京都の礎となっている<平安京>では、北から「一条、二条、三条…」というように東西に延びる通が設けられた。数字が大きくなる程に南側だ。これは現在でも変わっていない…京都駅が在るのは七条や八条というような、街の南側だ。
一条の辺りを訪ねたかった…街を南北に結ぶ地下鉄の烏丸線の列車に乗車し、今出川駅で下車した。そして地下駅から地上の通に出た時、「↑京都駅」という標識を視掛けた。これを視て…「京都駅は南で、目指す一条は北」と思い、標識上の「↑」と逆側を目指して歩を進めた。
ところが…目指す一条らしき場所に行き当たらない…そのうちに、明らかに今出川駅ではない地下鉄駅の出入口が眼に留まり、駅名を視ると鞍馬口駅となっていた。要するに、今出川駅そのものが一条の少し北に在って、一条を訪ねるというのであれば、「↑京都駅」という標識の「↑」が示す南の方角へ進むべきだったということだ…
↓結果、鞍馬口駅に近い辺りでこういう場所に行き当たった…
↑<御霊神社>という場所だ…
↓美しい楼門が迎えてくれる…
↓なかなかに雰囲気が好い境内だ…
↓これが<御霊神社>の拝殿だ…
この神社は<御霊神社>と号しているが、もう一つの御霊神社と並べて<上御霊神社>とも呼びならわされている。
平安時代辺りには「御霊信仰」と称される、「災害や疫病は不運の中で斃れた人達の怨霊が祟った…」とする考え方から<御霊会>という怨霊を鎮める催事を行うことが盛んだったという。そういう営みに起源を有するのが、この御霊神社ということになる。
ここで祀られる「御霊」とは?崇道天皇、伊予親王、藤原夫人、観察使(藤原仲成)、橘大夫(橘逸勢)、文大夫(文室宮田麻呂)等のことである。
こういうとこなら、以前に奈良の御霊神社に寄っているが、奈良の御霊神社も似たような趣旨で、崇道天皇等を祀っていた…
<御霊神社>という呼称の神社は方々に見受けられる。「御霊信仰」が深く広く普及していた証しと言えるかもしれない…
↓何か好い趣の場所で、居心地も好かった…
世の災厄が“御霊”の祟りであるというのであれば…この<御霊神社>の力で鎮まって欲しいものだ…
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