大名町の夕べ…:松本(2024.12.27)

↓松本城天守の辺りに近い大名町である。
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↑辺りは松本城の城主の重臣達の邸宅が立ち並び、「大名丁」と呼び習わされ、明治期以降に「大名町」というようになって行ったようだ。

この時季、大名町の辺りでは夕刻からのイルミネーションが美しい。午後5時台に戸外へ出たのだったが、午後5時頃から点灯し始めたと見受けられる様子だった。序ながら、滞在していた宿の建物の最上階側の電飾の光も通の奥に見えていた。

後から写真を見て思うのだが、松本の街のこんな様子を時々思い出しそうな気がする。
posted by Charlie at 16:39Comment(0)長野県

211系電車…:小淵沢駅(2024.12.27)

甲府駅で乗込んだ列車は小淵沢駅に着いた。

↓そして小淵沢駅で待機していた列車に乗換える。
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↑3輛編成の211系電車だ。甲信方面では出会う機会が多い車輛だと思う。

小淵沢駅は山梨県の鉄道駅の中で最も西側に在る駅なのだそうだ。JR東日本の業務の上で、この駅と吉祥寺駅とをクス部中央線が「八王子支社」の管轄で、塩尻駅や松本駅方面、そして小海線が「長野支社」の管轄であうという。加えて、後から知ったが標高886.7mという辺りに在る駅だという。海岸部の標高というモノが非常に低い地域に住む自身にとっては、やや驚く事実だった。

↓行先表示は「松本」だ。
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こういうような車輛の列車を乗り継ぎ、途中の駅や着いた駅で街へ出るというような感じが非常に愉しいと思っている。
posted by Charlie at 16:28Comment(0)山梨県

211系電車…:甲府駅を発つ(2024.12.27)

↓立寄ってみた甲府はなかなかに興味深かった。初めて訪ねた街と好い感じで出逢えたかもしれない。が、とりあえず松本を目指して移動しようと甲府駅で列車に乗ることにした。
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↑小淵沢駅(こぶちざわえき)へ出ると、乗換の列車が在って、松本へ向かうことが叶うということであった。

今般12月から「新ルール」になった<青春18きっぷ>を利用していた。普通列車で移動する訳だが、東京を発って、1箇所道草して甲府に至って知らなかった街を愉しく歩き、更に松本を目指すというような行程で動くというのは「程好い感じ」だと思った。中央線も東京都内のような列車運行本数が凄く多い区間が在る他方、甲府へ向かう辺りや松本等に通じる辺りは程々の本数の列車が運行という感じになる。が、極端に列車本数が少ないというレベルでもないと感じていた。

↓甲信方面で少し見慣れた211系電車が待機していて、これに乗って小淵沢駅を目指した。
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↓車輛の側面に、こういう具合に行先表示が出るというのが個人的には気に入っている。
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↑「小淵沢」を最初は思わず「おぶちざわ」と読んでしまったが、「KOBUCHIZAWA」とローマ字が在って「こぶちざわ」と判る。個人的には、こういうような場所に現れるローマ字は「読み仮名」の一種だと思っている。

<青春18きっぷ>でも、他の何でも構わないが、切符を手に列車に乗って、見慣れぬ鉄路の向こうの知らない街に至って歩き廻るというようなことを繰り返しながら動くのは実に愉しい。今回、これまで長く甘い縁が無かった中央線方面で動き回る機会を設けられて非常に好かった。
posted by Charlie at 16:01Comment(0)山梨県

<甲府 時の鐘>…(2024.12.27)

「川越で観た建物に似ている?」と思いながら眺めた。
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↑江戸時代には、十二支の名を宛て「〇の刻」というモノを12種設け、概ね2時間毎に鐘を鳴らして街の人達に時刻を伝えるというようなことをしていた。それを「時の鐘」と呼ぶ。川越で観た建物もそういう趣旨のモノであった。

甲府での「時の鐘」は江戸時代に設けられていて、火災で焼失したというような経過を経て1818年に再建され、それが1872(明治5)年迄使用されていたと伝わっている。

2013(平成25)年、火災で焼失した「時の鐘」を模したと伝わる寺の鐘楼の、明治期に撮ったらしい写真を参照して忠実に再建したというのが写真の「時の鐘」であるそうだ。

こういうような、喪われた古い建物のイメージで何かを建てるというような事柄は面白いと思う。「松本へ向かう途中に寄る」という感じではありながら、色々と興味深い甲府に立寄る機会が設けられたことは大変に幸いだった。
posted by Charlie at 15:36Comment(0)山梨県

<藤村記念館>…(2024.12.27)

↓甲府駅の北側にこういう建物が在る。
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↑建物は文化財指定を受けており、文化財としての呼称は「旧睦沢学校校舎」という。1875(明治8)年、睦沢村(現在の甲斐市)に建てられた学校校舎だ。

1966(昭和41)年に武田神社に近い辺りに移築し、その際に建築時の県令であった藤村紫朗(ふじむらしろう 1845-1909)に因んで「藤村記念館」と命名され、資料館となった。2010(平成22)年に、甲府駅北口広場に再度移築されて現在に至っている。

県令であった藤村紫朗は「擬洋風建築」の建築を積極的に奨励していたということで、この学校もその一つである。「擬洋風建築」の学校と言えば松本の旧開智学校校舎も思い出す。方々で「擬洋風建築」の学校等が登場した明治時代前半頃の雰囲気に想いが巡る。

↓実際に立っていた場所を離れても、或る程度の多くの人が通るような場所に移築されて保存される歴史的建造物というのも好いように思う。
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今般、思い立って甲府に寄り、色々な文物と出くわし、凄く愉しかった。きっと再訪したい。
posted by Charlie at 15:05Comment(0)山梨県

居室等…:<東横イン京都五条烏丸>(2024.12.30)

少し長めな期間で他地域に出て気儘に動く場合、最初に泊まる場所と、地元へ引揚げる途次に泊まる場所というような一部は早目に予約する場合が在るのだが、それ以外は移動の途次で「次は?あの辺りで…」という具合に、よく利用するチェーンのウェブサイトや宿泊予約サービスのウェブサイトを開いて探して利用するような感じだ。

本州方面に出て動いた中、北海道へ引揚げる飛行機と、それを利用する前に滞在する場所は早目に決まっていた。それを目掛けて西へ進んでいた。「で?何処へ?」という具合だった。

今般は一寸「フットワークが好くないような…」ということになったので、名古屋辺りに陣取って色々と歩くことはせず、西へ急ごうと松本から彦根へ動いている。彦根の先、色々な場所へ行けたと思うが、京都に一寸だけ滞在することを思い付いた。何度か立寄っていて想い出の在るバーが「本年最後の営業は12月30日」としたことを知り、その12月30日に京都に滞在することを思い付いた。

JR京都駅に着き、宇治を訪ねてみた後、京都の宿を目指した。

↓「五条」と言うが、何か五条通と四条通の中間のような場所だ。<東横イン京都五条烏丸>が在る。
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↑この日の1泊を御願いすることが出来た。

↓<東横イン京都五条烏丸>は多分初めて滞在するのだが、何か「既視感」のようなモノを感じる居室だ。
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↓何処へ行っても使い勝手が同じ居室というチェーンの宿というのも悪くないと個人的には思う。
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京都に関しては連泊で宿を予約し悪いような感じも在るのだが、何となく1泊というような感じであれば、意外に見つかるような気もする。他方、京都に関しては大阪等に滞在して「通ってみる」ということも難しくはない。

京都の居心地が好い滞在場所を幾つか憶えておくということもしたい感じだ。
posted by Charlie at 14:34Comment(0)京都府

神戸空港ビル…(2025.01.04)

三宮が工事でゴチャゴチャしていたという状態で、神戸空港との間を往来するポートライナーに乗る場所へ如何いうように近付くのか判り悪かった。加えて自身のコンディションの故にフットワークも悪かった。

そういうことだったので、昼食を愉しんだ後、辺りで「空車」を見付けてタクシーに乗車して神戸空港へ向かった。

↓無事、程好い時間に神戸空港にタクシーで着いた。南京町から3900円だった。
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↑建物の中の「ポートライナー」を利用する場合が専らで、タクシーでここへやって来たという経過は無かったと思う。

↓建物の中で動くばかりで、この建物外観を余り見ていなかったと思い、何となく写真に撮っていた。今般は正月の飾りが在るのも好い。
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↑この例のような「そう言えば建物正面の出入口を余り通らない?」という場所も、存外に多く在るのかもしれない。

こういうような「細かい変わったこと」をしてみるのも時には好い。が、神戸関係の画を見ると「コンディションを整えて再訪を」というようなことを強めに思ってしまう。
posted by Charlie at 02:00Comment(0)兵庫県