“緩急”の“緩”…:運行日誌(2020.04.01)

振り返ると「もう少し若かった頃」には、思い立って「随意に過ごして構わない」ということで出掛けた場合、殊に手許に<青春18きっぷ>のような類のモノが在る場合には、文字どおりに「早朝から夜のいい加減な時間帯迄」と動き廻り、深夜は各地のネットカフェで過ごすことも厭わずに居た。が、相対的に安価に宿を押さえられるとなって、もう少々ゆっくりするようになって行った。更に<青春18きっぷ>のような類のモノが在ったにしても、少し長距離の移動では“適用外”の交通手段も厭わなくなった。

そういうことだが「仔細な計画を練るのでもなしに、本当に“主演・演出・脚本・その他全て”を勝手に自身で…」というようにフラフラとしたくなってしまうことに変わりは無く、そうした傾向を半ば戯れに<“何処か行きたい”症候群>と称している。この<“何処か行きたい”症候群>の“対症療法”は?「気が済むようにする」=フラフラと何処かへ出て随意に過ごすということしか無い…

そんなように思うのだが、最近は「フラフラしている」という期間中に「“緩急”の“緩”」と称して「(相対的に)動かない」という日が生じるようになった…今日がそれに相当するであろう…

前夜…早い時間帯に眠りに落ち、深夜に眼が開いて、暫く起きていてからまた休み、再び眼を開ければ未だ日出前…最近は定番化したような感だが、今般は最初に眠りに落ちた時間帯がやや早い。「疲労回復に時間を要する」とか「疲れることをしたダメージが、少し間を置いて身体に強く感じられるようになる」という現象が、一定程度年齢を重ねると見受けられるようになるのだというが…或いは土日の疲労によるダメージが「間を置いて訪れている」という中、月曜日にも火曜日にも「回復を求める…」という程度に動き廻っていて、結局「自動停止します…」と身体が眠りを導いたのかもしれない。

「自動停止します…」というように「なってしまった?」と表現したくなるような感で、早い時間帯から、この数日としては最も長めな睡眠だったように思うが、朝早くから何かスッキリしていた…

やや雲が多いような気もした早朝…と言って「次第に明るく…」と感じられるような時間帯に戸外へ散策に出た。

奈良の三条通…JR奈良駅の、旧駅舎を利用した観光案内所の辺りで「興福寺と反対側」へ歩を進め、鉄道の高架を潜り抜けて真直ぐ進む…そうすると佐保川に行き当る…

奈良県内―県内に限らないとも思うが…―ではよく視るのだが、川に沿うように夥しい数の桜が植えられていて、花の時季には「うゎ!」と驚くような場所が在る。この佐保川については、近鉄の列車で奈良を目指す場合、地下に設えられた近鉄奈良駅へ通じるトンネル内の軌道へ入る手前に在る新大宮駅に列車が接近する際、多分「間も無く停車…」と列車が減速している区間に相当するのであろうが、窓から「うゎ!」と驚く「川縁の夥しい数の桜」が視えているのだ…

その佐保川の桜を眺めて愉しんだ後、新大宮駅から列車で近鉄奈良駅へ1駅間だが乗車した…

新大宮駅で近鉄奈良駅へ向かう列車を待っていた。反対方向の大阪難波駅や、更に先の尼崎駅、神戸三宮駅へ向かう列車のホームは早朝でもそれなりに乗客が多く見受けられたが、近鉄奈良駅へ向かう列車を待つ乗客は少ない。そこに「電車が通過します」とのアナウンスで、注意喚起の音楽が鳴り始めた。近鉄奈良駅に到着する、何処かからの特急列車は走っていないと思われるような早朝…何事かと思えば、実物を全く目にしたことが無かった、赤く輝くピカピカの車輛の列車が通過して行った。「アレは何だったのだ?」と驚いていた。

驚いていた間に乗車すべき列車が現れ、近鉄奈良駅に到着してみると、新大宮駅で視た車輛が停車中だった。赤く輝くピカピカの車輛は、この3月に登場したばかりの特急列車専用車輛である<ひのとり>だった。大阪難波駅へ向かう特急列車ということで、発駅の近鉄奈良駅に入る回送の場面を新大宮駅で見掛けたという訳だったのだ…

近鉄奈良駅からは、奈良の気に入っている風景の一つである猿沢池を少し眺めて、宿に引揚げた…早朝から少し動いた後の朝食が酷く美味く感じられたが、そこから居室で一息入れて寛いでいた…

ゆっくりと宿を出発する前に気象情報を視れば、天候は「下り坂」であるらしい。雨の予報だ…そこで、長く歩きそうな場所を訪ねることを遠慮して、とりあえず薬師寺を訪ねることにした。

薬師寺は国宝の建築物である東塔を擁するのだが、長い間に亘って修復工事が行われていて、覆いが在って姿が視えなかった…その工事が竣工した!姿が視える!そう聞いて、視に行くことにしたのだ。実を言えば「仔細な計画を練るのでもなし」でありながらも、「何処かのタイミングで薬師寺の東塔を眺めたい…」というアイディアは在ったのだ。

三条通を近鉄奈良駅まで歩み、列車を乗り継いで薬師寺に近い西ノ京駅に至った。薬師寺の境内に在る時に、近鉄の列車の走行音が聞こえる場合も在る程度に近い「最寄り駅」だ…その西ノ京駅に到着した時…雨が降り始めた…

雨の中で薬師寺をゆったりと拝観した…念願の東塔を眺めたが、西塔も金堂も好かった。そして<玄奘三蔵院伽藍>という箇所を初めて視た。1990年代に再建が完成したモノだというが、これが存外に好かった。

薬師寺は法相宗の寺ということになるそうだ。法相宗を開いたとされるのは、『西遊記』のモデルとされる玄奘三蔵である。その玄奘三蔵の“分骨”を祀る御堂が「貴人を祀る八角形の建物」という<玄奘塔>である。その奥には平山郁夫の力作、<大唐西域壁画>を収めた建物も在る。

<大唐西域壁画>を眺めて、頭の中にBGM『シルクロードのテーマ』が思い浮かんだ…(後から宿でYouTubeで見付けて聴いてみたが…)玄奘三蔵が真理、奥義を求めて果てしない道程を旅したと伝えられるシルクロード…遥かな古代から、仏教思想のような抽象的なモノに至るまで、様々なモノが想像以上の広い範囲で行き交って、そうやって紡がれた歴史…そんなことに想いが至った。

薬師寺自体、千年を超える歴史を有する寺だ。大変な権威や威光が在った時代も在って、訪れて視る人の誰もが大いに驚く程に豪華な伽藍を誇ったというが、戦乱や火災や色々な事情により、東塔を除く建物は損なわれてしまったことが在る。そこから再建されたり、再建されなかったりで近年に至っているという。が、既に長い間に亘って「伽藍の再建」を可能な範囲で進めている経過も在る。東塔に対する西塔もそんな努力の一例である。

結局のところ…それぞれの時代に様々な困難が在っても、薬師寺を開いた時期である千年以上前の人達による「真理を追い求めて世に功徳を」とでもいうような想いは、どういう形であろうと受け継がれているのだ…

雨に当たりながら、各々に典雅さと力強さとを兼ね備えたような伽藍の建物を眺め、写真に収めるようなことをしながら、色々と考えた…

西ノ京駅の辺りに再び至ったが…雨は止まない…直ぐ傍のカフェに入って、<大和古代米>なるモノを摘んだ。粘り気が強い感じがしたが、赤紫色の米飯の小さな握り飯で、若干のおかずと、汁物という意図でうどん―これが関西の流儀の美味い出汁だった!―が添えられているセットだった。

やって来た時の道筋を戻ろうかとも思ったが、目の前にバス停が在って、少しだけ待つとやって来るバスは東大寺大仏殿辺りに行くらしいことが判った。それに乗車した…

東大寺大仏殿辺りに至り、雨に濡れながら散策し、氷室神社の辺りを過ぎて、バスターミナルのビルであるという場所に入っているカフェに立寄った。更に濡れながら歩き、近鉄奈良駅近くの小路でハンバーガー店を見付けたので寄ってみた…このハンバーガーが酷く佳かった!!!

そうやってJR奈良駅近くの宿に引揚げた…以降は…館内のコインランドリーを利用することや、写真の整理等をして、何となくゆったりしている。

或いは?滞在中の宿の居室に長く住んでいたとして、「特段に予定らしい予定が入っていない休日」という日が訪れたなら、「実際に今日過ごしたような過ごし方」を「してしまうかもしれない?」と思ってしまった…

雨が降り頻る状態は、陽が落ちてしまって以降も続いているようだ…気象情報では、明日は天候が好転しそうではある。期待したい…

この記事へのコメント