↓高知城にこういう像が在る…
↑戦国時代頃と思われる女性と大きな馬の組合せという像だ…
↓少し引けば、台座に<山内一豊之妻>という彫像の題名が在る…山内一豊の妻は「千代」―名には幾つかの説も在るらしいが…―といい、山内一豊が他界した後は「見性院」(けんしょういん)と名乗ったという…
高知城を築いたのは、関ケ原合戦の後に土佐国に封じられた山内一豊である。この山内一豊の妻という女性が「なかなかの人物」と伝わっている。
女性と大きな馬の組合せという像だが…これは?織田信長に仕えていた山内一豊は、「馬揃え」に際して名馬を買入れることを望んだが、それを購入する資金が足りなかった。妻はそれを知り、嫁入り前に親から貰って「何か大事な時のために」と密かに持っていた金を提供し、それで名馬を買入れ、山内一豊の面目が施されたという挿話が知られる。像はその名馬の挿話をイメージしたのであろう…
聞けば明治時代の末頃から昭和20年まで、教科書で「山内一豊の妻」という挿話が取上げられていたのだそうだ…夫をよく助ける妻…所謂「内助の功」ということで取り上げられていたという。山内一豊は土佐一国を知行地とする大名になったが、元は一介の浪人であった。「内助の功」で立身したという訳だ…
一国を知行地としたような、少し規模の大きな城ともなれば、色々な挿話の伝わる様々な人達が関わっていることであろう…そんなことがこうやって伝えられていたのは興味深い…
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