↓こういう具合に見える…

↑記念碑に姿が刻まれているのは、大相撲の力士…その出で立ちは…“横綱”である…
この碑は大鵬幸喜(1940-2013)の足跡を伝えるモノである。
大鵬は第48代横綱である。1961(昭和36)年から1971(昭和46)年の引退まで横綱を務めた。69場所の幕内としての戦歴は746勝144敗136休で、幕内最高優勝32回を誇る。
この大鵬は樺太の敷香(しすか ※現在のポロナイスク)で生まれている。昭和20年、緊急疎開で母親と共に大泊(※現在のコルサコフ)で船に乗った。夥しい数の人達が船に押し寄せ、相当に密度が高い状態での船旅となった。船は稚内に寄港後に小樽を目指すという予定であった。大鵬の親子だが、子ども達を連れていた母親が疲労や船酔いで体調を崩したため「小樽まで船で行くのは止め、とりあえず稚内で下船して、先のことを…」ということにした。そして未だ幼かった大鵬は母親と共に稚内で下船している。
大変に混み合った船での移動中に少し体調を崩し、小樽へ向かうつもりであったものが稚内で下船ということ自体「或いは他にも例が…」と思える話しなのだが…大鵬親子が乗っていた船は<小笠原丸>という船だった。<小笠原丸>とは…所謂<三船殉難事件>で潜水艦による攻撃を受けて沈んでしまった船だ。言葉を換えれば、大鵬親子は予定どおりに小樽へ向かうべく<小笠原丸>に乗ってままであれば、<三船殉難事件>で遭難していた可能性が高かった訳だ…
↓そういうことで、大鵬自身が「今日在るのは、稚内で下船していたから…」という話しを親しい人達にしていたことも在ったらしい…それを踏まえてこの碑の登場となったのだ…

<小笠原丸>の件、<三船殉難事件>から75年である。未だ幼かった大鵬が母親と一緒に稚内で船を下りた時から75年である。往時、この稚内港が大勢の人々の命運を分ける地点になっていた訳だ…
↓大相撲の歴史に巨大な足跡を残した大横綱…そんな人物と稚内との縁を伝える碑を、好天だった休日の昼間に何となく眺めていたのだった…

この碑が在る場所は拙宅から然程遠くもないのだが、何となく立ち寄る機会を逃していて、今般は漸く間近で眺めたのであった…
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