福山からバスで移動…片道30分弱な辺りに鞆の浦が在る…
鞆の浦は瀬戸内海で展開された海上輸送の中、干満差が大き目な海域で“潮待ち”を行い、帆走するのに都合が好い風を待つ“風待ち”を行い、更に物資の補給等も行う場となっていた。現代風に言えば“重要港湾”というようなことになるであろうか…
江戸時代には福山の城主が知行地の一部として管轄していたようだが、この地に少し個性的な銘酒が受け継がれている…
↓これは永くこの鞆の浦で受け継がれていた銘酒を扱う店の、伝統を受継ぐ看板である…<保命酒>(ほうめいしゅ)という銘酒である…
↑この看板を最初に造った業者は、この<保命酒>の製造販売から撤退し、その際に事業を続ける同業者に看板を譲ったらしい。譲り受けた業者がこれを店内に飾っていて、そこに立寄った際、記念に看板の写真を撮った…
<保命酒>は、米で醸造する酒に各種の薬草を加えた“リキュール”のようなモノだ。概ね日本酒のような14度程度の度数であるのが伝統的な代物だ…
幕末期、“黒船”のペリー提督を饗応するようなことになった際、鞆の浦を知行地の一部とした幕府の老中であった阿部正弘は、地元の銘酒を取寄せて饗応の席で用いたという。地元の銘酒というのが<保命酒>に他ならない…
この相当に古くから伝わるらしい、凄く精巧な龍の彫刻の入った看板を飾っていた店で<保命酒>の小瓶(300ml)を求めて福山の宿に持ち帰り、「かのペリー提督も親しんだ味??」と試飲して、ゆっくりと小瓶を開けてしまったのは、暫く経ってみれば非常に愉しい想い出である…
↓焦点が甘いが…<保命酒>の小瓶は、こういう代物だ…
この記事へのコメント