廻るということを随分とやっていたと思う。目に入る様々なモノ、殊に判り易い何かを覚えて「目印」のようにして、それを辿って行動するというような「習性」が何時の間にか心身に沁み込んでいるかもしれない。

現在でも、標識や看板や建物をその「目印」にして、色々な街を歩き廻る感じだ。何時の間にか各コンビニチェーンの看板が、その「目印」になる場合が増えたような気もするが、コンビニの看板以上に目立つのはガソリンスタンドだと思う。歩き廻る分には車輌用の燃料に用事は無いが、車輌が出入し易いような造りの故に「家並が切り取られたようになっている」と見え、同時に車輌に給油をする設備の形状が独特なので目立つのだ。

上富良野の街を歩き、そのガソリンスタンドらしきモノが遠目に見えた。「一寸、覚えておくと好さそうだ」と考えながら近付いた。そして多少驚いた。

↓こういう様子になっていた。草が伸びてしまっている様子、施設が一部傷んだ様子を見ると何年間もこのままだったと見受けられる。
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少し先に営業しているガソリンスタンドも在った。そのガソリンスタンドの「移転前」の場所であったのか、廃業してしまった場所なのかは判らない。が、特徴的な施設が放棄されたような様子で、年月を経てしまっている様を何となく観るというのも少し興味深い。

踏切の標識…:上富良野の街角(2024.05.12)

↓もう蒸気機関車は走っていないが、鉄道と道路が交差する踏切について注意喚起する標識には、現在でも蒸気機関車が描かれている場合が在る。
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何年位以前迄だったか?旭川・美瑛・富良野の間で、標識の画のような形状であるC11形蒸気機関車が牽引するイベント列車を運行していた経過が在ったと記憶する。そういうことであれば、この上富良野の街に在る踏切を、標識の画のように蒸気機関車が通り過ぎたということになる。

不慣れな街で歩き廻る場合、こういう蒸気機関車の画の標識、標識が注意喚起をする踏切というようなモノは格好の目印になる。

<サキソフォン吹きと猫>…(2024.05.11)

↓何時もの場所に「彼」は座って居た。
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↓何か音楽が聞こえそうだ。
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↓「猫」もまた、何時もの場所で演奏を聴くような感じで座って居る。
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↓「また旭川に寄りました…」と“御挨拶”という気分で眺める。旭川の街を歩き廻り、旭川駅のロッカーに預けた荷物を引き取り、宿へ向かうという道筋でこの辺りを通ったのだった。
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このブログには、収められている記事について「キーワード検索」が出来る機能が備えられている。「サキソフォン吹きと猫」というキーワードで検索してみると、様々な季節の色々な時間帯の様子の画が入った記事が沢山出て来る。

こういう「街中の殊更に気に入った場所」というのは好い。

夕刻に…:12階の眺望:旭川(2024.05.11)

早朝に稚内駅を発った後、列車を乗り継ぎ、下車した都度に歩き廻って、馴染んだ宿に至った。

12階の居室に滞在することとなった。居室の中で、到着の安堵感が拡がるのを感じながら、多少寛ぎ始めた。

↓居室の窓は西側向きであった。
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↑傾いた太陽の光が居室内に射し込むような感じだった。

↓遠い山並みの陰へ、太陽は静かに去って行こうとしていた。
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↓太陽は視えなくなったが、天は未だ少し明るい。
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↓やがて街の灯りが少し目立つようになり始める。
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↓「夜らしい」という雰囲気が濃くなる。
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↓天も暗くなった。
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刻々と変化する様子を、若干の間隔を開けて眺め続けていた。かなり歩き廻った1日なので、そのまま居室で寛ぎ、眠気に抗わずに休むこととした。翌日には上富良野を訪ねるということも思い描いていた。また早くから動き出すのだ。

この12階の眺望はなかなかに好い。こういう眺望の居室で過ごすのは素敵だと思う。

虎…:<三番館>前:旭川銀座商店街(2024.05.11)

↓街角にかなり大き目な「親子虎」が据えられている。
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↓色々なモノを扱っていると聞くが、<三番館>という御店の前だ。
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↑代表の方が、非常に熱心なプロ野球の阪神タイガースのファンであるらしい。

↓招き猫をアレンジした「招き虎」が秀逸だと思う。
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今季のタイガースは、少しずつ調子を上げたという感じであり、現在はなかなかに好調と観る。ここまで華々しく虎を飾っていると、御店以上に「そう言えば阪神タイガースは…」というようなことが気になってしまう。

少し面白い様子だ。

「日本国潜水艦部隊 創設100周年」のTシャツ…(2024.05.11)

稚内駅を早朝に発った後、名寄塩狩の在る和寒旭川と、乗り継いだ列車から下車した都度に随分と歩き廻った。歩き廻った各所は、何れも稚内より温かく、何やら存外に汗をかいた。

旭川駅東側の馴染んだ宿に入った後、とりあえず汗で濡れた衣類を脱いだ。

↓バッグから新しいTシャツを引っ張り出した。
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↑海上自衛隊関係のグッズに見受けられるTシャツも色々と持っている。これもその1つだ。

↓「日本国潜水艦部隊 創設100周年」ということで、背中に少し面白いプリントが施されている。
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↑長い間に運用された様々な潜水艦のシルエットが並んでいる。各潜水艦は大きさが異なるが、概ね同スケールの画で比べられるようになっている。

多分?一番上は帝国海軍時代の<伊 四百>だと思う。際立って大きな潜水艦であったという。そして浮上して水上飛行機を運用するという仕組みにもなっていた。

その下にも帝国海軍時代の潜水艦が見受けられる。「特殊潜航艇」と称された小型の潜水艦や、あの「回天」を搭載している様子も見受けられる。そして浮上して航行する場面も多いことから、海上戦闘用の機関砲を搭載している様子も画で見受けられる。

下の方の潜水艦は、海上自衛隊が運用して来た型のモノだと思う。何時の頃からか、潜水艦は余り浮上航行をしない仕様になって行った訳だ。

こういう「モノの歴史」に注目したようなグッズは、少し好きだ。

<きびだんご>…(2024.05.15)

↓辺りのコンビニで眼に留まり、何となく衝動的に求めてしまった。
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↓セロファンのような袋から引き出すと、紙に包まれている。
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↓包み紙を開くと、厚紙に包まれた何かが在る。
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↓これが<きびだんご>である。
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昔話の「桃太郎」で、主人公の桃太郎が鬼ヶ島へ鬼退治に向かう際、同行して共に戦うことになった動物達に与えるモノが「きびだんご」ということになっていて、アレは丸い珠の形をした餅のようなモノである。この<きびだんご>は違う。

「きびだんご」が「吉備団子」であるのに対し、<きびだんご>は「起備団合」なのである。

「起備団合」とは「事が起きる前に備え、団結して助け合う」という意味であるという。北海道内で1923(大正12)年に登場して現在へ受継がれているというモノだ。モチ米や餡や飴等を組合わせた、粘性が高い短冊状のモノである。オブラートに包まれているので、手に持って食べ易い。或る種の保存食のような感じでも頂くことが可能かもしれない。

何時の間にか、「起備団合」の<きびだんご>も、名称の読み方が昔話の「桃太郎」に出て来るモノと同じなので、包み紙に桃太郎の画を入れるようになって行ったようだ。

北海道内では広く知られているが、他所では余り知られていないと見受けられる。一寸面白い。

高カロリーな菓子である。余り頻繁に頂くべきではないのかもしれない。が、時には頂いてみたい。随分とこれに親しんだ想い出も在る。

車窓…:下沼駅(2024.05.11)

↓車窓から眺めた下沼駅だ。
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↑写真を撮る分には、停車中よりも、発車直後という時点の方が撮り易いように思った。画は発車直後の撮影である。

下沼駅は1926(大正15)年に現在の宗谷線が延伸された際に開業したそうだ。

そして1985(昭和60)年には「貨車駅」と呼ばれる現在のような感じになったのだという。

2021(令和3)年以降、駅は地元の幌延町が管理しているという。

駅舎を擬人化したような塗装が施され、少し眼を惹かれる。