<近江牛>の牛丼!?…に加えて少々…(2019.04.03)

奈良から京都へ出て、更に近江八幡へ…

近江八幡は…豊臣政権時代の城下町が礎になり、江戸時代には商人町として歩み、明治期以降にも辺りの中心的な街の一つとして歩んだ地域である…古くからの建物が残っているような、時代モノのテレビドラマ等の撮影に利用された経過さえ在るような地区も在って、一寸面白い訪問先だ…

その近江八幡で…何となくランチを頂くことにした…

↓メインはこれ!!
03-04-2019 Ohmi-Hachiman, Shiga pref (25)
↑「たかが…されど…」という感…これは牛丼だが、<近江牛>の細切れ肉を使っているモノだ…

↓和食の伝統を汲んだ、なかなかに旨い感じに煮込んだ牛肉が米飯の上に…「これは美味い!!」という按配だ…単に「材料が佳い」に留まらないのだ!!
03-04-2019 Ohmi-Hachiman, Shiga pref (24)
↑細かいが、近江八幡辺りの名産であるという赤いコンニャクで瓢箪型の飾りが添えられている…

↓赤身肉の握り寿司というモノも頂いた…
03-04-2019 Ohmi-Hachiman, Shiga pref (20)
↑ほんの少しだけ肉に加熱されていただろうか?赤身に適度な脂が溶けていた感じだった…

↓更にトロというモノも…
03-04-2019 Ohmi-Hachiman, Shiga pref (21)
↑こちらは「良質な脂身」を味わうという感じだった…

現在の滋賀県の版図…近江では古くから牛肉を食用にしていた経過が在って、江戸時代の記録にも出て来るらしい。滋養強壮のための特殊なモノで、身分の在る人達の一部が口にしたモノであったのかもしれないが…そして牛肉を食べることが普及一般化した明治期以降は、滋賀県内で肥育された牛の肉は評価が高く、<近江牛>の声望は高まった…

近江八幡は、滋賀県内の産物を他地域に送る場合に「ここから貨車に積み込んで…」という経過も色々と在ったらしいので、或いは「<近江牛>の声望を高める上で大事な役目を担っていた地域」ということになるのかもしれない…そんな地域で<近江牛>の料理を頂いた!

何となく…所謂“ブランド牛肉”を頂く機会が続いた…時には好い!!

この記事へのコメント