大都市圏に在って「電車で25分」とでも言えば、「街の端から都心部」というような感覚であろうか?場合によって、大都市の「半ば一部?」のようになっている隣町から大都市の都心部ということも在るだろうか?
“ローカル線”的な感覚が混ざるJRの関西線で、名古屋駅から25分程度の乗車で桑名駅に着く…愛知県から三重県に県境を越え、そして当然ながら市も変わる…「何処まで行っても北海道…」という感覚が色濃い私には、何となく奇妙な感さえ否定出来ないのだが…
↓その桑名にこういう場所が在る…
↑古い東海道の一部が在ったことを伝える場所になっているのだという…
「東海道」と聞くと、何となく「鉄道の東海道線の経路?」という気がしないでもない…3月31日に東海道線の列車で移動していた静岡県内には、嘗ての東海道の宿場町の名を冠した駅が多々在った…が、東海道は鉄道の東海道線の経路と一部が違う…桑名もその「違う」という箇所に該当する…
東海道の宿場町…「宿駅」に<宮宿>と呼ばれた熱田(<熱田神宮>の近在だったようだ…)と桑名も在るのだが、両者の間は海路で結んでいたのだという…そしてこの海路の区間を<七里の渡し>と称したのだということだ…満潮の時、熱田・桑名間は七里(28km程度)だったことで、この名が在るという。干潮の際には沖を廻って、移動距離は十里(39km程度)になってしまったという…
熱田神宮の辺りにせよ、桑名にせよ“港”という印象は薄いのだが…往時は東海道を往来する人やモノを載せた船で賑わい、多くの旅籠が設けられていたのだという。順調に船が航走すれば4時間程度だったようだが、存外に大変な移動であったようだ…天候が崩れると海難事故の発生も見受けられたことから、海路を避ける脇道も登場していたようだ…
桑名は伊勢国の北東部で、東から西へ移動すれば「伊勢国で最初の宿場」ということになる…「伊勢国の東の玄関」ということだ…それに因んで天明年間(1781年-1789年)に<伊勢国一の鳥居>というモノが建立されたのだそうだ…
↓これは<伊勢神宮>の鳥居を移築するというモノで、現在でも「式年遷宮」の都度に建て替えているという…
↑独特な趣が在る…
熱田神宮の辺りと桑名…現在では列車の乗換に要する時間を勘案しても、1時間以内で移動可能だと思うが…江戸時代には両者の間の移動がなかなかに大変だったことが伺える…そんな様子を偲びながら辺りを散策してみたのだった…
こういう史跡を巡る時間…非常に好い!!
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