↓ウラジオストクの金角湾を一望する高台に据えられている像である…
↑2人は9世紀後半にスラブ語圏に正教を伝えたとされる宣教師だった兄弟である。
更に、彼らは正教の教えを伝えるという目的のために、スラブ語を綴るための文字を初めて考案したとされる。
当初の文字は「グラゴル文字」と呼ばれるやや煩雑な形状のモノだったが、ギリシア文字の影響も受けながらより使い易い文字が工夫されて行った。それが「キュリロスの文字」と呼び習わされ、10世紀頃には使われていたらしい。そして文字は「キリル文字」と呼ばれて行くことになる…
その後正教はロシアに伝播し、938年にキエフ大公ウラジーミル1世が正教を受容れたことが契機となって、キリル文字がロシアで広く使用されて行くこととなる…
ロシアではその後、18世紀のピョートル大帝の時代に活字が整備され、それが現在に至る文字の直接的な前身で、1917年の革命後に現在も使われるロシア語のアルファベットが定まった…
そういうロシアで主流を占めるようになった正教の伝播に関わった2人の聖人達が、ウラジオストクを見守り続けているということになる…
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