
↑本州各地、九州、そして北海道で広く活躍したという<C55>である。
<C55>は、更にポピュラーな<C57>の原型になった型、と言うよりも<C55>を改良するということになり、仕様変更で設計をしていて、仕様変更が多岐に及んだので「新たな形式番号?」となって<C57>ということになったということで、両者の見た感じは非常に似通っている訳だ…
<C55>は、1935(昭和10)年から1937(昭和12)年の期間に62輌製造されたそうだ…4社で手分けして製造されたようだが、<C55 50>は<汽車製造>という会社で1937年に製造されたという…
↓北海道に在って、この機関車は方々へ向かう旅客列車を牽引していて、稚内へ至る宗谷線でも活躍していた型だ…

↑実は稚内にもこの機関車が在ったのだが…戸外に在って、風雪で傷んで解体してしまったという経過が在る…小樽も戸外の保存・展示という体制だが…こうやって姿が保たれている様子を眼にすると酷く嬉しくなる…
↓“C”と名が付く旅客列車牽引を志向する機関車は、速度が出ることを意図して大き目な動輪を備えている。この<C55>もなかなかに動輪が大きい…

北海道では、この<C55>は1974年まで運用されていて、小樽で保存されている機関車は旭川の機関区で動いていたモノだという。或いは稚内にやって来たことも在るかもしれないと、親近感を覚えながら眺めた…北海道で<C55>が視られるのは…この小樽だけだ…他所では、九州での保存例が在る他、京都の博物館で見られるというだけだ…
或いは貴重な車輌を眺められたということになる…
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