<しゃちブレンド>の芳香が、過ぎる程に静かな居室の中に立ち込める感である。淹れてみた珈琲の芳香が感じられるということは“嗅覚異状”という妙な症状ではない…善いことだと思うが、夜の一時に居室で珈琲を淹れるという例はやや少な目だ…
夕刻に何となく<あさ開>の粕取焼酎を居室で頂きながら寛ぎ、御近所の店に立寄って<ザンギ>と<豚キムチ>とを摘んで「夕食」ということにした。
そんなことをしていた間に「雨交じりな夜」という感になっていて、多少の雨で湿りながら帰宅してみて、何やら<しゃちブレンド>を頂いてみたくなったのだ…
そしてその<しゃちブレンド>を啜りながら、何となく音楽を鳴らしてみたくなり…意味も無く『仁義なき戦い・オリジナルサウンドトラック』を鳴らしてみる…
少しばかり“御機嫌”な、静かな夜を何となく過ごしているが…久し振りに「(純粋に)勝手に随意に過ごす時間」というようなものを設けてみた…
随分と以前から「何処かへ出掛けるから写真でも撮る」のか、「写真でも撮ろうかと何処かへ出掛ける」のかがよく判らなくなってはいたが…最早、それは何れでも構わない…愛用のカメラでも抱えてフラフラと自由な時間を過ごし、気が向いたらカメラを使い、出来た写真が気に入れば保存して公開…そういう「好き勝手!」を酷く渇望していたような気がするのだ…
「愛用のカメラでも抱えてフラフラと自由な時間」ということなら、それは「私が生きている時間」というモノと実は殆ど同一なのかもしれない…少なくとも意識の中ではそういうように思わないでもないのだが、物理的に、本当に何時でもそういうようにしているという訳でもない…時々、思い付いて時間を設けて、そういうことを気が済むように試みる訳だ…
そういうように「設ける時間」に関しては、入口と出口とは或る程度確定しているが、その中間は「本当に好き勝手に一人で…」という場合が殆どとなる。「“時計”が半ば消えている時間」という設えになってしまう訳だ…
そういう時間の実質的な入口に佇み、気に入っている<しゃちブレンド>を「休む前の一時」に啜っている…或いは…「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」というような場所に至って、そのまま帰還が叶わなくなったとしても…多分、それはそれで然程の悔恨も感じないのではないかと思う…最近は、そういう気分が少々強まっている感がしないでもないが…
とりあえずは、この「“時計”が半ば消えている時間」というような期間の見聞や考えたこと、それ以前の“行動記録”のようなことを、とりあえず綴っておくことを思い立ち、こうして序章のようなモノを綴っている訳だ…
明日の今頃?何処で何をしているものか?「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」というような場所で、「行ったきりなら幸せになるがいい~♪」という具合であろうか?とりあえず、早起きをp企図する明朝だが…深く眠れるような気がしている…
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