「生神女」(しょうしんじょ)とは、正教で言う「神の母」という意味の用語だ。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーに在るロシア正教の寺院は「Храм Покрова Божей Матери」(フラム ポクロワ ボージェイ マーチェリ)というが、“寺院”を意味する“Храм”(フラム)以下が「神の母」ということになる「生神女」という幾つか在るらしい言い方だ…
アレクサンドロフスク・サハリンスキーに到着し、押さえてあった宿に荷物を置くことを念頭に、宿の住所を探そうとする中、バスターミナルから緩やかな上り坂を進めば、直ぐに「少し凝った型?」の屋根が眼に留まった…
↓通の側から、こういうように視える…
土曜日の午前中で、こういう教会は開門中な時間で、少し近寄ってみた…
↓面白い型の屋根である…
この寺院だが、1993年から建設して現在に至っている。サハリン各地で見受けられるが、“ポストソ連”とでも呼ぶべき1990年代に入って暫く経った時期に起こった「教会を!」という動きの中でのことだったのであろう。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーでは、この教会は「復興」と考えられているかもしれない。博物館等に古い写真が展示されているのだが、アレクサンドロフスク・サハリンスキーには1891年から1893年に建設された立派な教会が在った。これもまた<生神女寺院>と名付けられていたのだという。そして1930年に、教会の用地を他用途に振り向けるべく教会は取り壊された…そして1993年に現在の建物の建設ということになって行く。取り壊されてしまった教会は、現在の建物が在る場所に在ったのだという…
↓奥の方に廻り込むと、堂内に入場出来る扉を備えた入口が在る。
↓屋根の外観は変わっているが、内部はロシア正教の寺院として普通な感じがする…
↓天井の側の感じである…
↓屋根の上に輝く金色のクーポルは、やや年月を経て2010年に取り付けたという…
この変わった屋根の教会は、博物館の写真を視た限り想うことであるのだが、「色々と制約も在った1993年の状況下、往年の教会を“復興”という願いを込めて、可能な範囲で往年の建物の屋根形状を再現してみようと試みた」ようにも思える…
概ね四半世紀の“年季”が感じられるこの建物…興味深い感じがした…
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