樺太時代には方々に製紙工場が在った。ソ連時代にも永く稼働していたが、ソ連時代末期からロシア連邦に移行して行く中で廃業してしまった所が殆どだ…
ユジノサハリンスクには<王子製紙豊原工場>が在った…1917(大正6)年に開業したそうだ…そしてそこはソ連化以降にも製紙工場として稼働し、辺りの通に「ブマージナヤ通」(=「ブマージナヤ」は「紙の」という形容詞)の名が残っている…
その「製紙工場が在った」という歴史を伝える「ブマージナヤ通」は、市街のやや北寄りに在る。豊原時代には「南1丁目、南2丁目…」と「北1丁目、北2丁目…」の境目であったサハリンスカヤ通の少し北側で東西に延びる「ブマージナヤ通」に出くわす。どちらかと言えば静かな、「市街の端」という空気感が漂う場所だ…
レーニン通側から「ブマージナヤ通」に至ると、東側へ進んで行く…そうすると…製紙工場の遺構が覗く…しかし、「製紙工場の遺構」と判り易い写真が撮影し易いのでもない。辺りの木や建物の陰に、それらしい遺構が覗く感じだ…
そういう訳で、「見え易い位置に近付きたい…」と辺りを多少迷いながら進んでみた…工場の遺構の在る敷地の入口らしい場所に至ったが、「私有地につき立入は御遠慮願います」という看板の掲出も見受けられる…聞けば、製紙工場の遺構は朽ちるままに残る他方、工場敷地には車輛整備や機械修理等を手掛ける会社等が使用しているというのだ…
ということで、何となく「らしい写真」を撮ることは叶わず終いとも思ったのだが…
↓こういう不思議なモノの直ぐ傍まで来ることが出来た…
↑明らかに使われていないモノながら、相当に堅牢な建築であることが伺える、非常に背が高い構造物だ…
↓これは製紙工場に在って「製薬塔」と呼ばれていたモノの遺構のようだ…
↑往時は大変に目立つモノで、辺りのシンボルのような感じだったらしい…
「製薬塔」というのは、製紙のために木材チップを煮込む際に使用する薬剤を、石灰岩や亜硫酸を使って製造するための施設であったらしい…
私事で恐縮だが…かなり以前に母方の祖母と話した際、祖母は祖父と結婚して樺太の豊原に移り住み、そこで母の長兄(私の伯父)が産れたということを聞いた。伯父の生年から推測して、昭和初期の何年間かの話しであろう…その当時、祖父は「チップ工場で働いていたことが在って」と祖母が口にしていた。そんな記憶が在ったので、とりあえず「祖父母が暮らしたり、働いていたかもしれないような辺り」ということで<王子製紙豊原工場>の遺構は訪ねてみたかった…それを叶えた!或いは祖父母が毎日のように見上げていたかもしれない、辺りで最も目立ったらしい「製薬塔」を、朽ち果ててしまっているとは言え、仰ぎ見たのだった…
こういうような、「長い間、少々気に掛っていた…」を少しずつ視る機会を設けるようにしている昨今である…
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