↓「蒸気機関車の写真を撮る」という場面で、何となく好んで撮ってしまうのがこういう角度である…
↑扇形機関車庫の中に入り、展示品の機関車を後ろ側から撮るということをしたが…自ずと「気に入っている型」のモノに近付いて、それを写真に収める…
C55…1935(昭和1)0年から1937(昭和12)年までに62輛が製造された。63号機以降に向けての改修が大規模なものになったことから、“C57”という新しい型番が付されることになって行ったのだが、広く各地で活躍した。
C55は、発展型のような存在のC57に比べるとやや地味―201車輛も製造されたC57に対し、62輛のC55だ…しかし、C55で確立したノウハウが佳かったので、C57は「こういうような型の蒸気機関車の“決定版”」的存在となり得て、より多く製造されるようになった面が在るようにも思える…―かもしれない…が、C55は宗谷線でも活躍―樺太との間を往来する旅客を乗せた列車を牽引し、稚内港北防波堤ドーム(往時の言い方で「屋蓋式防波堤」)の前に敷かれていた軌道に乗入れていた経過さえ在る…―し、稚内にも1輛が静態保存されていた。しかし…屋外で風雪に晒されて金属が酷く傷んでしまって、解体の憂き目を見てしまった…個人的には「実に勿体無い!!!」と残念に思っているのだが…そういう経過が頭に在るので、C55が静態保存して在るような場面に出くわす―保存数が然程多くないので、出くわす場面は限定的なのだが…―と、「我らがC55に会えた!!」と妙に嬉しくなってしまう…
↓直径が1750㎜という動輪…「適当に大きい」のが好い!!速度が上るように、「大き目な動輪」を配しているのが“C”で始まる形式番号の、「動輪が3軸」の蒸気機関車の特徴の一つだ…
↑C55までは、この画のような「スポークの車輪」の型に動輪が鋳造されている…こういうように「妙に手が掛かっている感じ」が酷く気に入っている…見掛けると「これだ!」と暫し見入ってしまう…
動態保存のモノのように、蒸気が出ているような様子ではないが…「機関車の“力”の源泉」で、「各地の発展を牽引」した存在で、「各地の人々を他所の地域と結び続けた」という鉄道の役目を象徴するような、こうした「動輪のアップ」という画は「つい撮ってしまう」感じだ…
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