<ラペルーズ記念碑>(2019.06.15)

外国の世界地図帳を手に「馴染んだ稚内の周辺の様子が…」というようなことを思い付いて、目次を開いて「宗谷海峡」というように調べると…「宗谷海峡」というモノが出て来ない…

地図帳のようなモノでは、「マイナーに過ぎる?」と地名が目次に出ていない場合も在るかもしれない…が、海峡が突然消える筈も無いので、頁を捲って場所を見付ける…そして少々「意外?」なことを知ることになる…

外国の世界地図帳では、「宗谷海峡」は「ラペルーズ海峡」という名で記されている…

18世紀終盤、フランスの航海家のラペルーズが世界周航を目指した際、稚内に近い辺り、サハリンやその対岸の大陸等にも例が見受けられるのだが、幾つかの場所に手近な関係者や自身が尊敬している人物の名等を冠するということをしていた。ラペルーズの一行は世界周航を成し遂げることが叶わずに消息を絶ってしまったが…一向に参加していた若者をカムチャッカで下船させ、“中間報告”ということで陸路でフランスへ帰国させた。そこでラペルーズの事績(彼の一行が廻った地域の情報等)が欧州へ伝わった訳だ…

↓宗谷岬にこういうモニュメントが据えられている…
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↑眼前の海峡が「ラペルーズ海峡」という名で知られていることを伝えている訳だ…

↓ラペルーズの出身地であるフランスのアルビの皆さん等、ラペルーズの事績を顕彰しようという人達から贈られたプレートも据えられている…
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↑2007年に据えられたモニュメントである…

稚内は、或いは「世界史と日本史とが交錯した地点」というような一面も在るのかもしれない…なかなかに面白い!

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