運行日誌(2020.07.30-08.09)追記:帰着後雑感…

8月10日の稚内では、日出を期待し、日出を待ち、日出を眺めて1日の始まりを迎えたのだったが、何処となく湿り気が感じられた空気の中で昼頃から雨交じりとなった。

雨交じりとなること自体は珍しいことでもないが、少し気に掛った。振り返ると、7月30日以降「雨に降られていない…」という状態、「移動もしながら、晴天であった地域に居続けた」ということに思い至ったのだ。随分と久し振りに雨に当たったような気がした休日ということになった。

雨交じりの故に薄暗い感の居室で、<アロママグ>に注いだ<サードウェーブテイスト>を啜る。旭川で「時間が在るなら立寄りたい」という場所の“リスト”に俄かに加わったカフェで使用されている仕様と同じで、同じ店で販売もされているのを入手した<アロママグ>に<サードウェーブテイスト>を注いで頂いてみると、あの店出だしていて何種類か愉しんだオリジナルブレンドの一つにやや似ているような感じもする。<サードウェーブテイスト>、旭川の店とは全然縁が無い大阪の業者の豆ではあるのだが…

旭川の店や、他に奈良の店で好い珈琲を少しゆっくりと頂く機会が在ったが…稚内で過ごす休日という中でも「カフェを梯子」というのに近いことをやっていて、方々で珈琲を頂いた。拙宅で、気に入った豆を挽いてハンドドリップというのとは少々違う。何か「馴染んだモノに親しむ大きな安堵感」というモノが在る。

様々な珈琲を頂いたとなれば「何れが一番好かったか?」ということになるのかもしれない。が、「何れも好い」という以上のことは申し上げ悪い。珈琲のような嗜好品は全く「各々に好い」または「少なくとも一般に出回っているようなモノは各々に好い筈」なのであって、横並びにして順位を付すようなことに最初からなじまないように思う。

珈琲に限らず、「休暇に訪ねる場所」というようなモノも全く同様であると思う。方々を巡ってみるというようなことをする都度にそういうような思いが強まって行くような感さえする。今般、方々を少し動き回ってみて、そういうような思いが確実に強まった…

「城」と名が付く場所…丸亀城、徳島城、高知城、松山城、今治城、尼崎城と方々で寄っている…

「寺」と名が付く場所…善通寺、須磨寺、宝山寺、長谷寺、西大寺、泉涌寺、智積院、仁和寺、勧修寺、東大寺、興福寺という具合か…

「社」と名が付く場所…善通寺の乃木神社、大山祇神社、手向山八幡宮という感か…

城でも寺でも神社でも構わないが、何れにしても「各々の面白さ」が在る、他所の地域を訪れた際に何となく視に行くような場所だが、どんな城も、どんな寺も、どんな神社も「各々に好い」のだと思った。

更に一部は寺に在るモノだが、幾つかの庭園も訪ね、古い町並みを愉しむ場面も在った。庭園に関して、例えば壮大な栗林公園と、京都の寺に在った庭園とではスケールは単純な面積比較ということが可能だと思えるが…そういう面積の数字では測りようがない「各々の好さ」が在ったと思う。

もう少し、1箇所に落ち着いて居れば好いのかもしれないというようなことを、毎度思わないのでもないのだが…「見慣れぬ路の向こうの見知らぬ街」というような感覚が酷く好きで、そういうことを、「動き回ること自体」を愉しんでしまうような性向が在って、何時も随分と方々を動き回るようなことを仕出かしてしまう…

何やら社会が“事情”に覆いつくされてしまっているかのような感に辟易しているが…外を歩き廻ってみる程度のことで、ガタガタ言われなくてはならない必然性もないと思っている。今般、「何年振りか??」と自身で驚く程度に日焼けもした…

そして「出掛けるから写真を撮る」のか「写真を撮りたいから出掛ける」のか判らない状態で、収拾困難な程度に写真も撮った…追って整理しよう…

暫くは…今般の旅を色々と振り返るような時間が多くなりそうである。同時に…早くも「また機会が設けられるなら…」というようなことを考えてしまっていることに気付く。

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