↓函館山からも一寸視えていた場所だが…函館山を下りて、辺りを散策し始めた時に近付いてみた…
↑ロシア正教の教会だ…この建物が在る様子は「函館らしい景観」というようにされているようでもある…なるほど、ロシア正教の教会は、特徴的な外観の建物だ…
未だ「箱館」という字で地名を綴っていた幕末期…1859年にロシア領事館が開設された際、ロシア正教の聖堂が領事館内に設けられたが、これがロシア正教の「日本国内初登場」ということになるのかもしれない。その後1861年に至って、修道司祭のニコライ(カサートキン)(1836-1912)がやって来る。
江戸時代のキリスト教の禁止は明治時代に入った当初はそのままであったが、解禁になるとロシア正教の布教も活性化する。ニコライは函館を振り出しに伝教活動を続け、やがてニコライ堂(東京復活大聖堂教会)が建てられ、日本のロシア正教の中心になって行く…
函館のロシア正教の教会…「日本で最も伝統が在る、ロシア正教の活動の場」ということになる。幕末期に設けられた聖堂以来の流れを汲む現在の<函館ハリストス正教会>は1916(大正5)年の建物で、1988(昭和63)年に大掛りな修復が施されて現在に至っているそうだ…
↓すっかり暗くなった中だが…「ロシア正教の建物!」という様式の建物で、なかなかに趣が深い…
領事館の聖堂で活動する司祭の募集ということで、伝教の想いに駆られて来日し、日露戦争の頃も日本に留まったというニコライ…その生涯の物語の初期が織り成された函館…“日ロ交流史”というようなモノの中で重要な位置を占めるのだと思うが…その舞台ともなった場所に足跡を記すのも興味深い…“次回”が在るなら、もう少しゆったりと立ち寄りたい気がする場所だ…
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