積雪が見受けられる早朝の歩道上で…(2025.01.30)

↓辺りを歩いていて、何となく歩を停め、足下を暫し眺めてしまった。
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↑除雪作業が進んで平滑になっていた歩道を振った雪が覆っている。その雪の上に筋状の細いタイヤ痕のようなモノが認められる。これは自転車の車輪によるタイヤ痕に見える。

↓雪が降って以降、街で自転車を使っている様子は殆ど見ないのだが、極々限られた方達が使っている様子である。
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雪の歩道に自転車らしいタイヤ痕を見ると、少し驚く。自身では、雪の上での自転車は巧く乗れないように思う。

それはそれとして、何か美しい様子であるようにも思う。

路線案内図…:中央線の列車内(2024.12.28)

奈良井駅を目指して松本駅で列車に乗った。

↓車中で眼に留めた。
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松本駅奈良井駅の辺りを含めた長野県の鉄道路線網、加えて近隣の山梨県や新潟県等に通じている辺りも出ている図だ。JR東日本による図である。

正直、この路線図は自身にとっては見慣れないモノだ。見慣れない軌道の向こうの知らなかった街を目指し、列車で気儘に進むというような感じが酷く心地好い。時にはそういうことに時間を費やしてみたい感じだ。そういうことなので、出先の列車の中でこういう路線図に出くわすと凄く嬉しい。

「日ロ国旗」のバッジ:机の抽斗に…(2025.01.29)

机の抽斗、右側の上側というような場所は、字を書く時に使うペンや鉛筆、時々使う付箋、押す必要が生じた場合に使う印鑑という程度のモノが色々と入っていて、時々開けてそれらを引張り出して使う。そういう使うモノの他、何時、如何いう経緯で手にして、何故入れたのかがよく判らない、思い出し難くなってしまっている「妙なモノ」が入っている場合も在る。

↓こんなモノが在った。
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↑日ロ国旗が交差する形になったピンバッジだ。ジャケットの襟等に着けて使ったモノだ。使った後に何となく抽斗に入れたのだと思う。

稚内で「地域間交流」ということで様々な催事が在った中、こういうモノを用意して使った。日本国旗と外国国旗とが交差して、両国間の友好交流というようなことを表現するバッジに関しては、色々な国の旗のモノが用意されているようで、そういうモノを扱う何処かの業者に発注したのだったと思う。

大切に保管という程のことをしたのでもない。それでも残っているのだ。そのうちに引張り出して使うような機会が生じるのか否かはよく判らないが。

早朝に…(2025.01.30)

↓早朝の戸外を歩き、稚内駅のビルが見える辺りに至った。
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↑除雪が進んで平滑になり、排雪も行われて雪の嵩が減っているが、そこを薄く覆うように雪が降り積もった。早朝から辺りを歩いた方の足跡も見受けられた。

↓列車や都市間バスが出るには少しだけ間は在るが、利用者等が少しずつ集まって乗車を待つような時間帯でもある。
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↓0℃を僅かに下回る気温だが、戸外では冷たい風が身体に刺さるような気がする。
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↓もう暫くは、午前6時台の前半が暗い様子が続くのであろうというようなことを考えたが、風が身体に刺さるので足早に駅のビルに入り、コンビニに寄って買い物をしたのだった。
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早朝の路面…(2025.01.30)

少し雪が交じっているような感の早朝だった。

↓戸外の様子を伺うと、少し雪が降っていた。除雪作業が進んで平滑になった路面に雪が被っていた。
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↓路面に被った雪は然程深くもなく、通過した車輛のタイヤ痕も浅めだ。
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雪が交じっていると、静かな早朝は殊更に静かであるように感じる。勿論、雪の降り方にもよるのだが、この朝の静かな降り方は辺りが殊更に静かになったかのように感じられる。

未だ、こういうような様子、または少し違う感じの「雪が交じる朝」というのは繰り返されることであろう。そういう中で何時の間にか季節が動く筈だ。

排雪作業…:稚内駅周辺(2025.01.29)

↓稚内駅辺り、国道の「起点・終点」となっているような辺りから北側を望んだ。何やら車輛が蠢いていて、脇を路線バスが少し窮屈そうに通り抜けようとしていた。そして路上に交通整理の警備員も立っている。
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↓道路脇に堆くなっている雪を、続々とやって来るダンプカーへロータリー車を使って積込んでいる。
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↓凄い勢いでダンプカーに雪が積込まれる。荷台はほんの3分足らずで一杯になっている。
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こうやって雪を捨てる場所へ運び去る。「排雪作業」(はいせつさぎょう)と呼ばれる作業だ。積雪期に何回か、雪が溜まると行われる作業だ。堆くなった雪で視界が遮られるのを防ぎ、本来の道路幅が確保されるのである。

凄く「冬季らしい」感じの様子だ。

夕べに…(2025.01.29)

↓夕べの戸外へ出てみた。
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↑凹凸に凍っていた路面に雪が被ったが、何か「薄い積雪の下に硬い氷」という歩き悪い箇所が散見している。戸外を歩く際には注意が必要だ。

↓馴染んだ御店に立寄る。
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↓着席し、ハイボールを頂いて寛ぐ。
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↓「雪の下の氷」を警戒しながら歩き、極近所に出歩く際にも変な緊張感が在る。それ故に、馴染んだ御店で着席すると凄く寛ぐことが出来る感だ。
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↓最初にシーザーサラダを頂くというのが定番化している。
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↓もつ煮込みをゆったりと頂いた。
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↓飲物を<いいちこ>のソーダ割に切替えた。
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↓「アレとアレ」という調子で大変に気に入っている組合せを御願いした。
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↓多目なイカの塩辛を摘む。
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↓タコめしは外せない。
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↓玉子焼きが凄く美味い。
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こういう「何時もの」が何か凄く嬉しい。何度繰り返しても好い。そして非常に有難いものだ。

阪神 尼崎駅にて…(2025.01.03)

大阪梅田駅で乗車の列車が尼崎駅に到着したので下車した。
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↑左が大阪梅田駅で乗車の列車である。右は尼崎駅で待機中であった各駅停車だ。急行から下車して、急行が停車しない駅を目指す場合に利用出来るようになっている。私鉄では頻繁に見掛ける運行体制だと思う。

大阪梅田駅で乗車の列車は西宮駅を目指して発車した。
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↑ゆっくりとホームを歩きながら列車を見送った。

↓遠ざかる列車は阪神の1000系電車だ。阪神なんば線が開通するような頃に初登場した型だが、美しい車輛だと思う。
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↓そして各駅停車が残った。5700系電車だが2015年に初登場している。写真の「5725」の車番が見える編成は順次増備されて来た車輛で、2023年に登場という新しいモノだという。
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↑この型は「ジェットシルバー5700」というニックネームも在るらしい。ステンレスの銀色に見える車体の車輛だ。

阪神は加減速性能に優れた車輛の導入に力を入れている。普通列車の停車駅が多く、駅間が短めであることから、後続する優等列車に追い付かれ難いように加速、減速の性能が求められるということになる。そうして登場した車輛が「ジェットカー」という愛称で呼ばれている。「従来の車輛をプロペラ機に例えるなら、この車輛はジェット機に匹敵する程の加速、減速の良さである」という比喩で登場した愛称なのだそうだ。「ジェットシルバー5700」は、その系譜であるという意味が込められているようだ。

「“棲む”かのような気分で滞在」と尼崎の宿に連泊して長閑に過ごしていた中、阪神の列車に色々と親しんだ。更に親しむ機会を設けたいと思いながら、色々と振り返っている。

八坂神社…(2025.01.01)

大阪梅田駅を経て十三駅へ向かい、阪急の列車が行き交う橋と淀川、対岸に梅田辺りの様子が見えるような場所に足を運んだ。綺麗な日出は角度の関係等で見えなかったものの、「大阪の暁」というような様子、1月1日の朝に天が輝いて行くような様子を眺めた。そういうようなことで勢いを得て、十三から阪急の列車で京都河原町駅へ到ったのだった。

↓八坂神社の境内に出入り出来る辺りに至り、少し様子を観ていた。
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↑聞けば、八坂神社の周辺は日付が改まり、同時に年も改まるような深夜に驚く程の賑わいで凄まじかったのだということだが、午前中の時点では「多分、普通に参拝は出来そうだ」という様子と判断し、境内へ歩を進めた。

↓参拝をすべく社殿に近付いて行く。
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↓<祇園社>の伝統を受け継ぎ、街の東に鎮座する八坂神社である。込み合う1月1日だが、近くに至ったのなら、敢えて参拝してみたくなる。
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↑年末年始に気儘に過ごし、1月1日に京都に立寄っているということ、新たな年を無事に迎えたことに感謝の意を表する参拝だった。

↓八坂神社には老舗企業から寄進を受けた提灯が多数飾られていた。
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八坂神社を参拝してみたことで、「1月1日の初詣」という形になった。少し善かったと思いながら振り返っている。

<京都市電N28>…(2024.12.30)

↓烏丸通を歩いていて、少し驚いて歩を停めた。
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↑かなり古い路面電車と見受けられる。

京都では1895(明治28)年に初めて営業として路面電車が運行されている。「京都電気鉄道」という会社がこの路面電車の運行を手掛けていた。少しずつ路線を延長し、21.1kmの路線を運営するようになって行った。やがて1918(大正7)年、京都市内の路面電車の一体化を図るということで、京都電気鉄道は京都市に買収される。以降は「京都市電」ということになる。

京都電気鉄道が敷設した軌道は、京都市電で採用した1435mmの軌間よりも狭い1067mmを採用していた。そこで京都電気鉄道の頃の車輛に関して「狭軌」の「Narrow」に因んで「N」という記号を付けていた。

京都電気鉄道が狭軌で敷設した路線は、京都市電で採用した軌間に順次改められたが、京都駅前と北野との間を結んでいた堀川線だけは、1961(昭和36)年に廃止となる迄、狭軌のままであって「N電」と呼び習わされたのだそうだ。

↓「北野」と行先表示が在って、オープンな運転台が在って、「28」という車番も記されている。これが「N電」と呼ばれた車輛なのだ。
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地下鉄の五条駅に近い<北阪ビル>という場所、烏丸通に面している辺りに展示されているのだが、年末で建物が閉まっているような様子だったので、通から見えた範囲で「おっ?!」と少々驚きながら眺めたに留まった。機会を設け、もう少しゆっくり見学したい感だ。