大阪の「直ぐ西の隣り」という尼崎であるが…この尼崎は江戸時代には城下町であったのだという…
大坂城を本拠地とした豊臣家を滅ぼしてしまった江戸幕府であった…その後大坂城が、江戸幕府の西日本に於ける中心的拠点と位置付けられた中、尼崎には譜代大名が封ぜられ「大坂の西側の防衛拠点」ということになり、尼崎城には天守閣も築かれた…
この尼崎城の天守閣は、尼崎に封じられた大名家が交代しながら明治時代を迎えるまで、営々と受継がれ、やがて取り壊されてしまったのだという。そして城の石垣の石材が港湾整備の資材に用いられるようなこともあり、時代が進む中で尼崎が都市化して行く中、街の中の地名等に痕跡を留める例が見受けられる程度で、「城下町 尼崎」という記憶は薄れて行ったようだ…
↓しかし…この尼崎の城跡に天守閣が復元された…精確には「天守閣そのものの外観の建物が建てられた」ということになるのかもしれないが…とにかく、尼崎に「城の天守閣」が姿を現したのだ…
↑江戸時代の約250年間に亘って街に在った天守閣と同じ大きさであるという…
この江戸時代の尼崎城だが、戦国時代にかの荒木村重が使っていた城とは位置が異なるということだ。伊丹の有岡城で織田信長に反旗を翻した荒木村重は「尼崎に逃れた」と伝わるのだが、逃れた城が在った場所は阪神電車の<なんば線>で尼崎から大阪方向へ1駅進む大物(だいもつ)駅の側だったという…
江戸幕府が譜代大名をこの地に封じ、新たに城を築いて安定した治政を目指すべく、現在の尼崎の母体となった城下町は登場した訳だ…
↓阪神電車の尼崎駅に近い辺り、城跡の公園で天守閣と周辺が新たに整備されたというように見える状況だった…城の建物を眺めながら散策するには好適な場所になっていたと思う。
↓石垣に乗っている天守閣の建物部分が高さ18m近くになるようだが…なかなかに大きい…
↓美しいバランスの建物だ…
↓周囲を歩いて、この美しい建物を眺めた…
天守閣の建物そのものは、尼崎で創業した会社の方が「創業の地に!」との想いで再建して市に寄贈したとのことである。簡単に出来ることではないと、感心する挿話だ…
尼崎城の天守閣は、この地に在った大名や江戸幕府の威光の象徴で、繁栄した城下町を見守り続けた経過が在ったモノであろう。2019(平成31)年に登場という現在の天守閣…“平成”の最後に姿を現し、“令和”の今、そして未来をここで見守り続けるのであろう。
↓「再登場!」を果たした「街のシンボル」と出会うことが叶って善かった…
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