「コルサコフ」というのは人名に由来する地名だ…
コルサコフでは…「1853年にネヴェリスコイが哨所を開いた」という故事を「建都」と位置付けているが…その頃は総督の名に因んで「ムラヴィヨフスキー」と地名を名付けていた…かの、ウラジオストクの銅像を視たことも在ったが、今日の極東ロシアの版図を拡げる活躍を見せたムラヴィヨフ・アムールスキー総督である…
この「ムラヴィヨフスキー」に関しては、諸般の事情で活動を休止してしまい、その後1869年に至って本格的に活動を再開した。その時に、当時のコルサコフ総督の名に因んで「コルサコフスキー」と改めて名付けた…これが、サハリンがロシア領であった時期を通じて「コルサコフ」で定着し、「大泊」と呼ばれた樺太時代を挟んでソ連かされた時、また「コルサコフ」と呼ばれるようになって現在に至っている訳だ…
↓1990年代、「帝政時代以来の歴史」に意識や目線が向いていた中、「建都140年記念」と銘打って登場したのだという、コルサコフ総督の胸像だ…
↑街の名が人名に由来となれば…その由来に関わる人物のモニュメントが在るというのは、別段に不思議なことではない…
↓近付いて、少し「アップ!」な感じで…
↑朝の時間帯の光加減で生じる陰影の感じが、なかなかに好い…
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