蛤御門(2015.10.30)

幕末の歴史の中、“蛤御門”という名は耳にする機会が多い。

京都での減退を強いられた勢力を挽回すべく長州勢が進入し、京都で市街戦が展開されたという<禁門の変>の舞台として蛤御門が登場する…

↓その蛤御門に立寄ってみた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (2)
↑現在では「京都御苑」と呼ぶのが妥当なのか?京都の御所の敷地に据えられた門の一つである。

現在でも幾つかこの禁門と呼ばれた門が残っている様子だ…幕末の歴史のことを思い出しながら、少し眺めていた…「大きい」とも「存外に小さい」とも言えるような大きさだと思った…

↓長州勢を会津勢や、会津勢に加勢した薩摩勢等が迎え撃った戦いがここで展開したようだが…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (1)
↑「或いは当時の銃弾か何かによる傷?」という痕が、門扉に見受けられた…

暫くここで蛤御門を眺めていると…何やらバスやタクシーの出入りが見受けられた…

「ここは畏れ多くも御所の御門!駐車場のゲートではない!!」と思ったのだが…

この蛤御門に立寄った日は「京都御所一般公開」の期間に相当し、御所を含む京都御苑内に設けられた駐車スペースから道路への出口になっていたのだった…事情を察し、京都御所にも足を伸ばして立寄ったのが、好い想い出になっている…

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