↓ネベリスクにこういう記念碑が在る…

↑ルダノフスキーが1854年に現在のネベリスク市辺りを訪れ、集落の住民に出逢ったという故事を記念するとしている。
ネベリスクは、何時の間にか「1854年のネヴェリスコイ麾下のルダノフスキーが、地図作成を主要な目的とした測量等を行う調査旅行で、現在の市域に到達」という故事を以て“建都”と位置付けるようになった…
1854年頃のこの辺り?海辺の平坦な辺りに集落が見受けられた…という感じだったのだろうか?そして、ルダノフスキー等が現在のコルサコフ市辺りからネベリスク辺りまで、基本的には沿岸部を「ぐるり!」と廻ったのだと想像するが、どういう経路を通ったにせよ、森や急勾配も越えなければならなかったであろう…その苦労を偲ぶ…
ネベリスクでは、街の名前の由来になったネヴェリスコイは多分足を踏み入れていないと見受けられる他方、ルダノフスキーに関しては「間違いなくやって来て、地図を作っている」として大切に扱われているようだ…
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