<藤堂高虎公>…:今治城(2020.08.03)

↓騎乗姿の武士…なかなかに貫禄が在る人物に見える…
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今治城を訪ねた折り、石垣に囲まれて建物が建っている側に入り込み、この像に出会った。

↓<藤堂高虎公>と在る。この今治城を築き、城下町を開いたという人物である…
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↑この像は、今治城の400年を記念するということで、2004(平成16)年に制作、設置されたということだ…

戦国時代末期の武将ということになる藤堂高虎であるが、こういうような「史上の人物達」に関しては、実は「小説やドラマ等の劇中人物としての好悪」で色々と語られているというような気がしないでもない…

藤堂高虎に関しては、色々と小説等での登場例は見受けられる。個人的には『虎の城』『下天を謀る』という各小説の主人公となっている“藤堂高虎”のイメージが気に入っている。

気に入っている『虎の城』『下天を謀る』の“藤堂高虎”…体躯に恵まれて武芸に優れた豪勇の士であるが、職人集団を巧みに指揮して新たな発想や工夫を盛り込んだ城を築くことを得意としていて、配下を動かして巧みに諜報戦を展開しながら外交交渉に胆力を発揮し、青年時代からの独自な価値観を信じ続けて行くというような人物なのだ…

↓この像…私が抱いている“藤堂高虎”のイメージに合っている感で、何か「好いなぁ…」と暫し眺め入ってしまった…
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今治城は、関ケ原合戦の後に伊予国で加増を受けた藤堂高虎が、新たな知行地での軍事、政務の拠点として築いたのである。濠を掘削し、海水を引き込んで「海に浮かぶような城」を築き、瀬戸内海の海運とも結び付き易い城下町を築いて領内の振興を目論んだという訳である。それまで「今張」とされていた地名を「今治」とするようになったのは、藤堂高虎の時代からであるとも聞いた…今治の街に関しては、或る意味では藤堂高虎の事績が“建都”という性格も帯びるのかもしれない。そこでこの像が登場したのであろう…

↓この種の像は、こういう角度で眺めてみても面白い…
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今般、方々で様々な銅像を視る機会が在ったと振り返っている…

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