阪急 大阪梅田駅…(2024.12.31)

↓阪急の列車で京都から大阪へ移動した。大阪梅田駅で列車を下りた。
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↓この阪急の大阪梅田駅は独特な雰囲気が漂う場所だと、何度立寄っても思う。
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↓大阪梅田駅には着いたが、少し道草を思い付いた。直ぐ傍の別な列車に乗ってみることにした。
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↓一寸、十三駅へ行ってみようと思い付いた訳だ。
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「1日乗車券」を手に、気儘に動くというようなことが、都市圏の鉄道ではやり易い場合が在る。そういうのが気に入っている。
posted by Charlie at 15:49Comment(0)大阪府

<七笑>:塩尻駅にて…(2024.12.28)

↓塩尻駅で列車に乗る前、駅の出入口の辺りに在った御店に立寄った。
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↑色々と自身が好むようなモノが売られていた。1つだけ買物をした。

↓松本へ向かう列車を待つ乗場で、買物を一寸引っ張り出した。
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↓「七笑」で「ななわらい」という。木曽福島の銘酒だ。
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↑1892(明治25)年に創業した酒造会社である。なかなかに長い伝統を誇る。

↓<七笑>は、甘い、辛いに留まらない「旨口」を標榜しているという。試しに呑んでみたが、スッキリしているようでいて余韻が深い「清酒らしい清酒」というような気がした。
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そんな訳で、松本へ向かう列車が現れる以前に<七笑>の小さなボトルは空いてしまった…

>>七笑酒造株式会社(会社のウエブサイト)
posted by Charlie at 15:26Comment(0)長野県

糀福あさごはん…:塩尻駅(2028.12.28)

↓塩尻駅で下車し、改札を潜ると下の階へ続く階段の在る出入口が在る。
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↑時間帯や曜日毎に事業者が入って色々な飲食業を展開する場所であるようだった。

↓「糀福」は「こうふく」と読ませるようだ。朝食を提供ということなのだが、提供時間が間も無く終わるという頃に入った。
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食事を御願いすると、「鶏肉しか無いのですが…」ということだった。この御店では肉や魚が何種類か在って、そこから択ぶようになっているようなのだが、最後に残っていたのが鶏肉であったのであろう。「大変に結構!鶏肉を御願いします」ということにした。

↓こういうような感じで食事が供された。
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↓種々の野菜が入った味噌汁が「長野県の料理」というイメージだった。なかなかに好かった。
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↓そして糀を使って焼いた鶏肉だ。醤油を味付けに使ったモモ肉と、使っていない胸肉というようだった。
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↑「鶏肉しか」ではなく「鶏肉がございます」と力強く薦めて頂きたいような、実に好い感じの鶏肉の糀焼きだった。

↓食事の後、ホットワインを御願いした。塩尻はワインの産地として少し知られている地域でもある。
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午前中から、丁寧に焼いた鶏肉や具沢山の味噌汁にホットワインである。何か「凄い贅沢…」という気分だった。

この塩尻駅の「糀福あさごはん」はなかなかに好かった。
posted by Charlie at 15:03Comment(0)長野県

奈良井駅を発つ…(2024.12.28)

松本に滞在して、早朝から行動を起こし午前7時台の奈良井駅に着いたのだった。そして旧中山道の宿場町の風情を愉しんだ。「雪交りの木曽路」という中で散策した。

この辺りも列車本数は然程多くもないかもしれない。極端に少ない例を色々と知っているので、それに比べると好いとは思うが、午前9時台に松本へ向かう途中の塩尻に出る列車の後は午前11時台まで待たなければならない。そこでその午前9時台の列車に乗ることにした。

↓奈良井駅で乗場に出ると、列車の乗車位置の案内が在る。
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↑「塩尻・長野方面」と在る。塩尻駅で幾つかの路線が交差している。そして松本駅へ向かう路線で更に進んで行くと長野駅であった筈だ。

↓こんな看板を眺めながら乗るべき列車を待っていた。
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↓列車が現れた。
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↓列車は少しずつ減速して停車しようとしている。
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↓2輛編成のJR東海の車輛だった。列車は塩尻駅で少し長く停車した後に松本駅迄進むということのようだった。
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↑JR東海は、グループ各社の中で「車輛の標準化」が進んでいる。JR東海の地域ではこういう車輛を見掛ける場面が非常に多いように思う。

↓少し車内が混んでいて、何となく立っていたのだが、吊広告に眼が向いた。名古屋圏の大学のモノであった。
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今般、松本に滞在して、朝に手早く奈良井を訪ねてみるというようなことを思い付いた。雪交りな少しばかり寒い中では好い方式だと思ったが、或いは他の時季でも有効な方法かもしれない。

色々と「自身にとって初めて」を交えながら動いていた。そんな中で松本と奈良井を往来するということも初めてだったが、少し面白かった。
posted by Charlie at 14:33Comment(0)長野県

<かぶとや>…:武田神社周辺:武田通り(2024.12.27)

↓趣が在る外観の建物だが、土産店である。
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↑ここで御手洗を拝借したのだったが、買物もした。菓子類等、甲府の美味しいモノも多々在るのだが、「武田信玄グッズ」というようなモノが豊富だ。殊にTシャツ等は、大きなサイズも豊富で、大きなサイズの需要家である自身には大変に有難い。

ここで求めたTシャツは、結局未だ旅の荷物の中だ。荷物を開けて如何こうというようなことを殆ど出来ずに一寸「治療生活」となっている。そのうちTシャツは引っ張り出す。

こうして土産店の建物の写真が出て来たのだが、なかなかに好い感じだと思った。
posted by Charlie at 10:51Comment(0)山梨県

武田神社…(2024.12.27)

個人的な、極勝手な感想ではあるのだが、「戦国時代の…」というようなことでも聞くと、何となく「武田信玄?」というようなことを思い浮かべる。武田家の盛衰に纏わる挿話が入る物語は数多在る。武田信玄は父との対立を乗り越え、息子と争うということも在ったが、隣の信濃国から日本海へ進出する野心を抱いて上杉謙信と争うようなことをしていたが、領国内での治水事業等にも努力していたのだという。その麾下には「二十四将」という多彩な人材が在って、強い結束で色々な事柄に取組んでいたという感じだ。そして後に大きな力を握って行く勢力にとっての脅威となっていた。

甲府では、その武田信玄の居館―信玄の父である信虎、後継者の勝頼と3代が使っていた…―であったという場所が、「武田神社」ということになって広く親しまれていると聞けば、「とりあえず行こう!」と思った。

甲府駅の南側に出て、武田神社側へ向かうバスの乗場が見当たらなかった。「ゴチャゴチャ言わず!」と素早くタクシーを使った。運転手氏と雑談に興じながら、「初めて立寄った甲府で、とりあえず武田神社…」という話しで動いたのも愉しかった。

↓武田神社の入口だ。
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↓正面は「神社」そのものである。
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↓敷地の脇は古い土塁を修復して石を積んだようになっていた。この辺は「神社」とは違う。
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↑土塁を備えた大名の居館ではあるが、信玄の晩年や勝頼の頃には見受けられたような「近世城郭」という感じの広い濠や高い石垣というようなモノが在るのでもない。

↓武田神社はこの武田家3代の居館であった場所を大正時代の初めに神社とした。祭神は武田信玄である。
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↓武田家3代の居館の跡ということで、半ば林のようにもなっている。
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↓椿の植え込みが眼に留まった。
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↓典雅な能舞台が好い感じだった。
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↓武田家の人達が使っていたらしい井戸も在る。
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↓井戸の辺りに龍が在った。
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今般、甲府で過ごした時間全般に関して、「移動の途中で少し慌ただしい動き」になってしまっていたのだが、この武田神社も含めてゆっくり再訪したいというように戻ってから強めに思うようになった。
posted by Charlie at 10:42Comment(0)山梨県

山手御門…:甲府城址(2024.12.27)

甲府駅辺りの鉄道は甲府城址の一部を貫くように敷設されている。

「甲府城址」とでも言えば、駅の南側を連想するという例が多いかもしれない。遺構はそちらが大きいのだが、北側にも在る。

↓こういう門が目立った。木造復元の「山手御門」という門だ。
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「甲府城」というのは、戦国大名の武田家3代の後、豊臣政権の時代に築かれた軍事や行政の拠点であった場所を、現在の城址の起源としている。徳川幕府の時代には、徳川家の一門が入る「親藩」の白となっていた。やがて柳沢吉保が甲府城に封じられるが、大和郡山へ移封となる。その移封の1724年以降、甲斐国は幕府直轄領となり、「甲府勤番」という役目が設けられて活動する。幕末期には「城代」という責任者が配置されるようになった。

今般、松本への移動の途次に寄っているので、甲府城址見学に殆ど時間を割いていない。が、今般はかの武田家3代の居館であった場所の武田神社が興味深かった。それでも、何時かまた甲府城址も訪ねたいと振り返っている。
posted by Charlie at 10:10Comment(0)山梨県

甲府駅陸橋…(2024.12.27)

↓甲府駅の辺りに大きな橋が在る。
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↑甲府駅の北側から南側に歩く時にこの橋を歩いて渡った。甲府駅に到着して程無く、甲府駅の南側からタクシーで北側へ移動してみるということもしたが、その際にもタクシーに乗って橋を渡った。

↓なかなかに立派で大きな橋だ。
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甲府駅は1903(明治36)年に開業している。現在の中央線である。やがて1928(昭和3)年には現在の身延線が乗り入れている。

甲府駅辺りの鉄道は甲府城址の一部を貫くように敷設されている。その拡がる軌道を跨ぐように橋が架かっている。

↓結局、これは車輛も歩行者も往来可能な跨線橋ということになる。
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↓場所を特定すべく、バス停は「甲府駅(陸橋)」と称している。
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↓甲府駅の南寄りへ至った。交通量は少し多目で、断続的に多くの車輛が行き交っていた。
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こういうような様子も面白いと思う。
posted by Charlie at 09:51Comment(0)山梨県

武田通りの建物…:甲府(2024.12.27)

武田通りを散策し、もう少しで甲府駅の北側に着くというような辺りに至った。

↓大胆に植物が壁に着いた建物が眼に留まり、面白いと思った。
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↓画の右が武田神社で、上り坂になっていることが判る。
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聞けば、武田神社は大晦日ら元旦の初詣の場所として人気が高いということで、この武田通りは交通規制の対象になるというようなことだった。

何処の街にも、こういうような「一寸面白い」は多々在ると思う。
posted by Charlie at 02:00Comment(0)山梨県

大阪梅田駅にて…(2025.01.03)

京都河原町駅・大阪梅田駅を阪急の列車で移動するということに、今般の滞在で従前以上に馴染んだというように思う。

↓大阪梅田駅に到着した列車から下りて、下車専用側をゆっくり歩いて改札口の側を目指して歩を進めた。
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↑駅のホームも床がピカピカだ。

↓列車は折り返し運転で京都河原町駅を目指す。
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↓京都線の駅名標は、次の駅が「十三」となっている。神戸線や宝塚線は「中津」なので少し違う。
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こういうような「細々した様子や雰囲気に馴染む」度合いが、時々訪ねる地域で深まるというのも少し愉しい。
posted by Charlie at 01:00Comment(0)大阪府