「東広島市」…広島駅から東へ、山陽線の普通列車で40分程度の西条駅辺りを中心とする自治体だ…1973年に広島大学が西条に移転して、大規模な開発が行われることを契機に周辺の町が合併して登場したのが「東広島市」であると聞いた…
この東広島の中心的な地区であるという西条は、古くは「四日市」と呼ばれる宿場町だった。明治時代に鉄道(山陽線)が開通し、重量物の輸送が容易になったことを受け、酒造業が活性化した。やがて「酒都西条」という呼び方もされる程に酒造業が盛んな地域として知られるようになった。
ということなのだが…この西条に「江戸時代からの伝統を受け継ぐ」という老舗の酒造会社も在る。
<白牡丹>(はくぼたん)がその老舗である。かの関ケ原合戦の時、西軍の石田三成に仕えていたという勇将、島左近の子ども達の1人が京都から安芸に移り住み、その後裔が1675(延宝3)年に酒造業を起こしたという。創業家が島家といい、この1675(延宝3)年と伝えられる故事を以て創業としていて、現在活動している広島県内の酒造会社としては「最古」と目されるそうだ…
過日、この西条に立ち寄って酒蔵を眺めて歩いた際、<白牡丹>に立ち寄り、「寧ろ明治時代以降に酒造が盛んに」という地域の経過の中、「300年の伝統」というお話しを会社の方から伺い、「では、その伝統の美酒を…」とお薦めの逸品を入手して稚内の拙宅へ送ったのだった…
↓これがその<白牡丹>から送ったモノだが…実に「渋い」感じのボトルである…
↓古い書簡を写して作った、「在りそうで無い」というような感じのラベルが貼られている…
このラベルには<白牡丹>という銘の由来となった故事が示されている…
1840(天保10)年、京都の最高位の公家(「五摂家」と呼ばれた、摂政や関白を輩出した家の一つ)である鷹司家から、家紋に因んだ<白牡丹>という酒銘が島家に贈られた。
「一つ 此の度 御殿より 白牡丹の御銘 下され置き候間以来 入念に酒造致すべき物也」という書簡でこの酒銘を贈る旨が伝えられ、末尾に「以後も酒造に励むように」というメッセージが加えられている。
この大切な書簡の写しがラベルになっているのが、<白牡丹 広島の酒 原酒>である。「原酒」…特段に手を加えない「出来たままの酒」で、一般的な清酒よりやや度数が高い…
↓猪口に注いでみれば…「清酒!!」という芳香が立ち込める…酒粕の仄かな甘みのようなモノがハッキリと感じられるのだが…好い甘みで呑み易い…
「ロックも好い」とされているので、氷を満たしたカップに注いでゆったりと頂いてみたが…「冷えて甘い飲料」ということで、非常に楽しい感じで呑むことが出来る…
古くから、身分の在る人達に至るまで親しんでいたという、「酒造好適地」とされる地域が育んだ味…これはなかなかに素晴らしい!!
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