<うずしお>という愛称の特急列車で徳島駅に着いた。
辺りの案内図のようなモノを眺めて、何となく「徳島城?」と思い付いて、駅の辺りから少し歩いた…
↓大きく立派な門が設えられていた…
↓<鷲の門>と呼ばれ、城の南東の方角に相当し、“表玄関”というような感の場所であったようだ…
↓1585(天正13)年に阿波国を知行地とすることとなった蜂須賀家政が徳島城をその本拠地として築き、以降は淡路国が加増され、幕末まで25万7800国の知行地を治めたのだという。その蜂須賀家の紋である「卍(まんじ)」が瓦に確りと在る…
↓明治期以降に城が取り壊されてしまって以降も<鷲の門>は残っていたというが、1945(昭和20)年に戦禍で損なわれてしまった。現在のモノは1989(平成元)年に「徳島市制100年」ということで再建されたのだということだ。
↓<鷲の門>から少し進んだ辺り、石垣が残る辺りに入る場所だ…
蜂須賀家政は領内の産業を盛り立て、交易拠点となる城下町を開くべく、新たな本拠地として徳島城を築いたと伝わるらしい…午前8時台と、色々と見学するには「少し早過ぎ…」という時間帯に辿り着いた…徳島の街も「未だ動いていない?」という雰囲気だった…そんな訳で…訪ねてみたかった古い町並みを目掛けて、素早く移動してしまった…
「私の流儀…」の旅では時々在ることなのだが、この立派な<鷲の門>の徳島城の城下町であったという徳島…早くも「何時か再訪?」というようなことを考え始めている…
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