休業日の早朝に辺りを歩き廻っていた。
↓こういう様子に出くわした。
↑稚内駅の辺りだ。
↓「彼」は実に悠然と草を食む。
↓何やら動き始めた。
↓国道の側へ出て行った。
↓路上に踏み出した。
↓「彼」は国道を横断していた。
↑札幌へ画向かう都市間バスが待機中である様子も見えるが、稚内駅辺りの国道での様子である。
辺りの道路に「彼ら」が現れること自体、既に珍しくない感じではあるのだが、それでも何か驚いてしまうような様子だと思う。
午後に…(2024.11.10)
<スラッピー・ジョー>…(2024.11.10)
休業日、昼食を頂こうと御近所へ出て、稚内駅周辺に至った。
↓「少し御無沙汰…」という御店の辺りで眼に留めた黒板だ。
↑これを頂こうと思い立ち、御店に御邪魔した。
↓多少、調理に時間を要するが、待っているとこれが出て来た。<スラッピー・ジョー>である。
稚内のノシャップ地区に、昭和20年代から昭和40年代に米軍施設が在った。そこで暮らす関係者、関係者家族が在って、その身近で様々な仕事に携わる地元の人達も在った。そこで調理関係の仕事に携わった方が、後にカフェを起し、米国の流儀の味を伝えたが、それが御店の後継者に受継がれている。その一つが<スラッピー・ジョー>だ。
<スラッピー・ジョー>は、「ミートソースを使ったサンドウィッチ」というようなことで、米国では人気が高い家庭の味であるということだ。稚内駅周辺の御店に伝わっている味は、ハンバーグを使うサンドウィッチとミートソースとチーズを合わせて焼くというモノである。こういう「本当の米国の流儀」という味が楽しめるというのも好い。
↓フォークとナイフで切り分けながらゆっくりと頂く。
↓食後に珈琲を頂いて寛いだ。
街では50年を超えるような経過が在れば「老舗」というような感じになると思うが、この<スラッピー・ジョー>を供する稚内駅近くの御店もそういう例の一つであるように思う。
少し久し振りに立寄ったが、好かった。
↓「少し御無沙汰…」という御店の辺りで眼に留めた黒板だ。
↑これを頂こうと思い立ち、御店に御邪魔した。
↓多少、調理に時間を要するが、待っているとこれが出て来た。<スラッピー・ジョー>である。
稚内のノシャップ地区に、昭和20年代から昭和40年代に米軍施設が在った。そこで暮らす関係者、関係者家族が在って、その身近で様々な仕事に携わる地元の人達も在った。そこで調理関係の仕事に携わった方が、後にカフェを起し、米国の流儀の味を伝えたが、それが御店の後継者に受継がれている。その一つが<スラッピー・ジョー>だ。
<スラッピー・ジョー>は、「ミートソースを使ったサンドウィッチ」というようなことで、米国では人気が高い家庭の味であるということだ。稚内駅周辺の御店に伝わっている味は、ハンバーグを使うサンドウィッチとミートソースとチーズを合わせて焼くというモノである。こういう「本当の米国の流儀」という味が楽しめるというのも好い。
↓フォークとナイフで切り分けながらゆっくりと頂く。
↓食後に珈琲を頂いて寛いだ。
街では50年を超えるような経過が在れば「老舗」というような感じになると思うが、この<スラッピー・ジョー>を供する稚内駅近くの御店もそういう例の一つであるように思う。
少し久し振りに立寄ったが、好かった。
家並み…:早朝:稚内駅周辺(2024.11.10)
早朝に…(2024.11.10)
夕べに…(2024.11.09)
↓「寒い」が挨拶代わりのような様子が続く。夕刻に戸外へ出た。
↓馴染んでいる御店が掲出している幟に惹かれて立寄る。
↓着席し、ハイボールを頂いて寛ぐ。
↓シーザーサラダを頂いた。
↓飲物は<いいちこ>のソーダ割に切替える。
↓寒くなるとモツ煮込みが好い感じになると思う。
↓手前の鳥串、奥の豚串と順次愉しんだ。
↓「アレとアレ」という調子で大変に気に入っている組合せを御願いする。
↓多目なイカの塩辛を摘まむ。
↓タコめしは外せない。
↓薬味と調味料とを兼用するかのような行者ニンニク醤油漬を載せた冷奴が大変に気に入っている。
結局、こういうような「何時もの…」が凄く好いということを、回数を重ねる都度に実感する。こうした楽しみを享受出来ることは有難い。
↓馴染んでいる御店が掲出している幟に惹かれて立寄る。
↓着席し、ハイボールを頂いて寛ぐ。
↓シーザーサラダを頂いた。
↓飲物は<いいちこ>のソーダ割に切替える。
↓寒くなるとモツ煮込みが好い感じになると思う。
↓手前の鳥串、奥の豚串と順次愉しんだ。
↓「アレとアレ」という調子で大変に気に入っている組合せを御願いする。
↓多目なイカの塩辛を摘まむ。
↓タコめしは外せない。
↓薬味と調味料とを兼用するかのような行者ニンニク醤油漬を載せた冷奴が大変に気に入っている。
結局、こういうような「何時もの…」が凄く好いということを、回数を重ねる都度に実感する。こうした楽しみを享受出来ることは有難い。