「京都にロシア正教の教会が在る」と聞いていた。そして、歴史在る立派な建物であるとも聞いた。
ロシア正教の教会は、日本国内各地に存外に多く在るようなのだが、札幌、函館、東京で視たことがあるばかりで、他所のモノは視ていない。そこで「京都の教会」を視ようと思い立った…
ネットの地図で場所を調べれば…「やや判り悪い?」と思える場所だった…地下鉄の駅や現地が判るようにと、視た地図をプリントして持っていて、それを参照しながら朝の京都に辿り着いて歩き回った…
京都に関しては「碁盤の目」に道が在る訳で、「A通とB通が交わる辺り」と見当を付けて近付けば、目指す地点に至るという理屈なのだが…永い歴史で何度も方々の道路の様子が変わって、一寸複雑だ…そんな訳で、目指した教会がなかなか見付からなかった…
目指す場所が見付からないと、少々心細くなり、「そう言えば…前日は“遅過ぎる昼食”を摂って、以降は然程食べていない…」と不意に思い出し、酷い空腹感も込み上げ「ほんの少ししか歩いていないのに草臥れた…」ような気分になる。
そんな場面で、「古くから営業していて、近所の人や、近隣に用事で出入りする人が寄るような雰囲気」の小さな喫茶店を見付けた。そこで<モーニングセット>を頂きながら、持っていた地図を示して店主氏や居合わせた方とお話ししてみると…目指した教会を迂回して、通り過ぎてしまっていた…そして、その喫茶店の辺りから目指す教会への道筋も判った…
「古くから営業していて、近所の人や、近隣に用事で出入りする人が寄るような雰囲気」の小さな喫茶店に一寸立寄って、店主氏や居合わせた方と一寸お話ししてみるというのも悪くない。店主氏は「40年位になるか…」としていたが、永くやっている店には「独特な好い空気」というモノが流れるのかもしれない。少し温かい気分にもなって、また歩く…
↓在った!!<京都ハリストス正教会>だ…
↑屋根の上の十字架は、確りとロシア正教の様式のモノだ…
↓鐘楼が正面のようになって、開いていれば入口になるようだ…
↑この日は土曜日であったが、都合で活動を休んでいる日であったようで、開いてはいなかった。とりあえず、この建物を眺めてみたかったので、中に入れないのなら、それはそれで構わなかったのだが…
↓「明治時代の“和洋折衷”」とでも言うのか、「日本の大工の技術で欧州のデザインを創った」という趣を感じた…「北海道で“古い”」とされるような、明治期や大正期の建築に何となく通じるモノも感じた…
↑華美でもないが、「簡素な美しさ」が好い感じだ…
1901(明治34)年に建物そのものが竣工し、1903(明治36)年に漸く到着したイコンや教壇や鐘を据えて教会が開かれたのだという。日本に現存するロシア正教関係の建築としては、この建物は最古のモノということになるようだ…
周囲が駐車場になっていて、建物を眺めるには「やや好くない条件…」ではあると思ったが…それでも「明治時代に築かれた独特な様式の建物」を実際に視られて善かった…「冬の穏やかな好天」という趣の日で、射し込む朝の光が、由緒在る建物を引き立ててくれていたように思った…
“京都”と聞けば「古いモノが色々と伝わっている」という印象を抱く。この教会もそういう事例の一つかもしれない。が、登場した20世紀の冒頭に在っては「最新の独特なモノ」であった筈だ。そういう「“最新”が重ねられて“古く”なる」という、永い歴史を誇る街の一面が強く感じられた…
何か「京都観光に…」というよりも、「京都まで出て、何となく街歩き…」という風情の過ごし方をした。或いは、京都はそういう過ごし方が非常に似合う街かもしれない…
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