ユジノサハリンスクのサハリンスカヤ通には幾つかの緑地が設けられているのだが、そこにはサハリン周辺の様子をロシアで紹介すること等に功績が在った史上の人物の胸像が据えられている。なかなかに興味深い。
が…最近、何やら「広場の整備工事」というのをやっていて、その胸像をゆったりと眺めるようなことが出来なかった…
そして極短い期間ながら、サハリンから離れて戻ってみれば…整備工事が竣工して、広場は普通に出入り可能になっていたようだ…
↓こういう胸像が在る…
これはアーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン(1770-1846)の胸像だ。ロシアではイヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールンとして知られており、ユジノサハリンスクの胸像にはそのイワン・フョードロヴィチの方で名が刻まれている。
クルーゼンシュテルンは、バルト海沿岸部のドイツ系、スウェーデン貴族の流れを汲む一族の出で、エストニアで産れた。長じて海軍軍人となり、探検家として知られるような事績も残している。殊に1803年から1806年の期間で、ロシアとしては初めて記録に残る世界周航を達成している。そして、その際に通過した日本海に関して"MER DU JAPON" と記録し、諸国に“日本海”の名を紹介した人物と考えられる…
1804年にロシアの使節であるニコライ・レザノフが長崎へ至り、日本との通商関係樹立を目指して交渉に臨もうとしたものの巧く事が運ばなかった経過が在った。その際の、レザノフが乗っていた船の指揮を執っていたのがクルーゼンシュテルンということになるようだ…
↓クルーゼンシュテルンが来航したような頃には、想像さえ出来ないような状況の街が、胸像の目線の先には拡がっていることであろう…
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