<Возлюби Дальнего Своего>(2017.08.09)

ダリネエー(Дальнее)という場所が在る。ユジノサハリンスク市の管轄区域で、街の北西側に相当する。運行系統#81のバスで街の北西側に進むと“終点”に相当するエリアだ。

日露戦争当時の1905年、樺太上陸を決行した日本軍とロシア軍との戦闘が生じているが、ダリネエーはその舞台になった地域だ。日露戦争後、ダリネエーの戦いで歩兵大隊の指揮を執って戦死した西久保豊一郎少佐に因み、辺りは「西久保村」と命名された。やがて「西久保村」は「豊原村字軍川」となる。そして鉄道の豊真線が開通して辺りに駅が出来ると「西久保駅」が登場した。更に豊原に町制が施行された際、「豊原町西久保」という地名になる。

現在は日露戦争以前のダリネエーであるが、ユジノサハリンスクの「近郊住宅街」という趣で、比較的新しい集合住宅が並んでいるような感である。道路の込み方で状況は異なるが、レーニン通の美術館(嘗ての北海道拓殖銀行の建物)辺りの停留所からバスに乗車して20分程度で辺りに到着した。2002年頃に1700人台だった人口が、10年程経た2013年には2000人台になっているらしく、「人口が漸増する新興住宅地」という雰囲気だ。

日露戦争の歴史が伝えられる地域ではあるものの、ダリネエーに記念館や史跡を示す記念碑が在る訳でも何でもない…そして、何か特別なモノが売られている場所が在るでもない…ハッキリ言えば、「何の面白味も無い住宅等が並んでいるエリア」という以上でも以下でもない場所だが、夕刻に一寸時間が在ったので訪ねてみた…

↓こういうモノが在る…
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↑<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という住所に並ぶ集合住宅の1棟の壁に、граффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノが登場したのだ。

これは、2人のデザイナーが“高所作業車”をわざわざ借りて、7月末の好天の日に仕上げたモノである。

↓<Возлюби Дальнего Своего>(ヴォズリュビー ダーリニェヴォ スヴァエヴォ―)と流麗な書体で描かれている…
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↑何やら色々な“掛詞”的な含意が感じられるが「ダリネエ―を愛せよ」というようなこと、「自身の過去や未来を愛せよ」というようなことであろうか…

この2人のデザイナーによる“仕事”が一寸した論争のようになっているようだ。建物の管理という見地で、認め難いことであるという論の他方、「殺風景な壁面を飾って親しみ易くするのは好い」という論が出ているという。

граффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノには色々と在って、「要するに妙な落書き??」というモノも在るのかもしれないが、この画のようなモノは「何処かのアーティストの作品」として通ってしまうような感だ。

最近、ユジノサハリンスク辺りでは「街のデザイン」というような問題意識も高まっている様子で、こういう「アート」の可否を巡る論争も、そういう文脈でのことのようにも思える。

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