四条駅周辺案内図…(2024.12.31)

五条烏丸に宿を求めていたが、その宿をゆっくりと出た。大阪方向へ移動しようと思っていた。

↓地下に入ると阪急線に乗車可能な筈と思って入った。
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↑地下鉄の四条駅と阪急の烏丸駅とは相互に乗り換え出来る。今般、地下鉄側の最も奥のような場所に入り込んだようだった。ゆっくりと歩いて烏丸駅側へ進んだ。

地下鉄は南北に延びる烏丸通の地下を通るので、軌道と交わる東西軸の地名を駅名としている。阪急線は東西に延びる四条通の下を通るので、軌道と交わる南北軸の地名を駅名としている。

京都・大阪間の移動手段は色々と在ると思う。個人的には阪急線が気に入っている。四条通に着くのが好いように思うのだ。

<HRC Kyoto>でTシャツを入手…(2024.12.30)

↓四条通で四条大橋を渡った辺り、少し東にやって来た。
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↑<HRC Kyoto>が甦った。普通のビルに入居し、上階が飲食をするカフェで、下階はグッズを売るショップだ。

<HRC Kyoto>とでも言えば、以前の御店で入手していたTシャツを大事に使っていて、時折それを写真に撮るという様子だった。が、今般はグッズのショップのみではなく、カフェもオープンしたということだった。思わずTシャツを新たに求めた。

↓「京都店グランドオープン」ということで用意されたモノを入手した。
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↓胸の側はシンプルデザインだと思った。
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↓伏見稲荷大社に着想を得たかのような、「京都的?」な画を使っている。
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↓これも胸の側はスッキリしている。
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↓他店では赤は余り使わないらしい。赤い地に楽器を弾く女性だ。
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↓こちらも胸の側はシンプルである。
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京都で「新たな御気に入り」が入手可能となった。それが何やら嬉しい。

”ナイチンゲール”…:十三:<淀壁>…(2024.12.31)

↓十三に見受けられるアートの一つで、或る程度知られているモノだ。
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↑”ナイチンゲール”である。

”ナイチンゲール”はクリミア戦争時代の活躍が知られる看護婦であった。そういう医療者の画を取上げることで、『医療従事者への感謝と敬意』を表現しようとしたのだという。

↓なかなかに大きく迫力も在る画だ。
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↓この画が契機になり、十三の辺りで壁へのアートという活動が少し盛んに行われているようだ。<淀壁>と呼んでいるようだ。
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興味深いモノに出くわした。

白鳥…:国宝 松本城 天守…(2024.12.28)

午後、松本城の天守周辺を通り過ぎた。

↓濠に白鳥が悠然としていた。
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↓午後の光線の感じが好かった。
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↓何時の間にか白鳥が見えなくなっていた。
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白鳥が悠然と泳ぐような様子が見受けられるのも好いかもしれない。そんなことを思いながら眺めていた。

尼崎…=運行日誌(2024.12.31)

宿の居室での「何時でも御休み頂いて構わない」という状況である。実は部屋着に替える以前に居眠りに陥っていて、起き出したのだ。

朝は起き出してから動き出す迄に、やや時間を要するような雰囲気になっている。今般の旅を始めた頃のように「早朝から動く」という程の何かが在るのでもないのだ。そういうのも悪くはないであろう。8時を少し過ぎた頃に宿で提供の朝食を頂き、食後にも居室で些か寛いだ。

結局、規定のチェックアウトタイムである午前10時を目安に宿から出たのだった。

京都から大阪へ移動し、翌早朝に眺めてみるような場所を下見していた。そこから阪神尼崎である。

そして阪神尼崎駅前の宿に入った。北海道へ引揚げる日の朝迄の借り住まいだ。

時間を設けて随意に動こうとして、本当に随意に動いてしまっている。そしてそんな時間の中に在ることが有難い。

「開放厳禁」…:奈良井宿(2024.12.28)

「公衆トイレ」と在ったので、そちらに足を向けた。

すると扉の目立つ辺りに赤で目立つ文字が掲示されていた。

↓「開放厳禁」ということ、開けた扉は閉めて頂きたいという趣旨だ。御手洗の水回りが凍結しないように暖房を施している。その暖房効果を保持するためということだ。
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↑入ってみれば暖房機器が据えられて稼動中だった。そして御手洗は普通に利用可能だった。

「赤で目立つ文字が掲示」というのを見ると、「凍結防止のため使用中止」というような「使えない…」にでもなっているのかと思ってしまう。この辺りはそういうのは無かった。善かった。

平等院…宇治…(2024.12.30)

京都駅に在った時に思い付いて。JRで少し近い辺りを往復して何かを観ようとである。

↓平等院鳳凰堂を訪ねてみた。京都・宇治を往復したのだ。
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↑中は「えっ?」という程度に混み合っていた。

↓何処でも何でも、果てしなく待つような様子なので、サクッとこの有名な御堂を眺めるということに留めた。
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↓10円硬貨にイラストが採用されている有名な建物であるが、何か美しく、心が清らかになる。
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宇治で意外に長く歩くことにもなった。復路は、酒屋のおばちゃんに電話番号を尋ねてタクシーを呼んでしまった。短い距離ではあったが。

京都タワーを見上げる…(2024.12.30)

到着してみた京都駅は、何か酷く混み合っていた。

↓そういう中であるが故に、一寸戸外に出て見上げてみるという程度のことが心地好い。
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↑何時も変わらずに建っている京都タワーだ。

コインロッカーが酷く混み合っていたが、空いている箇所を見出し、嵩張るモノを預けて動き始めた。

<青春18きっぷ> 12月26日‐12月30日 (2024.12.30)

新しいルールの<青春18きっぷ>を入手して使用した。自動改札機を潜るようになっていて、「1日乗車券」のような感じだ。それを5日間使う。

↓12月30日迄使った状態の<青春18きっぷ>だ。自動改札を潜るが、それはそれとして駅で「下車印」を御願いしていた。
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乗車した経過を振り返っておく。

12月26日
札幌・新千歳空港
浜松町・秋葉原・飯田橋
飯田橋・秋葉原・鶯谷
鶯谷・東京
東京・御徒町
御徒町・鶯谷

12月27日
鶯谷・神田・国分寺・国立
国立・豊田
豊田・大月
大月・甲府
甲府・小淵沢・松本

12月28日
松本・奈良井
奈良井・塩尻
塩尻・松本

12月29日
松本・塩尻
塩尻・中津川
中津川・名古屋
(名古屋・米原=新幹線)
米原・彦根

12月30日
彦根・京都
京都・宇治
宇治・京都

↓こういうのも「オプション」にしてしまった訳だ。
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キツい程度に乗車するのでもなく、寧ろ「自然体」で利用していた。「甲州街道から中山道に入って、江戸(東京)から京都」という感じだったと思う。

時にはこういう旅が好い。

新紙幣3種…(2024.12.30)

↓彦根の宿で何となく財布の中身を観た。
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↑新しい1万円紙幣、5千円紙幣、千円紙幣が勢揃いした。これまで、こういう事が無かったので、写真に新紙幣を撮ってみた。

京都…=運行日誌(2024.12.30)

前日は彦根に着いて、宿に入った後は動かずにゆっくりと過ごしていた。早目に休んで調子を整えた。

朝は宿の朝食を普通に摂った。サラダと少々のおかずである。そういう調子が好いのだと思っている。

彦根から京都に出た。京都では少しだけ身軽になって宇治を往復した。

暗くなる前に京都の宿に入ったが、居眠りに陥って、暗くなってしまっていた。そこから起き出して多少動いた。

東京や甲府から松本を経て京都に到った。概ね中山道を経ての移動だ。こういうのも悪くない。

山菜蕎麦=Mountain Vegetable…(2024,12,27)

松本城天守のプロジェクションマッピングが始まる迄、やや長く外で待ち、見事なプロジェクションマッピングを観た。そういうことをすると、身体が多少冷えるので温かいモノを頂きたい。

↓蕎麦の御店だ。
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↓確り営業中だった。
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↓「長野県」と聞くと豊かな山菜が在るような感なので、山菜蕎麦を御願いした。
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↑松本城関係の通り道に在る御店で外国人も少し多そうだ。メニューに英語が在った。「山菜」が「Mountain Vegetable」になっていた。店員さんは、英語は然程得意でもないが、これで好いらしいということになったので使っているとしていた。

↓たっぷりと山菜が入って、美味い蕎麦の麺で実に好かった。
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「長野県」は蕎麦が美味い地域でもある。こうして地元の蕎麦店で一寸愉しんだことが愉しかった。

<老酒舗>…(2024.12.26)

↓御徒町駅の近く、鉄道の高架の下の様子だ。
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↑個人的には訪れたことが無いのだが、何やら「中国の都市の街角に在る酒食の御店’という風情だ。

↓<キンミヤ>を御願いすると、小瓶に入った状態で登場し、氷を入れたグラスに注ぐようになっていた。
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↓多少ピリ辛な御通しが登場した。
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↓肉やコンニャクの串だ。
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↓青唐辛子を使った玉子焼だった。
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↓そしてチャーシューを摘んだ。
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御徒町の高架下で、何やら「中国の街?」という様子が少し面白かった。

旧開智学校校舎…(2024.12.28)

↓旧開智学校を見付けた。
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↑松本城の辺りから神社を抜けると直ぐなのだが、当初は少しだけ迷った。

↓1873(明治6)年に学校が起り、1876(明治9)年に建てられた校舎で、擬洋風建築である。1963(昭和38)年迄、焼く90年間使われたのだという。
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↓建物の正面が凄く美しい。
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↓手が込んだ飾りが付いている。
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↓龍だ。
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↓少し改修工事が続いていたが、今年の11月に完成で、また入ることが出来るようになった。
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↓階段の趣が好い。
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↓視察に訪れた明治天皇が使ったと伝わる部屋だ。
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↑擬洋風建築の学校のようなモノは余り長く使われなかったようだが、旧開智学校は「明治天皇に御運び頂いた」ということで、凄く大事にされていたようである。

↓なかなかに趣の在る内装でもある。
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↓八角塔を掲げた屋根が面白い。
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↓今一度正面から眺めた。
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↓明治天皇が訪れた旨の記念碑が在った。
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↓古くから重要文化財となっている。
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松本でこれをゆっくり眺められて非常に善かった。

彦根=運行日誌(2024.12.29)

東京に上陸し、神戸から北海道へ引揚げるというように考えていた。そこで新しいルールで5日間連続という感じの<青春18きっぷ>を使いながら「東から西」と動き、彦根に至った。宿の居室で寛いでいる。「何時でも御休み頂いて結構です」という様子に早々としてしまった。

夜行バスで札幌に着いて新千歳空港に行った時も朝食は摂っていない。鶯谷の宿でも朝食提供前に出発だ。松本の第1夜の後も朝食提供以前から動いた。塩尻で朝食ということになっている食事を10時前に摂ったが。朝食は大切だと思うのだが、朝食らしい朝食を摂らないような感じも多いかもしれない。

そういうことで、松本第2夜の後は宿の朝食をゆっくり摂った。松本第2夜は、真っ暗になる前から眠ってしまってはいたが。そして早朝の5時台に起き出した。そういう流れで、早朝から動いても構わなかったが、7時55分の列車から始めようと思い立ったのだ。

松本駅から塩尻駅へ移動し、塩尻駅で乗換て中津川駅まで移動した。中津川駅から名古屋駅迄移動し、名古屋駅で確りと昼食も愉しんだ。

そこからなのだが、名古屋駅で名古屋・米原の自由席の新幹線の券を求め、新幹線で米原に一気に動いた。そして米原から彦根である。直ぐだった。

彦根の宿は古くからの街、歩いた先に彦根城が見える辺りが在るのではない、彦根駅の逆側に在った。「近隣に御店?」という感じなのだが、少し先にロードサイド型のコンビニが見えたので、そこで買物をしてから宿に入った。

松本から名古屋、名古屋・米原の新幹線、米原から彦根と存外に動いた。意外に寒かった。

色々な見聞等は順次綴って行きたい。とりあえず彦根の宿で休む。

坂を下る…:奈良井宿(2024.12.28)

↓小高くなった神社の周辺から奈良井駅の側へ向けて、概ね坂を下るように歩を進めた。
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↓酒屋さんだ。木曽地方にも佳い酒が多そうだ。
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↓酒類の自販機だ。
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↑熱燗のカップの清酒は売り切れていた。

↓少し見下ろすように眺める家並みも面白い。
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↓奈良井にも酒造会社が在るようだ。
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↓酒蔵の象徴だ。
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↓ランプを提げた喫茶店であるようだが、朝が早いのでオープンはしていない。
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↓狸が何やら目立っていた。
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興味深い様子だ。

坂を上る…:奈良井宿(2024.12.28)

↓宿場町のメインストリートに入った。最初は坂を上るような感じで動いた。
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↓少々雪が交った。
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↓こういう様子が凄く好いと思った。
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↓庭木の感じが面白いと思った。
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↓さり気なく自販機が据えられている場所も見受けられた。目立ち過ぎないように茶色に塗られている。
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↓黙々と坂道を上ったような感じだった。
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↓「越後屋」という御店だ。
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↓看板の裏側は「ゑちごや」と平仮名を使っている。こういうのも宿場町にはよく在ったようだ。
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↓各種の商店等は未だ動いていないような時間帯に奈良井宿に入って歩き廻っていたことになる。
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こういうような様子も面白い。

奈良井宿高札場…(2024.12.28)

↓宿場町とでも言えば、こういうモノが登場する。
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↑モノは再現されたモノであるようだ。

↓少し長い期間に順次出ていた通達のようなモノが高札場に掲示されている。
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↑上のモノは1710年頃で、下のモノは1680年頃という言号が入っている。が、「成瀬隼人正」や「竹腰山城守」という名は共通している。

「隼人正」や「山城守」は朝廷の官職を起源とする呼び方だ。立場が在る武士は、対外的にこの「隼人正」や「山城守」というような呼称を名乗った。そして親の代から子の代、更に先迄こういうのが受継がれていたという場合も在るようだ。「成瀬隼人正」や「竹腰山城守」という名はそういうのに該当するのであろう。1680年頃の人の子か孫、或いは養子が1710年頃に受継いだ同じ名を名乗っていたのであろう。

この種のモノを眺めると、一寸面白いことに気付く場合も在る。

「地元車以外の車の乗り入れはご遠慮下さい」…(2024.12.28)

↓奈良井でこういう看板を見掛けた。
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↑奈良井は古い建物が並ぶ街並みで普通の暮らしも営まれている。その暮している人達が使う車輛は意外に現れる。が、何処かの車輛が随意に出入りしているのでもなかった。確りとルールが保持されていると見受けられた。

今般は人が少なそうな午前7時台から午前9時頃に動いていたのだった。この場所に随意に車輛が入るようになれば、歩行者が車輛に追い立てられるようなことになってしまうと思う。こういう措置が必要なのだと思った。

奈良井駅到着…(2024.12.28)

早朝、未だ夜のような様子の中で松本駅へ向かい、列車に乗った。乗っていた間に外は少しずつ明るくなっていたが、雪が降っていた。

↓目指した駅に列車が到着した。
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↓駅名標だ。JR東海の駅ということになる。
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↓通路に奈良井駅での時刻表が掲出されていた。列車本数は多くはなく、間隔が開く時間帯も見受けられる。が、列車本数がすくな過ぎるということでもないとは思った。
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↓階段を下りると駅舎が在った。
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↓古色蒼然という感じの外観だ。
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↓中に入ってみた。
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↓無人駅ではあるが、委託駅として係の方が現れて乗車券等の販売はしていたようだった。
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↑「昔の駅」という雰囲気そのままだ。

↓街の側へ出てみた。
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↓1909(明治42)年の開業ということだ。
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↓開業当初からの木像の駅舎に手を入れて使い続けている建物であるという。
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中山道の宿場町の雰囲気が伝わる奈良井の駅だ。この駅と松本駅とを往復し、宿場町の様子を愉しんだ。

早朝の松本駅…(2024.12.28)

↓松本駅だ。気温の表示が「氷点下1℃」になっていた。
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↓駅舎へ歩を進めた。
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↓東口は松本城を擁する。故に「お城口」な訳だ。
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↓中津川行の列車を待った。
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↓右側に特急列車の車輛が見受けられ、左側が周辺を動き回る列車だ。
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↓2人の人物の後ろ姿が見えるが、列車に間に合わず、乗車出来なかった様子だった。
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↓左が待っていた中津川行の列車だ。
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↓松本駅はJR東日本の駅だ。そこでJR東日本の駅に在る、線路に落ちたモノに関する看板も在った。
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↑中津川行の列車は、塩尻以遠はJR東海の列車ということになるのだが。

↓行先表示を確かめて列車に乗込むのが愉しい。
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この時は奈良井を訪ね、復路は塩尻駅に寄り、そして松本という感じだった。

国宝 松本城 天守 プロジェクションマッピング…(2024.12.27)

↓何やら辺りにポスターのようなモノが掲出されていた。
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↑少し待ち時間が在るが、プロジェクションマッピングというモノが観られるようだった。

↓一寸驚いた。佇んでいた辺りは、何やら「真正面」に相当する位置のようだった。
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↑やや寒いような感じでもあったが、それはそれとして30分を超える時間だったが、辺りで「開始」を待ってみた。

↓仄かな光が当たって、夕べの天に浮かび上がる天守は美しい。
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↓「開始3分11秒前」というようなことが表示される。カウントダウンをして始めるという演出らしい。
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↓始まった!
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↓光がファンタジーを織り成していた。
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↓凄く立体的な描写が行われていた感じだ。
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↓盛大な花火のような感じで終盤を纏めていた。
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天守に関しては、1591年建築説、1594年建築説、1600年建築説、1615年建築説等が在るらしい。何度か改修も施されているという。そして明治期以降、破却という話しも在ったモノが、こうして受継がれているのである。

5重6階の天守は「街のシンボル」というような感じになっている。少し面白い。

国宝 松本城 天守…:夕刻に…(2024.12.27)

↓松本に着いた日の夕刻、宿から然程遠くない松本城を訪ねた。
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↓暗さを増して行く夕刻の天を背景に松本城の天守が見えた。
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↓周りを歩きながら眺めると、何やら耀が少し入った。
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↓濠の水が、風が弱まった時に鏡面のようになっていた。
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暫しこれを見入っていた。

眠った…=運行日誌(2024.12.28)

松本に連泊している。

「何時でも随意に御休み頂いて結構です」という状態になって、宿の居室で寛いで居たが、日付が改まった少し後迄起きて居た。気分が昂揚していたのであろう。

やがて午前5時台に起き出し、6時頃から動いた。奈良井を往復した。旧中山道の宿場町だ。雪が交り、凄く雰囲気が在った。

そこから塩尻に寄って朝食を愉しみ、以降は松本に引揚げて松本城や旧開智学校を訪ねた。

午後3時前に宿に戻ったが、宿で眠ってしまった。そして迎えた早朝という様子になっている。

これからは如何しようか?