宵に…(2025.01.30)

夕刻に路線バスで出掛け、夕食を存分に楽しみ、路線バスで拙宅へ引揚げた。

凄く愉しい夕食であったが、特段に飲物を御願いしたのでもなかった。日頃よりも少々早めに夕食を終えた形でもあったので、「もう少々、何か飲物を伊熱田抱いて寛いでから休みたい」という程度に思った。

↓改めて戸外へ出てみた。
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↑些かの積雪、除雪作業と路面状況が色々と変わるような様子な中、不意に滑るような場合も在るので、戸外を歩く場合は慎重を期す。

↓軒に載った雪が、何となく面白い形だと思い、何となく見上げて眺めた。
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↓馴染んだ御店に一寸立寄った。
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↓着席して寛ぐ。<いいちこ>のソーダ割を所望した。
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↓読み始めた小説が愉しいので、少し読み進めたいという程度に思った。
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↑文庫本にレザーのブックカバーを掛けて持ち歩く。

↓煙草も点けて、文庫本を静かに読む。
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↑何処ででも読書に興じるが、馴染んだ御店の席で寛ぎながらほんの頁を繰るというようなことをするのが好きだ。

↓イカの塩辛を御願いした。
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↓多めのイカの塩辛を摘み、<いいちこ>のソーダ割を口にし、時折煙草を点け、文庫本の頁を繰る。素晴らしい宵の過ごし方だと思う。
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↓御近所の居酒屋を、何やら喫茶店のように利用していた。
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↓読書も捗った。
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気儘な宵の過ごし方が凄く好い。

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大黒3丁目停留所…(2025.01.30)

夕刻、街の南東側へ市内線のバスに乗車して移動しようとした。

↓停留所の直ぐ前は、除けた雪が酷く堆くなり、路肩に停まるバスに乗り込むことが困難だ。進行方向側の、停まるバスに接近可能な箇所に佇み、やって来るバスを待った。
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↑バスが現れたのが見えた。

↓乗車しようとしているバスが近付いているのが目視で確認出来た。
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運転士さんに向かって手を挙げて少し振り「乗車の意思が在って待っている」という意思表示を試みた。眼前にバスは停車し、下車する人を下し、自身は無事に乗車することが叶った。

積雪地域では「有り勝ち」な様子なのかもしれない。他の停留所でも、乗降する人が歩き悪くなってしまっていて、バスの停車位置を少々前後させるという場合が生じている。

大黒3丁目停留所…:国道側(2025.01.30)

朝、国道沿いを少し歩いた。

↓バス停だ。
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↑雪で「埋まった」と言うのか、除けた雪で「埋められた」と言うのか、辛うじて「留所 黒3 バス」が覗き、バスの大黒3丁目停留所であると推定し得る状態だ。

↓停留所を少し過ぎた辺りから停留所を見たが、その存在が判り悪い。
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冬季の積雪期間、一部のバス停は乗降し悪い場合も在る。が、街中でこういう程度に埋まっているのも余り見掛けないかもしれないと思いながら通り過ぎた。

座席の背中…:市内線のバス(2025.01.30)

朝、市内線のバスに乗車して移動した。

進行方向の右側、運転士さんの直ぐ後ろの座席の背中が見える席が空いていたので着席した。

↓眼前の座席の背中が気になり、何気なく提げていたカメラを使った。
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↑停車する迄、車内を立ち歩かないように呼び掛けるステッカーが3枚も貼り付けられている。他に飲酒運転を止めるように呼び掛けているモノも在った。

「同趣旨のステッカーを何枚も?」と思った。1枚は漠然と「お願い」で、他の2枚はステッカーを掲出する団体の名が在る。「日本バス協会」と「東京バス協会」である。少し首を傾げた。

「日本バス協会」は全国のバス事業者が加入している団体だ。稚内の市内線を運行している会社も会員だ。対して「東京バス協会」である。これは東京のバス事業者が加入する団体で、稚内の市内線を運行している会社は加入していない。それでもステッカーが在る。

「東京バス協会」のステッカーが不思議であったが、恐らくは東京で使用されていた車輛が中古で稚内にやって来て運用されているということなのだと思う。首都圏等からやって来た方が「稚内のバスが近所のバスと同じ外観?」と驚いている場合が在る。外装はそのままで、社名が書かれている箇所のような一部にだけ手を加えているので「同じ外観?」になるのだと思う。

大都市圏で少し使った車輛が地方に流れる例は珍しくないのだと思うが、何気ない車内のステッカーでそういうことが明らかになる訳である。

普通にバスで移動しただけなのだが、朝から少し興味深かった。

回転寿司…(2025.01.30)

↓夕刻にバスに乗って出掛けた。
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↓到着した停留所の辺りで道路を渡る。
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↓久し振りに立寄る。
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↓暖簾を潜った。
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↓1人ということで御案内頂いたカウンター席で、こういうタブレット端末を利用して頂きたいモノを御願いすると、席にモノが届く仕組みだ。レーンを寿司が廻っている方式でもない。最近、「回転寿司」という看板の御店で、こういう仕組みが多くなっているように思う。
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↓とりあえず何点か御願いしてみると、寿司が順次供される。小皿が並ぶと気持ちが弾む。
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↓真ガレイ昆布〆…
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↓稚内産サクラマス…
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↓自家製味付数の子軍艦…
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↓鰊…
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↓真アジ…
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↓御椀が運ばれて来た。
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↓蟹の味噌汁…
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↓イクラ…
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↓真イカ醤油漬…
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↓蛸足…
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↓生トラウトサーモン…
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↓炙りハマチ塩だれ…
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↓炙り中トロ…
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調子良く、随分と頂いた。事前の想定を少々超える程度だ。寿司には夢中になってしまう…

↓玉子で締め括った。
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自身が頻繁に歩き廻るような辺りから多少離れたバスで出掛けるような辺りに御店は在る。故に「時に思い立って」という調子で訪れる。そういう程度で程好いのだと思う。なかなかに愉しかった。

車窓…:天塩川(2025.01.06)

旭川駅から稚内駅へ向かう特急列車に乗った。出発する時に何やらモタモタしてしまい、旭川駅で少し慌てて駆け込んだ。札幌駅から走って来た列車は下車する乗客を下し、乗車する乗客を迎えている真っ最中だった。

そういう様子で気が張ったが、列車内の座席で寛ぐと気分が解れ、居眠りも交じりながら北上である。時折、車窓の様子を眺めて愉しんでいた。

↓氷が浮かぶ天塩川が見える箇所が在る。見える箇所は何箇所も在るが、写真が撮り易い感じの場所はやや少ないような気がしている。今般、思い付いて撮ってみた。後から写真を見て少し気に入ったのでブログに掲載することにした。
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稚内へ北上する交通を整備していた大正時代、現在の宗谷線に関しては「天塩川の水運が貨客輸送手段となる」ということで、現在では廃止された、オホーツク海側に寄った経路を通る天北線に先を譲った。天北線の経路は1922(大正11)年に、宗谷線の経路は1926(大正15/昭和元)年に各々開通している。

そんな経過も思い出すが、車窓の天塩川は、氷で流れが鈍っていて水面が鏡面のようになり、岸の側に在る雪を被った森が少し映り込んでいるような様子だった。そして雪を被った森も美しい。そういう景色を眺めながら、天塩川に沿って森に踏み入るように鉄道を建設した先人達のことに想いが巡る。

列車での旅は好い。

「稚内・ネべリスク 友好都市40年」のバッジ:机の抽斗に…(2025.01.29)

机の抽斗の片隅に、何時、如何いう経緯で手にして、何故入れたのかがよく判らない、思い出し難くなってしまっている「妙なモノ」が入っている場合も在る。

↓そういうモノの一つということになる、小さな缶バッジが出て来た。
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↑2つの旗が在る。左が稚内市の旗で、右がネべリスク市の旗だ。両市の友好交流が「40年」というようなことで用意されたバッジだ。

1972(昭和47)年、当時のソ連は「ソ連成立から50年」ということで、記念になることに取組む機運が高まっていた。そういう中でサハリンのネべリスクでは、本斗という名であった樺太時代に連絡船で結ばれていて、水産業のような共通の産業も有する対岸の稚内と友好交流を始めようという話しになった。ネべリスク市側が稚内市側へ提言し、稚内市代表団が借上げた船でネべリスクを訪ね、両市の友好都市提携ということになった。

それ以来、稚内・ネべリスクの友好都市交流は続いている。盛んに様々な事が行われるようになったのは、北海道とサハリン州との地域間交流の活発化という流れが起こった後、1990年頃より後という感じだと思う。

「40年」ということで、ネべリスク側で2012(平成24)年に用意したのが写真のバッジと見受けられる。随分と長い間、机の抽斗の隅に在ったということになる。

2022(令和5)年は「50年」だった。ネべリスクの側ではその「50年」を話題にしていたようだが、稚内では関係の話題は特段に耳にした記憶は無い。

恐らく他所では余り残っていないと思われるバッジだ。そのまま保管しておこうと思う。